能動と受動はひとつ。軽いタッチで創造する

年明けから今まで、一見これまでと同じ日常に見えながらも、なんだか質的に変わったなという気づきがあった。それで、感じているこの変化を明確に言語化できるまで表現することを待ってみたく、見守っていた結果。
ああこれは、「能動と受動がほぼ同時」に感じられているんだとわかった。
前回の◆「私とあなたから、私と私へ」と共通の要素でもある。
つまり、「この世界では」二元的に(二手に分かれて)知覚することになる経験が、実はひとつであることを、体感レベルで感知するようになっていたのだ。

言い換えると、私たちの(少なくとも私の)経験している地球世界の現実が物質的な経験という「重さや密度」から、霊的経験の軽さへ「実感でわかるほどに」変化していて、これまであった時差、意識にあるものが物質世界に現実化するまでのタイムラグが、なくなってきているんだと。時間の枠組みも曖昧になってきている。

こうしたことを、噛み砕いて説明しよう。

時間の前後は幻想

映画のフィルムや本のページにたとえると、私たちは一度に1コマ、一度に1ページという体験の仕方をしていて、映画や本の「全体」を一斉に同時に見ることがない。物質的経験の中でなじんでいる視点は、そのフォーカスが「狭い」のだ。
だからどうしても、どちらかが「前」で、どちらかが「後」と考えることが当然に思える。この出来事があったから今があるんだとか、この体験をした後にこの決断をしたのだというように。そして、まだ起こっていない経験や未来に「向かって」生きているのだと思っている。

物質世界の観点から離れて、霊的な観点に戻ると、あなたがどの階層(次元や高さと言い換えてもいい)に自己の意識を置くかで体験の差はあるものの、時間はそんな風に一方向的に進む「制限」としては機能しない。
時を超えた視点から見ると、「この結果を作るためには、この因を採用しよう」という風に、自身の決断次第で「結果」を実在させるために過去の因を創ることができ、二つに分かれて見えるものは、ひとつのものを二分したにすぎず、同時に発生していることが理解できる。

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