参加しないで動かすこと・夢の選別

物理的に「何にも参加しないでいる」ということは難しい。生命活動を営むこと自体が何らかの形でこの世界に参加し、影響を及ぼし合うことに見える。
では、物理的活動においてではなく意識の上で「参加しないでいる」ことについてはどうか。これが、今回の話題である。

まず、何かに参加することにポジティブな意味合いを見出している人は多くいるだろう。それによって一体感を得たり、繋がりを感じたり、やり甲斐や貢献しているという感覚を得たり、活力や生きる意義をも味わう。そのような場合、逆に、心理的に自分を「何にも参加していない」と見なすと、孤独や絶望、無気力、生きる意味や自身の存在価値への疑問など湧いてくる可能性がある。

参加することの形態は、「共感」「同意」「抵抗」「反対」などを含む心の動きのみであることもある。
たとえば、メディア上で自身と同意見や同じ感想を持つ人、同じ境遇の人を見つけて共感する。何かの出来事やニュースに対して、自分に生じた反応と同種の反応を見かけると帰属感や親近感をおぼえる。あるいは、そうでないものに対して反論したくなったり、怒りが湧いたり、悲しくなったりする。

こうした心の動きをあなたは当然と見なし、特に気にしないかもしれない。少なくとも、心の中で起きたというだけで何らかの行動、行為に至っていない場合には。自身を観察して、内で起こる様々な反応に気づいたとして、それがどうしたというのか? 人間ってそういうものだと思っている人もいるかもしれない。

しかし、あなたがもし「この世界という夢(フィクション)内の一員である私」という幻想から目を覚ますつもりなら、自身の心の動きへの自覚と選択が必要になる。
なぜなら、意識の上で何かに参加することこそが、上記の夢にとどまるための鎖として働くからだ。

夢の選別と参加

冒頭の話に戻るようだが、あなたがこの世界を経験しながら「何にも完全に参加しない」ということはできない。あなたの経験と、あなたの意識内で用いる前提は「一体(ひとつ)」であるからだ。
つまり、あなたが完全にこの世界に見合わない前提を意識内で採用したときには、今のような世界の経験はできなくなる。あなたの採用する別の前提、別の設定に見合った別の世界を経験するだろうし、それは地球という舞台ではないこともある。

とりあえず、この世界を経験している状態からは「夢の中の一員と自己を見なす代わりに、夢を見ている者として自己を捉え直す」ことが必要で、それができれば、夢を見ている者の立ち位置に自己認識が戻ったために、自分の見る夢の選別も自覚を持ってできるというわけだ。

ただし、これには注意点があって、「夢の中の人物の心情になりきって一生懸命に選択してはならない」。言い換えると、夢を見ている者の立ち位置・視点に本当に戻れていなければ、必ず力が入りすぎてしまう。
それでは逆効果であり、夢にあなたを縛り付ける鎖を強化することになる。あなたは自ら「私は夢の中の登場人物だ!」と、力一杯主張していることになるからだ。

何度でも思い出してほしいのは、あなたがすべてを何によって選択するかの「原初の部分」だ。これは、以下の通りシンプルに表せる。

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