登ってきた梯子が外される感覚

あなたが変化して新しい観点で生きるとき、その変化のプロセスの最中には旧観点をいまだ参照し、あたかも「2つの世界」を行ったり来たりするかのような時期があるかもしれないが、本当に新たなあり方が定着してしまった後はそんな行き来ができなくなる。

あなたが何かを心から信じ、また同時に信じない、ということはできない。
両方にまたがった状態でいれば、どちらも部分的に取り入れることができるんじゃないか……間にほどよい妥協点があるのではないか……と考えるかもしれないが、そうではない。

「どちらにも決めていない」と言うとき実は、一方にしっかりと足場を固定している。

たとえばあなたが「安全であること」を信じていると言いながら、部分的に「安全でないこと」を信じていたらどうだろう。
「豊かであること」を信じることに決めながら、部分的に「欠乏していること」を信じることは可能だろうか。
「こうありたい」という希望はともあれ、あなたの内で基盤として採用しているのは実際は、安全でないことや、欠乏していることなのだと気づく。

目覚めると、登ってきた梯子が外される

真の意味で観点が変化するとは、トータルに変化することなのだから、もう後戻りはできない。
物理的に梯子を登ってきたのであれば、梯子をかけっぱなしにしておけば、再びその梯子の段を降りることもできるだろうし、梯子の途中で見た景色、味わった感触も戻って体験できるかもしれない。

けれどもあなたの観点、人生におけるフォーカスの変化は、そのように調節がきくかというと、そうはいかない。
「気づく」「目覚める」ということは、舞台上の劇を劇であると認識するということで、再び自分をだますことができなくなるのだ。
劇中のリアリティーに夢中になって、それを本物であると自分に思い込ませていた状態には戻れない。

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