どれもオンにできる並行世界の選択!と一貫するテーマ

フラットな感じでどれも選べるってなったとき、結局今の自分にとっての「これが一番」をあぶり出すには、どれもをそれぞれやってみるしかないということある。「も」ね。常にではない。
選択肢のうちどれかひとつに願望が集中しているか、それだけが明らかに他とくらべて際立ってよろこびをもたらす感覚があれば別なのだが。
どれでもいいよという気持ちのとき、どうする?

半年ほど前の私はそんな風だったふしがある。いや、ややもすれば今だってその状態に戻らないとは言えない。
「One and Only」がなくて、どれもけっこうフラットにいけちゃう、どれにしようかなって程度の選択。強ぉい願望がなくなるってそういうこと。

ふとしたことから自分のnoteの過去記事をいくらかさかのぼってみて、このことを発見したのだった。だいたい今年2021年の1月頃から私はいくつかの自分の具体的な道をピックアップしていて、その選択に沿って記事も書いていたのだが、振り返るとうーん……と何とも言えない気持ちになったのだ。

当時のチョイスを箇条書きにしてみよう。
■物語、短編の創作(フィクションのストーリーを書く)
■アニマルコミュニケーション(野生生物に主眼を置く)
……あれ、箇条書きにするほどには数なかったか。

まず、創作に関しては今後もツールのひとつとして活用する気持ちがある。今書いているような種類の記事のほかにも表現手段があることは良い。
それは最近、また書く方に集中しているので更新していないが★音声記事★についても同様だ。あれはあれで楽しい。購入して聴いてくれた方、ありがとうね。

次にアニマルコミュニケーションは、以前のようにご依頼を受けるセッションをすることはないまま、地球の生き物との主に非物質的な交流の側面を私自身がどう考え、どう体験し、表現するかを追究していく形になった。心境の移り変わりをその都度綴ってきたので重複を避けるが、
「薄らいでいくことと存在のよろこび、コミュニケーションの姿勢の変化」
などの記事に書いたように、そうすることはコミュニケーションの本質を見つめる媒体になり、ヒトと他の種という区別を設ける必要もないエネルギー交流へと私を導いた。

でも、結果として半年ほど前に浮かび上がらせたこの具体的な道の2つとも今の私の「メイン道」にはなっていない。要素として残ってはいるものの、「これこそが!」という主要な取り組みになりえていないのだ。

冒頭で述べたように、当時から私はすでに自分の可能性の現実、オンにすることができる並行世界を複数眺める中で、強い「これ」という願望を持っていなかったのだと感じる。
それは今も続いていて、当時との違いは「今後はずっとこんな感じなのかもしれず、そのあり方でいいのだ」と受け入れているということだ。

逆説的に、このあり方だからこそ、並行世界の「どれもオンにできる(選択できる)」と言えるのだった。

どれもオンにできる視点からは思い入れが生じない

人間は「回避したい」「そうなってほしくない」という発想からは強く特定の選択肢に向かう。
一方で、ネガティブな理由、恐れから選ぶという動機がもはやなくなっていくと、好みは依然としてあるものの、ある程度「どれも可」と感じるようになる。眼前に広がっている選択肢のどれかに本当に強く思い入れるかというと、そうはならない。
どれも選択可だとわかる視点を持つということは、特定の何かに極めて強い思い入れを生じさせていないからで、そのように平坦に等しい価値をすべての選択肢に認めているからこそ、「自由に選べる」状態にある。
パラドックスだね。

だから私の個性、私のエネルギーの延長上にある「可能性の現実」という点でそのとき目の前に広がる範疇の並行世界の中から、私は「この道がある、そしてあの道もある」と選択肢を認めるけれど、どれかでなければいけないということはなく、どれかだけに心底強く思い入れるということもない。
そんなあり方にすでに変化したのだと認識している。

一貫したテーマ

そうした中でも、事象は異なるように見えても一貫したテーマが自分という存在の内にあり、表れる形はどうであれ、それが自分を通って出てくる。

私の場合はどうも「癒し」という要素を無視することができず、自然にしていると治すことやヒーリングに意識が向いてしまうようだ。
癒しやヒーリングという要素に関わり、考えたり研究したり実践したりすることが好きだとしか言いようがない。そうしていると、自分ひとりの気づきの中だけで他者を交えていない時点でも、とても充実している。

他者を・世界を癒すにも「自分の内」で作業するという認識があるので、私の内側だけでそれを進行させ、完結させる選択もあるように思えるのだが、実はその内的表現はどうしてもこの世界において外に現れる。
つまり、物質的な表現の次元に参加している限り、その働きを外にも表して他者や世界との交流という形で体験していくことになるのだ。こうした記事上であれ何であれ、そのときの私の用いる手段、方法で。

近頃の私はエネルギーヒーリングの話題を再び出しているのだが、これもまた自分の中で多数の形をとる癒しの表現のひとつだ。エネルギーを扱うことも「外に向かって・他者に向かって」ヒーリングをしているという認識ではなく「全的な」観点から行うことができる。今それを突き詰めていっている最中だ。どれだけシンプルにすることができるだろうかと。

こんな風に、私の表層に出てくる表現は今後も色々と変わるのだろう。
そのときどきの「今」の私が、どの並行世界を自分の人生でオンにするかによって違った表現になる。
でも、どれを選んでも、私は私であることは変わらない。

様々な表れをとる私を通して出てくる一貫したテーマが、あなたにとっても共振する箇所があるのなら、今後も生暖かく見守って! 一緒に楽しもう。


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