喪失の観念、死を信じることを手放す【永遠のコミュニケーション】

私が記事の中で「夢の完成」と言うとき、夢とは私が経験するこの世界全体のことを指していて、その完成とは、この人生で「どういう地球を創りたいか、生きたいか」を指す。
私は、■病や苦しみのない地球 ■すべての生物が幸せに暮らせる地球 を実現させる意志がある。自分の夢(私が生きる世界)として。

私の記事をこれまでも読んだことのある方なら心得ていると思うが、自分の経験する現実は自分で決められる。たとえば先月の記事◆「自分の中の分断をなくすこと【世界・他者との関係】」でも、そのことを詳しく説明した。
これは各々にとって真実だ。
したがって、私が私の望む世界を実現するには、私の意識で作業することが必要だ。自分の外側に見えている他者にお願いすることではない。
わかりやすく言うと、他者を含めた「私の経験するすべて」が私の内にあるからだ。

これを完全に理解したからこそ、最近は「書くことがなくなってきたような気がする」と思っていた。ちょうど、前回の記事◆「難易度の幻想について(創造者の自覚、現状報告とともに)」の前半でふれたように。

けれどもその記事を書いた後、「そうか、自分が今何をしているかをシェアしてもいいのかもしれないな」と思いついた。その内容を表現することで、同じアイディアを「自分の現実において」活用できる人もいるかもしれない。
そして、早速これを書けると思うと幸せな気持ちになった。

冒頭で紹介した、私が完成させたい夢のうち「すべての生物が幸せに暮らせる地球」については、◆「次なる幕開け、ダイレクトコミュニケーション」という最近の記事で関連する話をしたばかりだ。

想像してみて。人間が、他の生き物たちとは「コミュニケートできない」という幻想から目覚めたら、生き物たちを巻き込んでいるどれだけ多くの問題が解決されるだろうか。
私たちは全体でひとつの存在であり、どんな生き物とも繋がっており、コミュニケートできるのだ。これを私は自分自身で実践して深め、何らかの形で他者にも共有していきたい……ということを他の記事ですでに述べている。

なので今回は、「病や苦しみのない地球」について語る。
それを実現するためには――「喪失の観念、死を信じること」を手放す必要があるのだ。

あなたは、自分が、あるいは他者や他の生き物が、「死にゆく存在」であると信じていないだろうか。
もしそう信じているのなら、喪失の感覚や悲しみ、無力感と縁を切ることはできない。

よみがえりプロジェクト【死別の幻想を超える】

最近の私は「ぴのちゃんよみがえりプロジェクト」を行っていた。一人で。

ぴのちゃんとは、私と私の家族が愛するうさぎで、約11年間を家族の一員としてともに過ごした後、2010年に亡くなった。
このnoteのみならず、ブログの過去記事にも何度かエピソードを登場させているので、印象に残っている方もいるかもしれない。

私は、スピリチュアリティーを教える仕事をしてきたにも関わらず、そして個人的体験として「亡くなった後の人や動物たち」と交流してきたにも関わらず、ぴのの死による「喪失感」から最近まで完全に抜け出ていなかった。
今や十年以上も経ったのに、そうだったのだ。

「存在」としては失われないことはわかっていても、あのふかふかしたかわいい姿、あたたかさ、手ざわり、眼差し、日々の営み……物理的世界にぴのがいてほしかった。「物理的に見えて、ふれられる姿でここにいてほしい」そのように恋しがると、心は喪失感で痛み、涙がこぼれてしまうのだった。

ぴのがいないことによって空いた穴は、他の生き物を愛することでは塞がらないように思えた。ぴのは、私にとって初めて「人間以外の生き物と、完全に、双方向的に心が通じ合う体験」をもたらしてくれた。
ぴのが生きている間は、私はときどきそれを疑っていたものだった。信じられないくらい「通じる」相手だったから。
この体験によって、私は、もう二度と「他の生き物とコミュニケートできることを否定しない」、そんな幻想に逃げ込まないと心に誓った。ぴのがその勇気をくれた。
その後も、◆「生物を精霊と見る・アニマルコミュニケーションの新段階」で書いた通り、私はアニマル・コミュニケーションにまつわる恐れの残滓を発見し、乗り越える必要があったのだが。

「ペット・ロス」という言葉がある通り、私のように動物に対しての喪失感を経験した人はもちろんのこと、大切な人との死別で悲しみ、苦しみを経験した人は多くいるだろう。
それをわかっている上で、この先の話をする。

今回、私が自分自身で進めていた「よみがえりプロジェクト」とは、死別を幻想であると理解し、喪失の観念を手放すことで、「今、共にいる」ひとつである私たちを実感するということだ。

このことは、私がテレパシーについての理解を深め、「コミュニケーションの本当のありか」を認識するうち、明るく差し込んできた光だった。
もはや概念としてではなく、定着した実感としてわかったことだった。

私たちは、内で信じたことを外に見ている。
いくらかでも悲しみを信じていれば、必ず、悲しみを外に見る。

死を信じれば、死を外に見る。
つまり「死ぬ存在として」自分自身を経験し、すべての生き物もそのように経験する。
これはあなた自身で変えられる。なぜなら、

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