クモへの今年の心情と、全生物に新たに実用したい夢

カエルが毎夜元気に鳴いてるよ……今年の梅雨は雨多いね、降ってない日でも大気がたっぷり水を含んでいて、カエルには気持ちいい季節かもね。
ほかにもこのムシムシとした毎日はある種の生き物に歓迎されてそうだなぁと考えつつ、この間◆「今年のヒヨの鳴き声は風鈴・地面とRangeは自分で決められる」で、自分の惹かれる生き物の移り変わりについて書いたことを思い出していた。昨年との自分自身の違い……そういえば、まだあったのよ。クモへの私のフィーリングも変化していたのだ。

昨年の私は虫を好きになる(昆虫以外にも広義に総称して虫と呼んでいる)中で、クモにだけは曖昧な反応を残していたのだった。
「虫って私の何なのか【夢の中での訓練と恐れの根源】」や、
「万年テレパシー状態に移行する」を読んでもらうと、その曖昧さ加減がわかる(どちらもほぼちょうど1年前、2020年7月の記事だ)。

といっても、上記リンク先と重複する情報になるけれど、私があまり親しみの気持ちを抱けなかったのは家でよく会うチャスジハエトリやアダンソンにで、クモ全般にではない。どうも、チャスジやアダンソンはあまりにどの住まいでも(都内に住んでいた頃も関東圏内の今も)多く見かけていたせいか好きになれなかったのだ。
そもそも彼らの体躯は見ないふり、触れてないふりしてスルーするにはしっかりしており、リアクションも跳ねるなど派手。けれども屋内に本当によくいて遭遇率は高い。そして私個人の好みでいえば、好きになろうとして写真や顔を眺めても(虫の顔を見ると好きになる法則が今まであったので)あの丸い目がレンズみたいで苦手だった。

もっとも、以前はチャスジやアダンソンと「目が合う」経験をほぼしたことがなかった。どちらかというと私の目線は常に彼らの体全体か背中に注がれていた。背中に模様があるときがあるし……脚も目立つしさ。

ところが、近頃の私は違うのだった。
彼らの一匹と家の中で出くわすと、バシッと目が合うのだ。
あの丸目がじっとこっちを見ているように見える。私も丸目を見返す。

以前は彼らの目の位置にまったく気をつけていなかったという事情もあるが、こんなにクモと自然に目が合うようになってしまった今となっては彼らを苦手と感じることはなくなった。
元々、家の中に迷い込んでしまい出たがっている場合の虫を除いては、「虫同士、食物連鎖でもなんでも好きにやってくれ」という気持ちで人間の私は家に虫がいても干渉しない姿勢を基本は貫いていた。例外として、かつては自分の部屋にいるクモだけは、自身の意向で大方外に出していたのだ(そのくらい好意的になれなかった)。

しかし昨年の虫愛エンライトメント(用語はこの記事で登場)を経て、クモに対する態度も軟化。好意に変わるほどではないけれど非干渉を貫く程度に進歩した。そして今。
特にその後努力したわけでもないのに、いつの間にかただの非干渉を超えた「同志感」をクモに対しても醸し出している私がいる。

壁にとまっているクモに気づくと、心の中で「よぅ」と言う。互いの存在に軽い挨拶。
「薄らいでいくことと存在のよろこび、コミュニケーションの姿勢の変化」に書いた通り、私は今は「意識的には」生き物たちと意味を言語化できるほどのコミュニケーション(一般にアニマルコミュニケーションと呼ばれる表現)をしていない。
だが、エネルギーの交流を感じている。

現在の私が実は専ら楽しく取り組んでいるのは、このエネルギー交流の分野なのだ。
丸目ちゃん(クモ)はもちろん、家に現れる羽虫でも観葉植物でも、気が向くとエネルギーを送ってみることにはまっている。
エネルギーとは日本語では気だが、純粋エネルギー導管に私がなるだけだ。特定の思いを込めた「念」を出すのではない。もちろん、殺気のことではないよ。
様々な手法のエネルギーヒーリングを見たり経験したり、自分でも学んだりしたことのある私が、これが一番いいと感じている単純なやり方なのだが、自分の経験上最もリラックスや癒しの効果があるのを実感している。

エネルギー交流を行っているときには自分自身が澄んで、境界がないことをおのずと知る・感じるとしか言いようのない静かで幸せな状態に入る。
その実体験から、以前より拡大した視野でエネルギーとは何なのかを見つめ直していると同時に、人間であれ他の生き物であれ種に関係のないこの方法を、必要なところにいつかもっと役立てられたら素敵だなと感じている。

☆ハエトリグモ続報はこちら◆「ちんまり身辺の生き物ニュース・目覚めたまま遊ぶエネルギー世界」
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