幸せの秘訣と、不幸の種の正体

私たちはどんな状況の中でも「慣れる」という能力を持っていて、たとえばあなたが少し離れてみれば異常と感じるような状況でも、いつのまにか自分の日々の普通になっていたり、到底受け入れられないと思っていた何かを受け入れていたりする。
これが良いことなのか悪いことなのかはさておき、私たちが反復を通してものごとに少しずつ慣れていくと、何であっても「常識」や「日常」になりえるということを喚起しておきたい。「これがスタンダードである」という夢の中で自覚を眠らせたまま生活するようなものだ。

そんなときにあなたの内の「気づいている自己」が、これを魂など他の表現に言い換えてもいいが、あなたに「ウェイクアップ・コール」をかける。起きなさい! 目を覚ましなさい! と呼びかけるのだ。どうやって? 
……そう、これもあなたの人生を通して、生活を通して、あなたの感覚に呼びかけている。

この呼びかけについてだが、なんてことない日常の、あることがあなたの心を揺さぶった……というさりげない場合もあれば、鮮明な「コントラスト」を利用することもある。
あなたにとっての「問題」や「難局」はそれに該当するし、ときには非日常的な楽しい出来事が強烈なコントラストを引き起こすことだってある。

さて、ここで私は「幸せ」というテーマを持ち出す。これまではそのための導入だ。
私たちは幸せを求めている。別の何かという形状の「覆い」によって本体が見えなくなっているときもあるが、あなたが何を求めているかの本質をよく見れば、「今よりも幸せ」あるいは「幸せの持続」を期待して何かを求めているということが判明する。

これについて、過去にも複数の記事を書いてきた。例を挙げると、
「人間は、幸せになるために生まれてきたわけじゃない(2019年12月2日公開)」
「幸せへの誤解をとく・幸せのありかと意識の力(2020年4月27日公開)」
などがそうだ。
このように私たちの人生に共通する本質をテーマに挙げる場合、私自身も自分の人生を通して再認識したり、さらに実感が深まったりと、同じテーマについての「見える景色が変わっていく発見」がその後も継続してある。実体験を通してより明るく揺るぎなくなっていく認識があるのだ。
「わかっていると思っていたけど、もっとわかった」ということで、この点で理解には終わりがないように思える。
その内容を、話して伝えたり記事を書いたりと言葉によってシェアすれば、表現の語句やフレーズは同種のものになったとしても、そこに込められる「密度」が変わっていく。

私は近頃、既述の例の中の「非日常的な楽しい出来事というコントラスト」を通して、幸せの秘訣が今まで以上にガツンと明澄になるという体験をした。
これまでも「わかっている」と思っていたことの、自分の人生のすみずみにまで実行はできていなかったポイントや実態があぶり出され、それを直視しているうちに今までよりも深い理解に達したのだ。

慣れ切った日常から出ることでよく見えること

それには◇「高齢者やネットになじみの薄い人にスマホやPCの使い方をわかりやすく説明する方法【コミュニケーション】(2022年10月19日公開)」という記事でふれた旅行が、思いがけず重要な役割を果たした。
読んでもらうとわかるが、この旅行は母方のおじたちを含む珍しい顔ぶれで実行した初めての旅行で、しかも旅先は、私がそれまでに二度しか訪れたことはなかったがとても好ましく思っている国内の自然豊かな土地であり、様々な点で貴重な経験となった。

日数は短かったのだが、旅行自体が非日常と言える上に、主に両親の世代を中心としたペースでのあれこれが私の日常とはかなり異なるもので、そのギャップがかえって良い揺さぶりとなった。
物理的にも、心理的にも、自身の日常から一時離れて、距離を置いてそれを眺めてみる機会となったのだ。
意図的にそうしようと思ってというより、そうならざるをえなかった。こういう「……ならざるをえない」という思いがけない流れで、内的な感覚としての強烈さも伴うケースは、先に述べた「ウェイクアップ・コール」と私は捉える。

私が発見したことをわかりやすく説明すると、こうだ。
日常の中ではあたかも野生動物が自分の弱点を隠すように私自身がうまく「薄暗がり」の中に隠してしまっていた「不幸の種」を、発見したのだ。
これが「ある」ということを見えなくするような生活は可能である。自身の弱いところをかばって生きることは可能である。
けれども、それは明確に顔を出す。顔を出していることを無視できるだけで、本当に見えなくなることはないのだ。

その「不幸の種」についてだが、たとえ話をしよう。
あなたが日々の八割は幸せで二割くらいは不幸と言うとき、それはどういうことか。あなたは不幸だということを言っているのだ。
えっ、たった二割で? と驚くなかれ。幸せと不幸はそれぞれ異なる状態で、幸せになったり不幸になったりと変化する状態は、私たちの観念上では普通のことのように捉えられがちだが、実はそのベースは「不幸」である。
なぜなら不幸とは、「幸せの欠如があると信じている状態」だからだ。

あるときは欠如を信じ、あるときはそうでない……ということはなく、何を信じているかという点で言うならば、欠如がベースにあるからこそ「あったり、なかったり」という感じ方が可能だ。

こうしたことは以前から記事等で詳しく伝えている通り、もちろん私は理解していた。論理的にわかっていたからこそ、今回の発見でよく見えた内容に驚き、そしてまた、自分の実行できていなかった「幸せの秘訣」をまざまざと認識したのだ。それは言葉にすると大変シンプルでありながら、本当にその通りなんだとしか言いようがない。

幸せの秘訣は、以下の通りだ。

幸せの秘訣と、不幸の種(幸せを求めているのに不幸になっている原因)

続きをみるには

残り 2,031字

¥ 1,100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?