早朝の野鳥体験+シンプルで分離のないエネルギーヒーリングを研究中

数日前の朝。いつも通りに鳥たちがにぎやかになる早朝、ピーカンの青空に思わず吸い寄せられるようにして、ふとベランダから外を眺めたのだ。
すると、家の目の前の高さの違う2本の電線上に、まさに、近隣に生息している鳥たちのうちスズメ3羽、ムクドリ3羽、オナガ1羽が一斉に集まり、その場所に並んでそれぞれににぎやかに鳴き声をたてていた。やや横向きの姿勢の鳥もいたけれど、ほとんど皆こっち(私の方)を向いている! ええっ……。

こんなに勢揃いで至近距離で目撃できることってあるの? と嬉しい動揺を抑えつつ観察を続けていると、ムクドリのうち1羽は大きめの虫らしきものを口にくわえていて、私が見守る中でそれをおいしそうに飲み込んだ。朝ごはんか……。
私からそのムクドリの位置まで、目視で確認するには距離と高さがあったので、残念ながら何を食べていたのか詳しく見えなかったのだが、生物であるということは感じた。もしかしてセミ? と思ったけど、羽のシルエットが確認できなかったので確かじゃないな。
★近隣のセミについて最近書いた記事◇「エネルギーヒーリングの豆知識、見え方感じ方など+セミの音」
★オナガについて書いた前回記事◇「その声の正体は、オナガ【自然から受け取る光景】」

スズメの隣にいると体が大きく見えるオナガは、前回記事でふれた日以降、改めて耳を澄ますと日がなギューイ、ジューイ! と、よく鳴いている。
ときには甘えた幼い感じのオナガの鳴き声が聞こえてくるので、雛が育っているのではと思った。夏は野鳥たちの多くが繁殖期、あるいはすでに育った子を連れて活発に活動していることを実感する。野鳥たちは、暑さや天候に関係なくいきいきと本当に輝いて見える。あれ、でも、それは夏限定でなくていつものことかな? 野鳥たちは常に活気があり、楽しそうなのだ。

私は今、主にエネルギー次元でのヒーリングを日々研究・実践しているのだが、こうして周囲の生き物たちの存在を確認しつつ、ヒーリングという行為に人間以外の生き物たちのことも含めて考えると、エネルギーヒーリングは便利だなと、その有効性を感じるんだよね。

元々「癒すこと」にあくなき関心があり、ヒーリングという概念についても「ヒーリングの究極の形や、極力シンプルにすること」を常に念頭に置いて探求する傾向のある私が、現在、何に着眼しているかを今回は語ろう。

相手と自分をひとつと見なすヒーリング

これまでのブログあるいはnoteの過去記事や、★霊的な目覚めと創造★マガジンを読んでくださった方にはぴんと来ると思うが、私はヒーリングという概念においても、自分と相手を「ひとつ」と見ている。

というより明らかに、他者へのヒーリングという行為が成り立つ時点で私たちが「分離した別々の存在ではない」こと、少なくとも「繋がりがある」ということの証になっているのだが、それ以上に個々別々の存在とは捉えない姿勢からヒーリングという現象を認識しているのだ。

「私」とは何か、世界をどう見るかという点が、ヒーリングの前提を決めている。
私たちを個々の独立した存在と見なすなら、「本人の気づきを促すこと」「意識の使い方を自覚し、理解してもらうこと」が私の経験上、最も効果のあるヒーリングになる。
かつて私が長年継続してきたスピリチュアルカウンセリングは、この目的に沿っていた。

しかし、ヒーリングを「分離を信じている自己意識(エゴ)」がある人間に対してのみならず、あらゆる生物を対象にしたのならどうだろう?
また、人間に対してであっても、私たちが個々別々の存在なわけではなく、この世界全体が各々創造者である「私」の夢(=意識が創造している反映)なのであれば。

この観点に立つと、ヒーリングという行為は相手に働きかけているようで「自己」に働きかけていることになる。

どれだけシンプルにできるかと、知覚の効能、瞬時の癒し

意識の仕組みがわかればわかるほど物理世界の常識から自由になり、非物質次元におけるヒーリングも「実はこのくらいシンプルでいい」という原理がわかってくる。

その一方で、物理世界になじんでいる私たちがいかに知覚に頼っているか、それによって現実味を感じているか、そこでの効果も実感する。

私が今吟味しているのは、「知覚による説得をどれだけ省けるものなのか」だ。たとえば◆「エネルギーヒーリングの豆知識、見え方感じ方など+セミの音」の中で、飲む水にエネルギーをチャージする方法を紹介したが、本文で言及したようにこれも知覚にさえこだわらなければ瞬時に行えることなのだ。

私たちが物理次元で実感し、知覚するために行うことと、意識の次元でただ起こっていることとは異なる。物質世界のレベルに近い体感や知覚をするには、記事に書いたようなやり方がおすすめだということだ。

一方、意識のみにフォーカスするなら、ヒーリングも極めてシンプルな形をとることが可能だ。

ときにヒーリングセッションが(実際の作業はしつつも同時に)「パフォーマンス」のようになる背景には、人間の知覚と実感というポイントがある。
例をあげるとシャーマンの一連の手順や儀式的行為、あるいは心霊手術などと呼ばれる「物理的に経験できる」ヒーリングがそうだ。
それらは、人間が「知覚」によって実感を得るという習性に配慮した方法だ。そういった形式が絶対に必要だというわけではない。

私がヒーリングを行うときには、以前も書いたように透明な導管になり、自分の直観のほかに非物質のヘルパー存在の指示、インストラクションに従うのだが、私自身が完全に許可すれば、ヒーリングを究極にシンプルな方法で実現できるのだという洞察がある。

本当のところ、それこそが5月末から6月に連載した◇「人生明晰夢化講座の冒頭でふれた、シリーズ開催のきっかけとなった「どうしても、どうしても、どうしてもそれを解きたい!」と私が考えていたことなのだった。

私は、いわゆる死後の非物質次元で、本人さえ気づけばどんな生前の症状や傷も瞬時に完全に癒されることを度々目撃し、知っている。
「この状態を維持しなくていいんだ」「今私は完全なんだ」と自身で気づくだけでいいのだ。
そしてさらに言えば、生きている間にも同じシフト・癒しが可能なことを自ら経験して知っている。

これを自分自身のみならず、個の目線から見た場合の他者(人間、人間以外の生物問わず)にも適用することが、今の私の目標、心血注げる情熱なのだ。


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