この世に結果を求めない【You are not a super human】

今回のタイトル「この世に結果を求めない」、じゃあどこに結果を求めるんだよっ! と思ったとしてもそれは道理で、私たちは基本的に自分のことを「この世の中のいち個人」と思っているから、その活動の場であるこの世で結果を見ることができないのであれば「意味がない」と考えがちだ。

何、何が言いたいの? じゃ結果が出るのは来世? それとも、今の自分が実感してない魂とか全体自己のために生きていると? いやいや、私の言いたいのはそういうことではない。
私は今のあなたが満たされていると実感することは大切だと思っているし、そのための話をするところだ。

私たちはこの世を自分の「舞台」だと思ってしまっているから、何か目的を定めるときにも、ものごとを評価するときにも、「ここ」で自分の期待した通りの結果を見ようとしがちだ。それこそを目標に据えてしまうし、現実に現れているものを見て判断もする(成功、失敗、良い、悪いなど)。

けれども、あなたはこんな経験はないだろうか。
他者からほめられたり、称えられたり、羨まれたり、それどころか自分自身が定めた目標を達成したはずなのに、実は幸せではない。
思ったよりもうれしくない、心が空虚、あるいは本当は「これじゃない!」というはっきりした思いが湧いているなど。

だからといって次なる、もっと確からしい「幸せのアイテム集め」に走る前に、立ち止まりたい。はたして「状況」や「形」にあなたの心はついてくるものだろうかと。

どっちが先なんだ? 心? 現実?
あなたの精神? それとも世界?

発信者が発信した内容を世界は映し返すが、自分が発信していることを忘れれば、世界があなたに何かを押し付けているように経験される。

わかるわかる! だから、なにごとも自分の内では「ポジティブに」解釈しなきゃだよね! だって、その姿勢が「次の現実」を決めるのだから! こう後を続けたくなる人がいたら、ちょっと待って。

確認しよう。あなたは「自分の感じていることを否定してまでポジティブになる」ことを自分に課していないか。

根本が同じままの、にせポジティブ

前回の記事で、「違和感」の役割にふれた。
「美や外観、健康の観念への違和感【遊びと執着の違い】」

私は違和感というのはとても大切なサインだと思っている。冷静に振り返れば、これをただ無視してものごとがうまくいったことはないのに、前回記事で書いたように違和感自体を「不都合だから抑圧する」という経験が私にもある。なぜそうしてしまうのか、よくわかるのだ。
たとえるならば、皆が笑ってる、和やかなピクニック。こんなところで私が違和感のサイレンを鳴らしたらこの状況が台無しになっちゃう。だから黙ろう、同じように和やかに感じているふりをして違和感を静めよう――そんな姿勢に似てる。たとえ違和感が生じたのが「ひとりの中での」出来事、自分だけにわかる人生の局面であっても、このたとえは当てはまる。

けれどもこの解決策は、よく見ればとてもおかしい。
「違和感」はあなたが感じていることで、あなたの中で生じているのに、「自分が我慢すれば何とかなる」「これを感じていないふりをすれば何とかなる」と思ってしまうからだ。
もう一度言おう。それは「あなたの中で起きている」のだ。

元から「あなたの内で起きたこと(違和感)」を、ほかならぬあなた自身が無視して、これを解決できるのだろうか?

ここに明らかに「にせポジティブ」の問題点がある。なぜなら、

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