性やセックスについてのnote、はじめます

性やセックスについて、これからnoteで連載します。
この記事はイントロとして、どうしてこのトピックを扱うか、どんなことをしていきたいかをお話ししています。

私が、性やセックスについて書きたい理由

これは長年、私がやりたいけれども、私の役割「じゃ、ないかなぁ……」と実行に移さず、心に留めながら引き延ばしてきたことでした。
私個人のスピリチュアルカウンセラーとしての仕事の中で、これまで、性にまつわるご相談を受けることは少なかったのです。ところが気になるのは、プライベートで親しい間柄にある人々はそれなりに皆、性について語ることを持っていて、独身であるか既婚であるかには関係なく、世の中全体を眺めても、性についての「不要な観念」が人間を多かれ少なかれ苦しめているのではないかと感じてしまうことでした。

個人セッションにおいて性にフォーカスしたご相談が少ないのは、単純に、「話しづらいから」という可能性があるのではと感じていました。私自身の仲の良い友人ですら、「こんな話はほかの人にはできなかった」と言って、話した後に安堵の表情を見せてくれたことがあったのです。口に出して言語化するには勇気が要ることもあるものです。

その点、noteの文章で様々な話題を提供する形式をとれば、性のトピックに関心はあるけれど話せなかったり、相談しづらかったりする方にも、独自のペースやタイミングで適宜役立てていただけると思いました。

エネルギー的な存在として見た場合の性

それから、セックスという行為そのものについて言えば、エネルギー(目に見えない世界とされている、私の専門分野)の観点からも、決して軽々しく扱えるものではないのです。

エネルギーそれ自体に、性のエネルギーという特別なものがあるわけではありません。私たちがそのように分類して感じるだけで、エネルギーはひとつです。
ですが、セックスはエネルギー交流の中でも特殊なものであるとは言えて、誤用すればその影響を残しやすく、健康な状態を阻害することがあると理解して「リスペクトを持って」扱った方がいいものです。

「スピリチュアル」と呼ばれる分野の中でも、性についてのアンバランスな解釈が見受けられることがあります。過剰に性への執着を焚きつけることを奨励したり、逆に抑圧や乖離することを奨励したり、といった具合にです。

すべてのアンバランスは、「肉体」によるものではありません。
どんなに体に属している表現に見えても、それを起こしている「根本」は心にあります。
ところが、自分自身を「体」であると錯覚することがスタンダードになってしまった私たち地球人は、体のレベルでの表現を見たり、体験したりしないと物事を信じないことがあるのです。
その意味で私は、性に関しても皆さんが実体験することのできる「体の経験レベルから」語ることを手段に交え、その本質である心を健康な状態にすることを目的にしています。

永遠に変わらない価値のあるあなたへ

私は仕事時以外にも、人間がどういうことで悩むのか、どんなことを問題と感じるのかに興味を持って見ています。そして、それに対しどんな風に解決を示すことができるのか、ケーススタディのように考える性質があります。

すると、いつの間にか「人間」目線から離れた、霊(魂と言ってもいい)的な観点があらわれて、自分も含めた人間全体への、愛しさを感じます。

それは決して、私たち人間の悩みを軽んじているからではありません。そうではなく、あなたのすばらしい価値と関係のないところで、それ(問題や悩みと感じているもの)があなたの価値を減ずると、思い悩んでしまうことがいとおしいのです。どれも本当は、悩む必要のないことをそのように信じてしまった思い込み、「誤解」にすぎません。

あなたがセックスをする人でも、しない人でも、性にまつわるどんな過去があっても、なくても、そしてこれからどのように生きようと、あなたの価値は変わりません。
ただ、あなたの生活の中に何らかの形で性の要素が入ってくるなら、それがあなたの本質を反映する、幸せなものでありますように。
これを願って、お届けするシリーズです。


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物書き、元スピリチュアルカウンセラー。ブログは https://beats-and-love.hatenablog.com