世界よりも、宇宙よりも大きなあなた【ひとつの目的を知る】

単刀直入に、こう尋ねられたら――あなたは、自分の生きる「目的」とは何だと思っているだろうか。
時に沿って物理的に生きていると思っているときの私たちは、細切れのたくさんの目的を見る。それらは次々と移り変わる。自分を「体」と見なしていると、一見「体としての生命を維持することにまつわる大同小異の目的」を作り、それらを時に入れ替えつつ優先する。そこには、実は「体のため」という表層上の目的の奥に「別の目的」があるのだが。

先に明かしてしまうと、「別の目的」とは「普遍の真実に対抗するため」「自分自身を、真我ではない別個の存在だと思い込み続けるため」である。このことは、本記事の全体を読むとより理解できるだろう。

数々の移り変わる目的を重視することは、私たちの目くらましとなる。
移り変わる目的は目の前の必要を満たし、あなたをほうぼうへ連れて行ってくれるように思えるが、あなたの設定する目的はすべて、本質的な真の目的に仕えるか、それともそこから遠ざかろうとしているかのどちらかだ。

決断するとき、あなたは何かを基準に決断する。意識的にであれ無意識的にであれ、あなたが基準にしているその何かというのが、この記事で取り扱う「目的」なのだ。

手段は、目的に従う。手段によって結果を選択しているつもりになっているとき、目的を「先に」選んでいることに気づいているだろうか。
手段をあれこれ変えても、目的が誤っており、自己と一致していなければ、本質的な変化は起こりようがないということだ。

真の目的はひとつと言えるが、この世界を経験している私たちには二種類の選択ができるようになっている。

入ったなら、出る【出るとは何を指すか】

「生きる目的なんて知ってどうするの?」とか、「ひとつに決められるものじゃないよ!」とか、このテーマ自体への反発の気持ちが生じる場合もあるかもしれない。
実際、すべての人に共通の、言い換えれば「地球ゲーム参加者共通の」目的を大目的とすれば、小目的に見えるものは各々異なっていて、それを他者に定義してもらうことも、自分で早々に結論づけることも必要ない。
ただし認識する必要があるのは、様々に異なって見える小目的は「大目的の手段である」ということだ。

あるいは、「目的などない・何にも意味はない」などの超越的な結論に飛びつくことをせず、じっくりとこのテーマを吟味して確かめていこう。
そのような結論は、ある立場に自分を置いてはじめて筋の通ることであり、あなたが「この世界を経験している」状態の中で主張しても利はない。それどころか、「無目的であることが目的」と自分を騙そうとするならば、真の目的が依然としてあなたを導いていることを否定し、無視することになってしまう。

さて、どんなことでも言葉を用いて説明する際には、物理的な世界の経験になぞらえ、たとえることになる。私たちにとってすでになじみ深い世界観を使っているのだ。
そのように便宜上の表現をしていることを理解してもらって、こう言おう。
あなたは「入ったなら、出る」のだと。

入らないなら、出る必要はなかった。入ったら、出る必要も生じた。
というよりも、「出る」経験をするために「入った」のかもしれない。
時の序列がなければここのところは表裏一体、どちらが先とは言えない。

この世界の経験をゲームにたとえると、あなたはゲームに参加した。自分を「体である」と見なしている間は、あたかも「死」がゲームの終わりであるように勘違いしがちなのだが、そうではない。

ちなみに、このゲームへの参加は、あなたに押し付けられたものではない。あなたが自ら参加した。そうでなければ、この経験をしていない。
まずはこれを受け入れ、「自覚のあるプレイヤー」に戻ろう。

次に、参加したゲームから「出る」ということだが、繰り返しになるがこれは言葉の上でのたとえであり、物理的な出口を目指すことはない。
しかし、あなたの本質的な目的(先の説明でいう大目的)は、この「出る」と表現したことと大いに関連している。

この記事の内容をはっきり理解し、あなたの人生に適用できるよう、まずは自分にこれを問うてみてほしい。あなた自身の心を、正直に見つめながら。
現状、あなたは、

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