セックスのあれこれを、体に関係ないという観点から理解しよう

性やセックスについて書く宣言をした初回。ここからは異色の展開と感じる方もいるかもしれないが、こんな話から始めたい。

体は重要じゃない。
性生活やセックスは、あってもなくてもかまわない。

何も体を軽んじようと言うのではない。とはいえ、私の意図は「体が第一」とか「セックスは大事だよ」という話ではない。

ところで、私はハウツーのようなものを書くつもりはないが、私自身の考えを率直、明快に出していきたいので、この機会にご注意事項◆「私のnoteをお読みいただくにあたって」を追加した。
私のブログをお読みの方にはすでにおなじみの確認になるが、内容を受け取るにあたってあなた自身の心にこそ注意して、自分がどう感じるかを見極めてね、ということだ。どんな情報も鵜呑みにする必要はない。

私は私の知っている真実を語るが、人によってはそれがショッキングだったり、受け入れられないと感じたりすることもあるだろう。そのときはあなた自身の思うところに従ってもらいたい。

これから語る性、セックスについての定義

これから語る「性」とか「セックス」という言葉について、簡単に説明しておこう。

ここで言う「性」とは、ジェンダーのことではない。それは扱わない。性的な、とかセクシャルな、という意味で性という言葉を使っている。性生活のことと言ってもいい。
それから、行為としての「セックス」について、生殖目的という側面はここではフォーカスしない。明らかに現在の人間は、他の生物のように生殖目的だけでセックスをしているわけではなく、別の目的も持っている。その「別の目的」の方に沿って語る。

パートナーが異性か同性かは関係なく、共通した話になる。

セックスはコミュニケーション

どんなセックスも、コミュニケーションである。エネルギーをやりとりし、交流し、肉体としてもふれあう。肉体がふれあう行為は、心から始まる衝動の「結果」である。

この明白な点が忘れられてしまうと、共に参加している行為なのに繋がりの感覚が得られなくなる。心がひとつになっていないからだ。
一方的な会話、ちぐはぐなやりとり、儀礼的な挨拶、独り言……などと一緒である。ひとりよがりなセックス、義務や演技のセックスなど、似たものが思い浮かぶのではないだろうか。
セックスが苦痛だったり、体に負担になったりするときには、コミュニケーションの観点から見直した方がいい。
セックスは愛のコミュニケーション手段にもなり得る一方で、心のありようによっては、「暴力」にもなり得るからだ。

あなたが向き合っている相手と、エネルギー的に何が起こっているか

コミュニケーションとして相手と「対話」しているのだと理解すれば、自分が信じ込んだマニュアル通りに行為を進めようとしたり、相手を「モノ」のように扱ったりはできないはずだ。

さらに言えば、あなたはあなた自身の半身、言い換えると、相手の姿として見ている「あなた自身の反映」とコミュニケーションしている。

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セックスのあれこれを、体に関係ないという観点から理解しよう

masumi

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物書き、元スピリチュアルカウンセラー。ブログは https://beats-and-love.hatenablog.com

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