変えたいという思いから手を引く【葛藤のない創造者として】

私たちの誰もが本当に、本当に、何かをコントロールしたいと思っていることに、あなたは気づいているだろうか。
戦略、方法はたくさんある。たくさんの、根本は同じ試みの「形」がある。
表れ方が様々であるという点では、たとえば無関心や不参加といった選択の中にでさえ、コントロールしたい気持ちは存在しているのだ。
ところで、この記事では、コントロールしたいという望みそのものについて否定する意図はないのだ。それどころか、その思いが生じるのは自然で必要なことである。

あなたが何か創作活動をしているのだと考えてみよう。作品を仕上げていく中で、意識的にであれ無意識的にであれ、このようにしたいというイメージやヴィジョン、方向性、意図を内に抱き、それを形にしていく。表現していく。
同様に、あなたの経験する現実、人生というものがあなたの作品であれば、自分の作品を望むあり方へ「コントロールしたい」という思いがあることは自然なことだ。

それにも関わらず、この記事の題には「変えたいという思いから手を引く」とある。なぜだろう?
矛盾するようだが、あなたが人生を自分の作品として眺める創造者の視点を持つには、このことを覚えておく必要がある。
以下に説明する内容は折にふれ、あなたの態度、あり方が創造者の立ち位置にフィットしているかどうかのチェックポイントとして用いることができるだろう。

「変えたい」思いが苦しみに変わるのはなぜか

すでに述べたように、コントロールしたいという思いがあるということは、場合によっては何かを「変えたい」という思いが生じてくることにもなるのだが、これ自体は問題ではない。

このことを理解してもらうために、まず、本来は自然な働きの一環である「変えたい」という気持ちの発露がなぜ、「苦しみ」になってしまうことがあるのかをお話ししよう。

違いをはっきりさせておくと、「変えたいという思いから手を引く」ということは、本当は変えたいと思いながらぐっと我慢して「これでいいんだ」と思うのとは違う。また、変えたいと思っているのに「受け入れる」ポーズを取って耐えるのとも違う。「あきらめる」のとも違う。

こうした違いの「根っこ」にあるものをごく身近なたとえで明確にすると、こういうことだ。

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