全的自己と個の側面の統合【ストレス・フリーの創造】

自分の自由になるんだよ、あなたは創造者である! と、そんなことを言われても責任や選択の重みが増すだけ。人生の作者は「誰か」である方が楽。人生にあらかじめ決められた制限が課せられていれば、それを課した誰かや何かの責任であって、私のではない。自分の知らないところで創られた物事に対する失望、不満の気持ちを味わうことは当然だし、誰かに向けたい怒りや悲しみを究極的には「いるのかどうかすらわからない作者」へとぶつけることができる。それか、無力感に裏打ちされた「あきらめ」の心で疑似平和に浸ることもできる。

……私たちが、自身に突き付けている選択。
それは、「意識による創造」をどう捉えるか。
「捉える」という言葉に、この問いのポイントがある。なぜなら、私たちが「どう捉えようと」真実は変わらないから。

人生という劇の中の「登場人物のひとり」だと思い込むことにうまく同調しているあなた、それでも真実は根気よく、あなたの受信をあてにして呼びかる。あなたは創造者そのものであると。
あーあ、「私の人生」というこの劇の担当シナリオライターはセンスがないようだ!? そんなことを思うときにも、そのシナリオライターとはあなただよと伝え続ける。

私たちはどうしても、無意識的にであれ「自分の人生を取り仕切っている・取り仕切っていない・ときどきは取り仕切っていると感じるけれどときどきはそうではない」などのフィーリングを味わっている。意識してこのように言葉化することはないかもしれないが、自分の人生を自分が取り仕切っていると感じるときには、まるでゆったりと運転席に座ってドライブし、運転者も車も景色もすべてが一体となっているような心地よさを感じるだろう。

――様々なアップダウンがあるように感じる人生で、果たして「ストレス・フリー」で生きていくことはできるのか。まして、自分が自分の人生の創造者であるという自覚を持ちながら、負担を感じずに創造し続けることはできるのか。

これに対する答えのひとつを、2020年11月の記事◇「ここからは、二人で【夢の外からの導き手】」と、◇「助けを受ける『資格』という誤解」の中で説明したことがある。
昨今私は、そこで語った内容の重要性を改めて実感しているところだ。

だから、この記事では同質の話題を扱いながら、ストレス・フリーの創造が可能なこと、その実践、どうしてそれができるのかを説明する。
そして、私たちが「何に向かっているのか」も。

ゲームのキャラクターになり切って考えることもできるという驚異的な仕組み

私たちのこの「創造のゲーム」を難しくしているのは、「私」というアイデンティティーを誤ったところに置くことができている点にある。
つまり、あなたはゲーム世界の「外」のものであるにも関わらず、ゲームの「中」のキャラクターだと錯覚し、その前提で物事を判断し、考え、暮らすという具合だ。自分の意識調節によってこれを可能にしている。

あなたがゲームクリエイターで、あなたの意識の中に「ゲーム全体」があるとすると、あなたがゲーム内のキャラクターの一人を「私」として想定し、そう思うことに集中できているということが驚異に値するとわかるだろう。
あなたの意識の中にあるという点で、ゲームの世界も全キャラクターも全部があなただからだ(そしてゲーム自体もほかにたくさんある。複雑になるので今回はこの話にフォーカスしないが)。

これをきれいに忘れていられるという驚きをまず認識してもらって、では、「真の(ゲームの外にいる)あなた」の自覚を持ったまま、創造していくにはどうしたらいいのだろう。
ここに、「ストレス・フリーの秘訣」が関係してくる。

ストレス・フリーで創造できる秘訣

これから説明すること(秘訣)があなたの「普通」になるまで、あなた自身がこれを理解し、実行する必要がある。実行しなければその効果がわからず、信頼が育たないからだ。

理解が必要な理由は、「なぜそうするか」をわかっていると、しかもやがて「完全にわかる」と、実行することにもう努力は要らなくなるからだ。
あなた自身がわかっていて納得してそうするのだから。

ストレス・フリーで創造できる秘訣とは、

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