伝わる、ではなく、同じもの。コミュニケーションの真実

なるべくまだ書いたことがないことを書きたいものだと思っている。近頃は特にそう感じるようになって、その一方で今私が経験している新しい実感は書いて表すのに今のところ向いておらず、文章から離れていた。
そんな中、ふと、「コミュニケーション」という話題では人間同士の、また他生物とのコミュニケーションについて度々書いてきたものの、これを説明しきれていただろうか、と思いつく内容があった。

それが今回の「伝わる、ではなく、同じもの。コミュニケーションの真実」だ。
ちなみに真実というのは、この世界で「そのように見える」外観のことではない。

さて、コミュニケーションにまつわる私的な流れとしては、少し前の時期、2021年が明けた頃にはまだ私は世間的に「アニマルコミュニケーション」とカテゴライズされる他生物との交流の仕方に情熱を持っていた。それがその後、ものの数ヶ月も経たない間にそこへの情熱の投入はみるみる「終了ー!」となったので、記事を順に追って読んでいた方の中には戸惑った方もおられるかもしれない。
3月の上旬◆「薄らいでいくことと存在のよろこび、コミュニケーションの姿勢の変化」という記事で、その経緯というか、私がどのようにものごとを見ているのかをその時点の姿勢をまじえて書いた。

しかしそれは変化というより、以前から「そうなのだ」とわかっていたことが体験として腑に落ちた、本当にそうなのだと揺るぎなく定着したということで、新しい情報を導入したわけではない。
ないけれども、概念として知的に理解するということと、疑念の入る余地のない実感を伴う確信とは、その質に大きな違いがある。

「コミュニケーションとは何か」ということを見つめるとき、あなたがこの世界をどう眺めているかが直接関わってくる。
さらに言えば、「私とは何か。自己を何だと思っているか」が関わってくる。☆関連記事◆「何者でもない、を極めていく」
あなたの体験のすべては、この考えの上に築かれているからだ。

「伝わること」や「影響」という幻想

コミュニケーションというと、相互に影響を及ぼしあう交流というイメージがあるのではないだろうか。
コミュニケーションの手段が何であれ、そこには私と、私でないものが存在し、両者間でのやりとりがある。

これをもう一歩すすめると、たとえば多くの人にとって「森羅万象は繋がっている」という考えについてはどこか受け入れやすい感じがするのではないだろうか。
そこにある世界観は、個々の様々な存在同士が影響を及ぼし合い、それぞれの変化もさざ波のように広がって、何かしら伝わるのだというものだ。

しかし、私がここで語るのは「影響は幻想」ということだ。
私たちが慣れ親しんできたこの物理世界では形があり、「差異」が自然に見え、「時間」や個別性を前提とした「伝わる」という概念に意味がある。

しかし、真実はそうではない。
真実においては、

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