外界・現象に力を与えるか、自分のマインドか?

リマインドのお時間です。自分が創造者なのに、創造者ではないふりをしているあなた。創造に限界はないのに、限界のある創造者だと信じるゲームをしているあなた。それを楽しんでいると感じていますか?
うんざりしたり疲れたり、むなしくなったりしているなら、ゲームチェンジをしたいのかも。

あるいは――この記事は特に、このような人に話しかけている――経験している世界は自分自身の見ている夢なのだということに目覚め、もう忘れることはないと思っていたあなた。それでも、いつのまにか「自己の外に現象がある」かのように考え、反応し、ふるまっていることに気づく瞬間はないだろうか。
自覚できることは素晴らしいが、そんなとき、自分以外の要因を信じていたことは明らかだ。
「創造の一部を自己から切り離し、自分の創造物ではないと言い張る創造者」になることを選択している。

だからどうしたの? その方がやっぱり世間一般の真っ当な考えだよ。外に要因があることだって、あると思う。適宜対処したり・しなかったり、ままならないことがあっても受け入れて悲しんだり喜んだりしながら生きていくこと……それが人生だよ、とそう思うことで納得するなら、それも選択だ。
けれども、そうしたものの見方ではまったく何かがおかしくて、根本解決もしない、これが「唯一のゲーム」なら楽しくないなと心底思うなら、続けて以下を自身に問うてほしい。
「すでにあなたが知っていること」のリマインダーとして。

あなたの夢(自身の経験・現実)を、自覚のあるまま見ている「明晰夢」にしているか。あなたは今その認識に沿っているか。

変える場所を間違えず、真の拠点に戻る

中には、イエスと答えつつ「私はこれが自身の意識内の夢だと知っている。私の創造している現実だと認めている。でも、この夢の一部に関しては私のものではない。部分的に他の決断の影響を受けている」と複合型の折衷案を作っている人もいるだろう。
これはしばしば私たちのマインドへのネゴシエーター(別名、分離を前提に考えを働かせるエゴ)が勧めてくることで、一時の安楽に目がくらんでこの折衷案を受け入れてしまうと、真の平安からは遠ざかる。

一時の安楽と表現したが、これはあなたが創造者である認識を放棄することで生じる表層上の「楽さ」、たとえば様々な気に入らないこと、手に負えないと感じること、望んでいないこと、不愉快さなどの生じる「起源」を他者や自分以外の何かに帰属させることで取得する慰めの感覚だ。
マインドの中でそのように折り合いをつけると、あなたはほっとする。外の〇〇のせいなのだ、私の力が及ばない原因によるものなのだと。

これがなぜ、一時の安楽にすぎないのかを慎重に見てみよう。
「外の〇〇のせい」を作る以上、あなたは自分の真のアイデンティティーにカーテンを引いてしまう。自分の見ている夢でありながら「この夢は私の夢ではない。きっとどこかの誰かの夢に迷い込んでしまったのでしょうね」と自己を納得させることにうつつを抜かすのだ。
法則のわからない不思議な世界の中で迷子になっているかのように、あなたは「ほかの何かが見ている夢」に参加し、生きているのだと思い込む。それはあなたの夢ではないのだから、そこで起きることは本質的にあなたに関係がなく、自分や誰かの経験から学んだことだって毎回役立つとは限らない。何かもっと確からしい拠り所を見つけたいが、確実なものは決して見つからず、せいぜいポジティブな心構えで暮らしながら幸運でも祈るしかない。

立派な幻想に拍手! 
自覚して夢を見るあなた、現実の創造者であることを認めているあなたは、そんな幻想から抜けることができること、平安はその「中」にはないことを理解しているだろう。その認識を保っているなら、幻想に引き戻されそうになる度に自分を正気に戻すことができる。
以下の複数の質問をあなた自身に尋ねて、よく実感しながら答えるといいだろう。
これによって、あなたの意識の焦点を真のアイデンティティーに戻すことができる。

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