型にはまりすぎだよ【えせポジティブから外れる】
今月入ってからのライブ配信でもお話ししたことだけど(こちらとこちら:リンク先はYouTubeのアーカイブ)、
私は精神世界・スピリチュアル分野の学びについて、「この自分で生きてくために仕方なく」歩んでいった流れがあり、物理的・現世的サバイバル法や知識が何も役立たなかったので、別のところに目を向けざるをえなかったという認識がある。
この人生を「より」良くしたくて!
叶えたい夢があって!
……という熱いポジティブさでそこに向かったのとはだいぶ違うため、こうした「動機の違い」が今でも通奏低音のように自分に流れているなと思う。
すると、「人生でこれを叶えたい!」「地球体験の中でこうありたい!」というワクワクだとか情熱というものを追おうとすると、自分をその気にさせる「ポジティブ洗脳」みたいなのがある程度必要になるという側面がある。
それは芯からナチュラルな自分であるだけの、存在に備わっているポジティブさというものとは、また別でしてねぇ。
そこはやっぱり、いかに自分を騙そうとも自分自身で区別がつくのである。
あるいは、私がそれだけの勢いのあるポジティブさについていけるほどの「エネルギーヴァイブレーションの高さ」に達していないということなのかもしれないが、そしてその場合は今後変わる可能性があるのかもしれないが、今のところは「陰影のある自分を否定してはならない」ということの方が私の導きや直観の正確な解釈に近い。
先月のnote記事「イカれてるタイプA【地球になじむことはなさそうだ】」などの内容を私が定期的に書くのは、本心を素で表現するならば「勢いのあるポジティブさを保てない」という自己の心の声があって、そこを踏み越えてまでポジティブでいようと努力すると、「いや……そう思えてないんだ」という自己が表出してくるからだったと言えよう。
そういうことをほとほと自覚してから、近頃は自分の中からあらわれてくる透明な導きのみをなるべく見つめているのだが、
(参照:前回の記事「透明な導きに心を傾ける」)
それでわかってきたのは、「型にはまりすぎだよ」ということだった。
興味深いことにここしばらく、私が行っている個人セッションであるとか、精神世界の話もまじえながら交流している人たちに対し、まさにそういった助言をする機会が重なっていたのだが、よくあることだがそれは私自身にも同時に示されているメッセージだったのだ。
ただし、私が「型に自分をはめようとしている」あり方は、他者に対して説明していたそれよりもっとわかりづらく、一見、心の解放を目指していたり自由さを第一にしていたりする陰で、巧みに自分を縛っていたというところで、その内容をここではシェアしたいと思う。
また、これを読んでいるあなたへの「メッセージ」も最後に入れてある。
これは私の人生や存在意義にまでかかってくる命題で、これがあったからこそ、私の人生はいつもその本質をむきだしにできるわけではない「不自由さ」を感じていたのでは? と思えた。
全体を可笑しく思っているような真に楽しい自己が抑えられ、
スンッ
となるような、つまらない気持ちの自分が定期的に前面に出てしまうのは、自分自身を型にはめようとしてきたからだ。制限してきたからだ。
そして、なぜ私がそんなことをしてきたかというと、ここ、地球人生に適応しなければならないと考えていたからだ。
それは考えるというより常に追い立てられているニーズのようなもので。
私にとっては、目の前にある「現実」だったからだ。
透明な目で、自分のそのようなからくりを見つめてみると、
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