蓼食う虫も好き好き。隣の芝生は青くない。~恋愛の苦労はやめていい~

むかーしむかし、その昔。「三高」なんて言葉が流行ったそうな。なんとか第三高校の略じゃないよ(笑) それは世の女性が理想の男性に求める条件で、「高学歴、高収入、高身長」のことを指していたという。
その条件のどれもが、自分にとっては全然理想じゃないので、それを望むという人たちが本当にいるのかどうか、不思議でしょうがなかった。

※この記事は最後まで無料公開しています。現時点での傾向としては、有料記事の方が、よりスピリチュアルな観点から語る内容が多めです。

個人の好みは色々。蓼食う虫も好き好き

中でも一番信じられないのが、高身長。こればっかりは、本当にどういう点でそこがプラスの評価になるのか、私にはわからない。
恋愛において外見というのは、理想があるようで無く、「けっこう振り幅があるもんだなぁ~」と個人的には思うのだが、それでも自分の好みの傾向というのはある。
私は、自分よりは背が高く、でも高すぎない(世間的には、男性の中では小柄と言われるくらい)のサイズ感の人が大好きである。つきあった人の8割くらいがその身長だったかもしれない。相手が海外の人である場合ですら、そうだった。決して、身長で選んだわけではないけどね!

もちろん、どんな体型、どんな背の高さでも、その人自身を好きになれば、関係ないのである。ただ、自然と惹かれる好みの傾向が、私にとってはそうなのだ。(敬愛しているラッパーのLil Wayneの体格は理想かもしれない。)なぜかということにフォーカスしてみると、目線が近いことや、体のサイズが自分とかけ離れすぎていないのに、ちょっと大きいところが好きなのだと思う。

背の高い人ともつきあったことがあるけれど、相手はどちらかというと柳を思わせる細身の人で、圧迫感が少なめだった。しかも人間観察力や人の話を聞く力に長けている、声の通る人だった。ええ、何が言いたいかというと、身長差が大きく出てしまう場合、私は互いの声が届きにくくなったり、圧迫感があったりするとどうも心地よくないみたいなのだ。

くれぐれも、その人自身を好きになれば乗り越えられる要素ではあるけれど、もし「趣味」を述べるなら、高身長の人は、私のつきあう相手としては趣味ではないということになる。
ところが、我が家の女共(母と妹)は高身長の男性は素敵だと昔から言うのだった。「あの人、かっこいいけど背がもう少しあったらもっと素敵だね」などと言うのである。わからない。

このように、蓼食う虫は好き好きである。(三高の、あと2つの条件の感想は省略させてもらうね。私がなぜそれらを重視しないかを語ることは、今回の本題ではないから)
自分の好みについて探求し、明確にし、公に語ってみれば、それぞれすごく違いがあるものなのに、「ひとまとめ」にしてこういう条件の人が望まれているだなんて、そんな決め付けは乱暴すぎるのだ。

モテたいという謎の願望。錯覚じゃないか、それ!?

世間で「モテ」についての話題というのは多くあるが、私はそもそも「モテること」を不要だと思っている。なぜもてたい人がいるんだろう、というのが、本音を言うとわからない。
好きな人から好かれたい、これはわかる。でも、数多くの人たちから、ただの好意以上の「恋愛としての好意」を寄せられることを、本当にあえて望むのだろうか? それってかなり煩わしいことだと思うのだが。

複数の人々から好意を得たい、もしそれがあったとしても、自分が全然興味のない人からも恋心を持たれたいものだろうか。
せめて、自分がいいなと思っている相手からのみ同意というか、「私も好きですよ」というレスポンスがほしいんじゃないのかな。それだったら、まだわかる。

個人間で、自分がつきあいたいという思いのない相手から気持ちを伝えられたら、感謝はしつつもはっきり断ることが大切だと私は思う。可能性がないのに「あるふり」をすることは、相手のエネルギーを無駄に引っ張ることになる。その人があなたから視点を外せば出会う相手、別の好きになる相手の登場や、次の展開といったものを遅らせてしまうかもしれない。
その意味でも、ただ「もてたい」という人って何をしたいんだろう、とよくわからない。

私たちの繋がりの動機がエゴに傾けば傾くほど、「埋めているようで、穴が拡大する」という空虚さに満たされる。あなたの心の奥底では、本当の愛とそうでないものに区別がついてしまうのだ。だから、満遍なくモテることにメリットがあるなんていう錯覚は捨てて、人から愛をもらおうとすることもやめて、「真の愛」を自分の内から見出す覚悟をしようよ。

隣の芝生は青くない

そもそも、「もっとほしい、もっとほしい」と飢餓状態に陥ってしまうときには、何かを錯覚しているんである。
たとえば、近年ではSNSとかで色々な人の生活「らしきもの」を眺められるおかげで、自分自身と比較したり、嫉妬したりしてしまう人が出てきているというよね。まさに、「隣の芝生は青い」。でも、それ本当なの?

幸せな人たちがいることはいい。それって素敵なことだ。他者のよろこびをシェアできるのもいい。
ただ、それによってあなたが惨めに感じたり、羨ましくて仕方なくなったりというのは、「錯覚と分離が基盤」のエゴが発動しているよね。
あなたが「比較対象」にしている人の全人生なんて知りやしないのに、勝手に想像して、色々思っているんだよ。大体私たちは、自分自身の全人生すら知らないというのに。

別に他者の不幸を探す必要はないけど、どんなに幸せに見える人だって、様々な波があるし、それらを乗り越えてきているよ。誰にでも平等に日常があって、地味なことの繰り返しも体験している。

恋愛についてだってそうで、「あの人の方が幸せそう」とか「理想の恋愛を実現している、なのに私は……」という思いは、あなたにとってプラスにはならない。
そういう考えにはまっているとき、比較対象になっている人自身や、その人のパートナーが羨ましくなるかもしれないけれど、思い出してほしいのは、「あなたの望みは、他者の望みと違う」ということ。
案外、「これをどうぞ」と同じものを差し出されても、喜ばないもんだよ。私は、これは食べたくない! これじゃなかった! とか言ってね。

あなたの体験、あなたのいるまさにその場所が、何らかの形で「今、まったく自分にふさわしい」ものなんだと思ってみて。今を否定すると、あなたのパワーが発揮できなくなる。だって、その見方は錯覚だから。
不幸に思えることがあっても、苦しくても、「私が、わざと、こうした」。
そう思うことで、開けてくる視野がある。そしてそれは本当に、信じられないかもしれないけど、あなたの「最高の幸せのための1ピース」になるんだよ。こんなことから、幸せに続く道なんてないでしょ! と思っても。

隣の芝生は、本当に青くない。青かったとしても、あなたと同じくらい素敵に青いということ。
あなたは、今回の○○△△さん(あなたの名前)を大切に思って、その人生をとても良いと思って、選んだんだから。
恋愛でもそう。そのあなたが惹かれる相手は、同じようにそのときのあなたにぴったりなんだよね。あなたの変化に伴って、相手も変わっていくことはあるけれど。

奪い合いは生じない

恋愛でよく、人に「自分の大切な人を奪われてしまう」という恐れがあるでしょう。誰かと同じ相手を好きになって、ライバルになってしまうとか。
これも、恐れの一形態で、不足・欠乏ベースの概念なんだよね。

私も昔はあった! 高校時代なんかは実際に、大好きで仲良しだった友達のことを自分の好きな人がかつて好きだったという事実が発覚したり(友達がその人のことを好きなわけではなかったし、すでに過去の出来事だったんだけど、やたらとショックを受けた覚えがある)。
なぜだか、将来的に自分の妹が「私の好きな人に好かれてしまったら……」という恐れを持っていて、夢でその通りのシナリオをときどき見てしまい、悩んだこともあった。現実にはそんな経験はなくて、妹とはすごく絆が深いからこそ、そういう恐れを持ってしまうこと自体が複雑な気持ちで。

けれども、今となっては、それらの幻想を笑える。だって、あまりにも私の好みと人の好みは違うんだもの。
人生経験を重ねると、そういった若々しい恐れはかわいかったなぁと思う。自分のほしがるものを、みんなもほしがると思えていたんだね。

今では、友達や妹と男の趣味が違いすぎることを知っているし(つくづく、かぶらないもんだな~と思う 笑)、理想と思えるような素敵なカップルがいても、「私だったら、その生活は合わないな」などと、冷静に判断できたりもする。その人たちだからこそ、ちょうどいいんだと。

(あとは一見、「奪われた」と感じるような状況があっても、深いところであなた自身がその関係を終わりにしたり変化させたりしたくて、手段としてそのような状況を創造・許可していることがある。
これを理解するにはスピリチュアルなものの見方が必要なので、興味がある方は◆「とってもシンプルな恋愛の法則」を読んで考えてね。)

恋愛に苦労しなくていい

あなたに本当に合う人は、あなたのことをちょうどいいと思って愛しているよ。だから恋愛で、あなた自身や、ほかの誰かを否定しながら苦労するのはやめよう。
あなたは万人にとっての「その人(英語でいうところのThe One、運命の人とでも言おうか)」である必要はない。
つきあった人みんなとうまくいかなくていい。惹かれあう瞬間があっても、親密になってみたら合わない人もいるさ。そこを過剰に分析しなくていい。

あなたが本当に大切にしていて生きたい生き方と、相手の生き方があまりにも違っていたり、一緒にいることがお互いにとって相乗効果を生みだすより制限になったりしていたら、無理をして自分を殺してまでその関係にしがみつかなくていいんだよ。
世界にはたくさんの人がいて、あなたにもその人にも、たくさんの可能性がある。お互いがお互いを自由な存在と認めて、自然でいても一緒にいることが幸せなら、調和したチームとして色々なことができるね。

でももし、苦労して苦労して、自分が自分らしくなくなってまで特定の恋愛を手放そうとしないなら、ちょっと立ち止まって考えて。目の前の狭い視野に釘付けにならないで、あなたの中に今もある、人生全体を見る視点を呼び覚ましてみよう。驚くような発見があるよ。
うまくいかない恋愛にわざわざ没頭するのは、その関係に執着しているように見せかけて、実は、あなた自身が進みたい道と、そこに向かう恐れから、目をそらすためなのかもしれないから。

★この内容の”付録”的なnoteはこちら★
「理想の男性について語る【恋愛】」


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スピリチュアルカウンセラー。ブログは https://beats-and-love.hatenablog.com