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【図録のあり方】37 杉本通信〜「観るプロ」を増やす〜


こんにちは

宮城県美術館近くの澱橋から広瀬川下流、仙台駅方面を望む。


4月も中旬を過ぎ、先週の雨から暖かさが戻ってきましたね。

早くも蚊が登場してきた一方で、まだダウンを着ている人をちらほら見かけ、
東北の春の夜の寒さを感じているこの頃です。

今回の話題

以前からご紹介している通り、杉本には美術史を研究する業界の中で、「観るプロ」をもっと増やしたいという強い願いがあります。

例えば、現在当研究室では、作品の「比較」し、学生が作品の違いと良し悪しを判断できる技を習得できるようにすべく、
杉本は以下のような授業を展開しています。

加えて授業時間外で、
先日はまたしても私の提案に付き合ってもらい、
円山派の作品について、杉本所蔵の作品を実際に展示して観せてもらったり、他の学生とどの作品がどう良いのか議論する機会がありました。

こうして現在私たち学生、そして社会に対して様々な働きかけを行なっている杉本ですが、
5年前の杉本通信では「『観るプロ』を戦略的に増やすための展望」を綴っていました。

今回はこのうちの一つをご紹介します!


「図録」のあり方を変える

 まず、1つめ。現在とは評価基準が異なる図版集を出版すること
 すでに黒川の「研究図録シリーズ」で実験済みだが、これまでの権威に保証されたような作品ではなく、時代感を備えた本当の意味で「真」に近い作品のみに絞り拡大図を多用した図録を全集として出版していく。

 実はこのような方法論を続けていけば、根本的な価値転換に繋がるとお分かりいただけるだろうか?
 何十年もの間、図録といえば全図のみ掲載する体裁であった。けれどもそこから読み取れる情報は、実際の作品からすればごくごく一部に過ぎない。工芸品ならいざ知らず、絵画や染織品などの大きなものとなると、わずか数十分の1程度だろう。
 図版がそんなものだから、絵画の研究も、最大公約数としての構図やかたちを論じるだけで許されてきたわけである。

 しかし、拡大図を多用した図版集が増えていけば、これまでになかった質の情報が増えていく。すなわち、基体としてのキャンバスや筆や墨の使い方などの情報だ。
 いったん環境がそうなれば、そこから多くの情報を読み取り、「適切に処理」することができなければ「あいつ、サボっとんな…」となり、プロとしては通用しなくなる。「適切に処理」とは、読み取った情報を的確に位置付ける…ということであり、実作品に触れた経験が少なければできないことなのだ。
 図版は2次元、実作品は3次元…それゆえ2次元で読み取ったものが、現実の3次元にどのように置きかわるのか、想像できなければならない。その変換のためにも3次元を熟知しておく必要があるのである。
 情報が増えれば増えるほど、料理法としての「プロのスキル」が要求される。「情報を増やす」ということは、すなわち各々の実力のほどをあぶり出す結果となる。観念論に陥っている研究者ほど、淘汰されていくだろう。
杉本通信(43)2017年1月15日号

ここの記事をご覧くださっている皆さまは、「図録」がどんなものか既にご存知の方が多いでしょうが…
念のために確認すると、「図録」とは一般的に展覧会で展示された作品とその情報が掲載されたものです。

ここで杉本が指摘しているのが、その図録の現状。
展示された作品の画像は全図の1カットのみが掲載されるのが通例であるという部分です。

そのために、
展覧会に足を運ばなくても図録を通していつでも時間をかけて作品が観られるにも関わらず、
「全図しか載っていないから、細かい部分が見えないし…」
などと、手元の図録を「観る」ことが自然と疎かになりがちです。

結果として、全図という遠目からでもわかる構図やかたちのみを分析して研究に取り入れることしかできません。
そしてそれを多くの研究者が行えば、情報の処理とその後の分析が不足しているにも関わらず、
「図録はあんまりよく観えないし、まあこのくらいの分析でもしょうがないよね」
と業界の作品分析のハードル自体が落ちてしまいます。


そうした現状を前に杉本が抱いた理想が、「拡大図」を掲載した図録を制作すること。

従来の図録のメリットとして、
①どこでも作品を観られる
②どれだけの時間をかけてもいいし、何度でも作品が観られる
③作品の全体像がわかる(構図やかたち)
この3点が挙げられるでしょう。

そこに
④作品の細かい部分がわかる(絹や紙などのキャンバス、筆遣い・墨遣い、時には顔料)
が加わることで、

①どこでも作品を観られる
②どれだけの時間をかけてもいいし、何度でも作品が観られる

のに

③作品の全体像がわかる(構図やかたち)
④作品の細かい部分がわかる(絹や紙などのキャンバス、筆遣い・墨遣い、場合によっては顔料)

となり、
時には実際の作品観察よりも情報を得ることができるようになります。


そうした図録が当たり前の状況になれば、
図録だけでも多くの情報が提示されることになります。
そのため、あとは情報の処理と分析が課題となり、研究者の力量によってその部分の過不足が判断されるようになります。 

「図録はあんまり観えないから分析が甘くてもしょうがない」が、
「図録でこれほど情報が提示されているのに分析が甘いのはダメだ」となるということです。


さらに杉本は、掲載する作品を「時代感を備えた本当の意味で『真』に近い作品のみに絞り…」としています。

図録を通して上記のような分析が行われている状態では、
基本的に
図録に載っているもの=研究に使えるもの
という認識がなされています。

しかし、江戸時代以前の良作がそんなに大量に存在するはずもなく、
時に質の悪い「贋」が含まれていることがあるのは以前の記事でもご紹介してきました。

そこで「時代感」を基準として
図録作成の時点で第一段階のフィルターを設置し、「良い作品」を ろ過 
していきます。

そうすることで、より「時代感」のある作品が研究として取り上げられるようになります。

さらに研究者側も「観る目」が鍛えられてくれば、
研究に用いる際、研究者の「観る目」が第二段階のフィルターとなり、より良い作品が厳選・選定されていく流れができます。

現状、図録は
「展覧会の記念品」「どこに何が所蔵されているかわかるカタログ」
になってしまっている感じが否めません。

「どこでも何度でも観られる」という最大の特徴を活かすことで、
展覧会に終始しない、その後の研究でも使っていけるものを作ることができるはずです。



『東北画人基礎資料集』

そうした想いを込めて杉本が作成した図録が、
前職の黒川古文化研究所のもの、
そして先日ご紹介した『東北画人基礎資料集』です。


時代感のある作品、絹の目が見えるほどの拡大図、そして後々の研究に存分に用いることができる資料や工夫の数々。

現段階で、本書は展覧会にぴったりと即した図録というわけではなく、
みているこちらは「実物」と「図録」の2方向から得られる情報を吟味することはできません。
しかし、実物にも劣らない情報量があると言えます。


ありがとうございました

冒頭の写真の反対側、広瀬川上流と沈んでゆく夕日を望む。


今後の研究と業界の促進を念頭に置いた
「観るプロ」を増やす展望と取り組み、いかがでしたか?

展覧会では当たり前のように並ぶ図録でも、
作る側の意識、そして観る側の意識が少し変われば、
慣習通りに扱っていてはもったいないのだということがおわかりいただけるかと思います。


どうしても「権威」から切り離せないこの業界では、慣習が様々な場面で強く根付いているようです。
当たり前に行われてきた慣習でも、見過ごすことなく目を向けて疑問を投げかけ、少しずつ改善していけば、
それがやがては業界全体の大きな改革に繋がっていくのでしょう。

一般的に、改革というのは常に良い方向になされるものではないのかもしれません。
しかし、「時代感」を土台として作品の良し悪しを議論していく業界の形成は、
やがては「作品制作当時の人々の思想や価値観に、現段階よりももっと近づける」研究がスタンダードになるはず。

そうした動きの上で、人文科学最大の議題である「人間とは何か?どう生きるべきか?」という問いに、
美術史という切り口から、より切り込めるようになっていくのではないでしょうか。


それでは、今回はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました!!
次回は私タタミ、最終回になります!
どうぞよろしくお願いいたします😌


【参考】

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