私「週休3日で働きたい」夫「週休7日がいい」
日曜の夜になると、じわじわと静かに、しかし確実に迫り来る仕事の気配に少しだけ気が重くなってしまう。
先日は夫が息子の朝食を準備しながら、「ああ、息子のご飯の準備をするということは、明日から仕事かぁ」とつぶやいた。
この週末は息子も外でたくさん遊んだし、私も踏み台昇降を始めて体力がついたのかパパっと家事を済ませられたし、私はケーキを、夫はお菓子の家をつくってストレス解消もできた。
いい週末だったけど、そうね、もう1日あったら気が楽かもと
「週休3日がいいよね」
と言ったら、
「週休7日がいい……」
とまろやかに、しかしきっぱり返された。
■ ■ ■
そんな夫をすごいと思っている。
たぶん夫は、軽口ではなく、本気で「週休7日がいい」といっているのだ。その気になれば、実行しそう。実際彼は、モラトリアムしていた期間がある。
私にはできない。こわくて働きたくなってしまう。
口にすることすら思い浮かばなかった。
外聞を気にしているのかもしれない。いかにも凡人だ。凡庸だ。
最近の私の夢は「身寄りのない大金持ちに土地とマンションを譲られて不労所得を得ること」なのだが、その状況で好きに働きたいと言ったら、
「え、その状況なら働きたくない」
とその時も言われてしまった。
単に私は働くのが好きなのかもしれない。けれど、夫の働きたくなさは、あまりにも自分と違いすぎてすごい、と感じてしまう。感嘆。
もちろん、私の方がまともであることはわかっている。なんの資産も持たない私は、まずは働かないことには、収入を得るてだてはない。
そんな私においては、勤労は必要であり、勤勉は善だ。
それは夫も同じはずなのだが……。
でも、なんか、夫のこのゆるさには憧れてしまうのだ。
■ ■
「しっかりした女ほど駄目な男にひっかかりやすい」
そう世間では言われているらしい。
私も父に「気をつけろ」とかつて言われたことがある。
「かわいい」より「しっかりしてる」と言われて育ったから、実は抜けているところもオタク的狂気もあるのだけれど、大筋でいえば「しっかりしている」方なのだろう。
女でしっかりしている場合、やるべきことを抜け目なく、モレなくミスなく滞りなく行い、全体を見通して準備や指示だしを行い、物事をこなすというイメージがある。
それはもちろん大事かつ、貴重な能力なのだが、「遊び」とか「ユーモア」とか「突飛さ」とか「周りに迷惑をかけても我を通す度胸」あたりがあまり育まれない結果、しっかりした女はそういうものを持った男に惹かれてしまうのではなかろうか。
いや、ユーモア溢れるしっかりした女性も沢山いるだろうけれども。私がそうなだけで、貶めるつもりはないんです。ごめんなさいね。
■ ■
しかし夫は、怠惰なわけではない。
しっかり会社員として日々働いているのだ。
それなりにいい仕事もしているっぽい。
そのあたりの、クレイジーさとまっとうさを兼ね備えているところが面白くて私は好きなのだが、そう伝えると本人は
「もっと狂ったほうに振り切れたら楽だとおもう」
「そうしたいけど、そうしたらヤバイんだろうなぁと思って堪えている」
「そういう中途半端さがいやになることもある」
「けっこう、くるしいんだよ?」
と苦虫を噛み潰したように言っていた。
しっかり生きるのも、ちゃらんぽらんするのも、どちらもそれぞれのしんどさや良さがあるのだろう。
夫の良さはもうひとつあって、私はつい、実現可能な方法で、逆算してものごとを考えてしまうのだが、夫は前提条件に囚われずフラットにやりたいことを「ぽんっ」と掲げられるタイプだ。
以前、家事育児仕事の両立が大変でへろへろになっていたとき、「大変だったら仕事辞めてもいいんだよ?」と夫が言ってくれたことがあった。
生活費どうする気だよ。保育園も追い出されるぞ。
色々疑問に思ったけれど、何の解決策も見通しもその時は無くても、そう言えるところが夫の凄いところだ。
結局私は働き続けているが、あの言葉はありがたかった。
あの時も夫は本気だったと思う。
もし私が本当に仕事を辞めたら、それなりにどうにかしてくれたんじゃないかという気がする。
そういう力が、夫には在るように思う。
たぶんだけど。
ここ数年、幼い子がいたので、現実的で、維持可能な選択肢ばかりを選んできたから、そろそろ夫を見習って、思い切った選択もしてみたいと思う今日この頃である。
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