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隣町のチームへ

どうも、最近動画制作をかじりだした
いなたしんのすけです。

今回の話は小学4年の終盤~小学校卒業までの話です。

サッカーとの出会いから日常に新たなるエッセンスが加わり
自分のやりがいを少し見つけた予感がするそんな出会いとなりました。

先週の第2話終幕でありました
ある大会」の話についてですが、それはのちに移籍する”玉湯SC”との試合であった。

ある大会で玉湯SCと対戦することになったのだが
自分が所属するチームは完膚なきまでにやられたのであった。
自分は元々サッカーが上手ではなかったが、圧倒的なまでの差に驚きと喪失感を感じました。

余談ではあるが自分には兄がいる(歳は1つ上)
兄はサッカーがとても上手だった。

同時期に始めていたがめきめきと成長していき
トレセン(トレーニングセンター)という選抜チームにも所属していた。

※トレセンとは市町村ごとに上手な選手が選抜され、特別なトレーニングを受ける場


兄が所属するトレセンには、玉湯SCの選手が多く選出されている。
ということは上手な選手がゴロゴロいる(チーム加入後知ることになったが、5、6人選抜メンバーがいたみたいだ。サッカーは11人制なのでレギュラーの半数以上がトレセンメンバー)

兄は試合後、玉湯SCのメンバーと話をしていた。
なんと、兄はそのチームへ勧誘されていたのだ。
その話をきっかけに兄は玉湯SCに移籍することを決めたのである。
僕は弟ということでついでにそっちのチームへ移籍したという感じである。

玉湯SC移籍がきっかけで人生において非常に良い経験をすることになったのだ。

チーム移籍してからの初めての練習試合

周りの選手たちが上手なおかげで下手な自分でも少しプレーに自信が持てた。
逆にミスをしたときは、申し訳なくなる気持ちが大きくのしかかった。
下手くそだった僕はミスばかり…

”周りとの差”を大きく感じ未熟さを感じていた。

チームは勝つが自分自身すごく不甲斐ないプレー。

同世代と比べても”それまでの成長はかなり遅れていた”

毎試合、毎練習ごとにその劣等感を感じながら生活していたのを覚えている。苦しい時期だった。
正直その頃は自分が勝てる環境に飛び込む考えはまるでなかったように思える。
レベルの高い環境に身を置いて劣等感を感じながら、日々自分なりに努力を推し進め強くなろうという精神で生きていた。

余談だが、今疑問を持っていることがある。
食らいつく精神が素質としてもっていたのか、後天的についていったのか。
note,を通してこちらについては皆さんと振り返り確認していきたい。
非常に重要なことであるので言語化して皆さんにお伝えしたいと考えている。

日々の劣等感と闘いながら月日は流れ

5年生の春過ぎ頃、僕はサッカーにおける最初の夢を描くきっかけをもらったのである。
それは全日本少年サッカー大会である(小学校年代のサッカーチーム全国1を決める大会)
その島根県大会で玉湯SCは着実に勝利していき、遂には決勝戦まで勝ち上がった。決勝戦では大差で勝った(5点、6点は入れていた気がする)
県内では圧倒的だった。


いざ全国大会、僕はメンバーに選出されるレベルではなかったので
兄の応援という形で家族と一緒に全国大会が行われる福島へ(小学校5年の夏頃)

全国大会では予選敗退という結果だった。

僕は現地に行って目にしたことによって、たくさんの選手・チームを目にすることができた。
とても同世代とは思えない選手もたくさんいた。

「全国にはまだまだすごい奴がたくさんいるんだ、負けてられない」

「この舞台に自分もたちたい」

”熱い気持ち”が込み上げてきた

そして
僕は応援組の皆さんと夜お食事をしていた時に宣言したのであった
来年(6年生)僕はこの地に選手として出場する

まだ同世代の中でもレギュラーとして試合に出場できていなかった。
宣言したのも勢いはあっただろうが、僕は声を大にして言った。

サッカーをはじめて以降、サッカーを通しての最初の夢を見つけたのであった。
(お笑い芸人になりたいという夢とは別に)

5年生の夏以降はただひたすらその夢に向かって頑張った。
その時からすごく吹っ切れた印象で上達スピードはかなり上がったと感じている。”強い思い”が練習に対する”モチベーションを変えた”のだろう。

そして

6年生になり、最後の年

自分たちが主役の年が来たのである。

それと同時に成長が実り
『チーム内でのレギュラーメンバー』を勝ち取った。

全国大会に選手として出場する」という”夢の過程”である

全国大会の県内予選大会にレギュラーとして出場した。

昨年に引き続き優勝が期待される年

プレッシャーのかかる大会ではあったが、順当に勝ち進めることができ、島根県大会の決勝トーナメント戦まで駒を進めた。

決勝トーナメント戦では苦戦はしたものの
チームの士気は高まっており、力以上の力を発揮しなんとか勝ち進んだ。

そしてそして

なんと


決勝トーナメント最終戦の決勝戦まで駒を進めたのであった。

過去の自分からは想像できない瞬間で興奮していた。

「いよいよ、決勝戦だ。」胸が高鳴る。

選手入場

ピッチから会場を振り返ると
今まで戦ってきた相手チーム、家族、玉湯SCチームメイトの家族たち

考え深い瞬間だった。

自分の夢まであと一歩

この試合には絶対に何としても勝ちたい。
誰よりもその思いは強く燃えていたと思う。

僕はここまで来るのに本当に必死だった。
「ここで必ず報わる。」

キックオフ!!

試合開始から数分は緊張感がある展開だったが
僕たちは波に乗っていた。僕たちは今まで以上の力を発揮していた。
攻撃においては畳みかけるように、守備において粘り強く
全員攻撃全員守備で総動員である。

前半から一進一退の攻防が続く

そして

前半中盤均衡が破れた。


僕たち玉湯SCの先制点。

そこから1点を追加。

前半2‐0、後半戦へ折り返した。

「よし、いけるぞ。」

そう興奮する気持ちはあったが

冷静に…

抑えるかのように

「このまま自分たちのできることをしっかりやろう。」

心を落ち着かせながら後半戦を迎えた。

後半

相手は修正をかけてきており、攻撃に力をかけてきた。
お互い譲らない展開だったものの隙を突き、玉湯SCは追加点をあげる。

後半そのまま守り切り、試合終了…

運命の瞬間だった。思わず涙を流した…

サッカー画像2

優勝【大会2連覇・7度目の全国大会出場を決めた】

飛び跳ねて喜んだ。感極まる瞬間であった。

僕は当時のチームメイトに心より感謝を申し上げたい。

夢を実現できたからこそ、今の自分があり、もっと上を目指し、もっとレベルの高い経験をしたいと貪欲なることができたのだと考えている。

本当にありがとう。

そして
いよいよ待ちかねの全国大会(6年生夏頃)

全国大会の結果はあまりいいものではなかったが
自分にとっては全国の広さを選手として肌で感じるいい機会だった。
この経験を糧にまた頑張るんだ。中学校でも全国大会に出て、その借りを返そう。
そう思った。

そして
小学生サッカー人生を最高の形で締めくくれたのであった。

「みんな夢を見させてくれてありがとう、中学校もまたみんなで頑張ろう」


そのまま玉湯SCの中学生カテゴリーに所属した。
サッカーを通して次なる夢を持った
次は中学年代の全国大会へ行き、借りを返そう

そう誓って、中学生時代をのぞむのであった。

第4話へ続く…

皆さんいかがでしたでしょうか?

デコボコな道のりではあったが、結果としていい形で終えることができた。

劣等感が自分を強くしてくれた。

ストレスがかかる場面は多々あっただろう。それでも逃げずに取り組めたからこそ、サッカーにおいての夢を見つけることができ、それを達成するために日々少しずつ成長をしていくことができたのだろう。

そのままの勢いで行くかに見られた中学生時代…

しかし、そんなに甘くはなかった。

成長過程で悩み葛藤をする日々がまた待っているのであった。

もちろんサッカーだけではなく、学校、プライベートも。

第4話で中学卒業までの“キセキ”に区切りがつく。

中学時代までの集大成は如何に。

それではまた来週金曜日(^^)/

ご一読ありがとうございました。

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