さち

短歌のバックアップです。野暮なのは百も承知ですが、記録と訓練のために意図と思いを追加で…

さち

短歌のバックアップです。野暮なのは百も承知ですが、記録と訓練のために意図と思いを追加で書くこともあります。

最近の記事

「罪」

「糖質70%カットで罪悪感なし!」 とか謳う広告を見るたびに私はモヤッとした気持ちになる。 甘いものに目がない私にとって、そもそも甘いものを食べることは「罪」ではなく「ご褒美」だと思っている。だから、「私のご褒美を“罪悪感を感じるべきモノ”にするな!」というシンプルな憤りがモヤモヤの原因である。 さらに、“罪悪感を感じるべきモノ”という判断が意味不明な価値観に基づいているということも余計にモヤッとさせる。 「罪悪感なし!」には「甘いものを食べることは罪である」という

    • 「緑」

       「緑」と「縁」をよく間違える。形がよく似ているので、近頃はもっぱらデジタルでしか綴らない私にはどうにも混乱してしまうのだ。 ただ私にとってこの二文字は雰囲気も近しいように感じる。自然を連想させる「緑」と人や物事を繋ぐ「縁」は、どちらも人間の手を加えられない、それ故に優しさと強さを持つようなそんなイメージだ。 いわずもがなであるが「新緑」とは晩春から初夏にかけての若葉の艶やかな緑を指す言葉だ。すっかり花を散らせた葉桜などが浮かぶ。 春というのは出会いと別れの季節であ

      • 「砂」

        地球は丸いと知ったとき、「じゃあ地面をずーっと掘ったらどこか違う国に行けるかも!」と思った。 そうして、一心不乱に公園の砂場を掘ってみたけど、すぐにコンクリートの底にぶつかってしまった。 あれは小さな憧れが現実に砕かれる体験だったのかもしれない。 小さな憧れを信じて一生懸命になれた僕らは今どうしてるの?と問いかける気持ちで作ってみたのがこの短歌です。

        • 「師」

          師匠とか教師とか、「師」のつく人は、さんざん相手を引っ張ったあと、最後は後ろから見送るものらしい。 鱗滝左近次も、レイリーも、自来也も、亀仙人も、ヒーローが背中を追った師匠たちはみんな、結局ヒーローの背中を押す役回り。 私の憧れた先生も卒業式の日、私たちの背中を押した。 「師」は先達ではなく、共に旅立つ仲間でもなく、常に前にいてそのくせ気づくと後ろにいるという奇妙で厄介な存在なのかもしれない。 そういう不思議な気持ちを詠みたかったのが、今日の短歌です。

        「罪」