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自覚による救済を大切なあなたに


人にはそれぞれ、
「大声で言うほどではない(それをするのは恥ずかしい)けれど、どうしても無理なんだよな」
と思うことがあるよなと考えている今日この頃。
HSPを自覚してから、このことが結構全ての悩みの主軸になってる気がしてます。今でも自らをそう名乗るのは現実世界では恥ずかしくて堪らない。いや確実にそうなんですけど。

私は性的行為や暴力的行為への抵抗が異常で、しかも全面的に無理なのではなく本当に時と相手と場合によるがダメな時は些細なことでも泣いて狂うほどダメという心理状態で、人に説明するのはとても難しいので大抵は誤魔化して過ごしています。
それでも仕事中や外出中に気分が悪くなってしまうような場面に遭遇することもあり、そんな時はなるべく考えないようにしてじっと耐えたり、溢れる涙を床に対して垂直に落として涙の痕跡を残さないように努力したりと、なんでこんなことしなきゃいけねえんだ意味わからんっていうこれが中々にしんどい。

色んな方に色んなパターンのこれがあるよなと思っていて、しかし周りは、というか、大抵の人は誰かの些細な表情の変化とか抵抗感が伺える身体の動きとかを注視していないので、気付いてもらえないんだよな。と……。

さらに空気を読んでしまう人にありがちなのが、冗談めかして本人に指摘すること。直接的に不快なことを言われた時など特に、ここで怒ったり泣いたりするのは違うからと笑って指摘する。そして良質なボケに対する的確なツッコミみたいに捉えられて、周りは盛り上がったりして。こんなんじゃ、その人は生きづらくなってしまいますよね。本当、ただの大人いじめですよ。

これに気付いてあげたいなと、そんな人の味方になれる人間でありたいなと思う日々です。

なにせ人目が怖くて自分の意思を失くしがちな情けないあたくしは、気が付けば心に与えられたストレスと比例するように、学生時代には唇の皮を剥き続けたり、正社員時代にはうねうねした髪の毛を抜き続けたりと地味な自傷癖がついてしまい、未だにどれも治ってません。
自覚はあるんですけど、毎度スタート時は無意識。そのあと気が付いても中々止められないんです。あー、こわ。そして恥ずかしい。

思い返せば(内容は言わないが)依存症になっていたり過剰適応になっていたりと、気付いたらやべーことになっててしかも治せないってことが多い人生です。非常に情けない。
それにプラスして、すごく感情的且つ楽観的になってしまう時がたまにあって、それがまたこの症状を悪化させていくという。自分の味方は自分だけですが、自分の敵もまた自分……。

とは言え、そういう経験があるならばそれを恥ずかしく思い隠すのではなく、文字に起こすことで誰かの力になれればと考えるようになりました。
私は今上記のような様々な自分のマイナス部分を、ロジカルシンキングで無理矢理すべて解決しようと試みています。パワー‼︎

真の幸福度でいったら、他人との間に生まれた愛によって感じられるそれには全く敵わないですが、今日明日を少しでも心地良く生きるためにはこれしかないと思った次第です。
もちろんもっと良い方法があるのも、これが根本的な解決、最良の結論には成り得ないことも理解してますが、お金を使うこともストレス、誰かに頼ることもストレス、そしてどこにも帰る場所がない、今ここで足を止めれば一寸先は闇、ともなると私にはもうこれしかなかった。こういう手段もあるかもね、くらいに捉えてください。

とにかく、あなたの抱えてるそのどうしようもなくなんとなくだけど本当に心底無理なんだよなぁっていうそれは、割と皆にあるものかもしれませんので、その場のために周りのために耐え忍ぶのではなく、なるべく距離を取って逃げて良いです。
その場で泣いたって良いです。それを責めたり悪く言ってくるような人は、あなたのことをこの先も一生大切には思ってくれないでしょう。そんな人、あなたの人生に必要ないです。こっちから願い下げだよ!!!

この思考で居続けるのがまた心底難しいのですが、最近やっと私も自分を大切にしてくれる人だけを大切にしたいと思うようになりました。というかそう思う自分を認めてあげられるようになりました。そして今まで以上に色んな人に連絡が返せなくなりました。(本当にすみません)

大切に思うっていうのは、「大切に思ってるよ!」と伝えることだけではなく、「その人が何を嫌がり何を好むかが逐一気になってしまって鬱陶しいかもしれないけれどその都度確認しないと不安でたまらない!」みたいなことだと思ってます。自分のやり方ではなく相手のルールに寄り添う事と言いますか。これ伝わりますかね?

私も私ルールがあるので、時に親しくしていた人と突然距離を置く場合があります。
その原因について詳しく説明をしないのも失礼かもしれませんが、性質的な相性の悪さは本当どうしようもないので、お互いに傷付け合わずに最短ルートで長期的に見た時の最善を選び取りたいというのが本音です。
今までも聞かれたら答えて来ましたが、本当にもう一緒に居られないと思った人とはどれだけ話してもつらいだけでした。
色々問いただしても、相手を嫌う要素探しになるだけなんですよ。長く居たということは、その記憶には良い思い出が必ずあったはずで、それまで嫌な物にする必要はないじゃん、もうやめようや……と私は思ってしまう。


今まではそんな自分にまで否定的だったんですけど、自分との縁は死ぬまで切れないのでもう自分をわざわざ嫌いになるのは諦めることにしました。

誰にでもある感情でも、その感情を一番に理解してあげられるのは確実に自分ですから。
だからね、自覚って本当に自分にできる唯一の救済だと考えています。

このありのままの自覚に似たようなことを、大切な人にもしていきたい。
あなたの全てを、私はあなたのまま知りたいんです。そしてこれからも共に生きてほしい。新しい一面を知れたら嬉しい、あなたが私を大切に思ってくれている限り、私もあなたに対して否定的な感情は抱きません。
そういう人があなたのそばに居ることを、私の大切なあなた達には忘れないでいてほしいのです。

そして素敵なあなた達の良いところも悪いところも、まずはあなた達自身が自覚して、認めて、救ってあげてほしいのです。


写真は昔住んでいたところの近所にあった看板。
いつ見ても、はっきりしていてかっこいいですね。

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