心理学の理論・論文・目標について少考
Noteにおいては、心理学の再現性危機に関する記事を何本が書いてきたのですが、幸運なことにある記事に対して研究者の方からコメントと記事へのリンクをいただきました。
以下では、上記記事の内容を踏まえつつ、最近考えていたことなども書いていきたいと思います。
重要だと思う論点を二つとりあげます。
論点1 理論(家)と論文(石)
記事中にある、「家と石」の喩えはなかなか分かりやすいものでした。
「理論」を「家」、理論の素材である「論文」を「石」としたとき、心理学の再現性危機は家(理論)の危機なのか?
直ちにYESとは言えません。
再現性危機によって、心理学全体から個別の石(論文)をいくらか拾ってみたときに欠陥品が紛れていることが判明しました。
ただし、このことがどれだけ家(理論)の危機に結びつくのかは定かではありません。ひょっとすると、欠陥のある石(論文)は一部の家ばかりに集中しているのかもしれませんし、ある家(理論)は一部の石に欠陥があっても使用可能かもしれないからです。
というわけで、心理学の有名理論の全体が危機に瀕しているとは限らないというわけです。
これは確かにその通り。
ただし、それでも気になる点は残ります。
まず、崩壊している家や崩壊しかけの家もあるようだということです。
もう一つは、なぜ再現性危機が深刻視されるかというと、QRPs(疑わしい研究慣行)がその原因にあるとみられたからです。これは「心理学全体に共有されていた石ころの製造手法がそもそも間違っていたのではないか」ということです。こうなると、心理学の危機が共有される以前の家(理論)については、旧耐震基準下の建築物みたいに、「安全なものも含まれているに違いないが全体として何か不安」という感じがしてしまいます。
この点についての上記記事での見解としては、専門家による書籍を読むならば大丈夫ではないか、とのことでした。
なんだかんだ心理学書籍は未だに読んだりしているので、これが真実だと私としても助かります。外集団脅威とか公正世界バイアスとか現象への興味は持続しているところですし……。
ここのところは「現在の心理学者をどこまで信頼できるのか」という点が問題になってくると思います。
個人的には、心理学者は専門家集団としてみたとき信頼できると思います。再現性危機が認知されて以降に出版されている専門家の書籍や、そこで紹介される理論(家)については、その存在と有益性について信頼してもいいのではないでしょうか。鵜呑みにしないという常識的なリテラシーは当然に必要でしょうけれども。
そもそも私は「心理学における再現性危機」の存在自体を心理学入門の教科書で知りましたし(*)、著名な心理学の研究論文が追試に失敗していることは、SNS上の心理学専門家の呟きや記事によって知りました。心理学者集団が自己の所属している分野における問題点をきちんと認識し、広く共有していることは評価されるべき美点だと思います。
*具体的に言うとこの本の最終章だったはず
危機の存在がきちんと認知されているわけですので、心理学の専門家が壊れた石(論文)ばかりでできた崩壊した理論(家)を紹介する書籍は出さないだろうということです。ただ、「年配の方がなかなか危機を理解してくれない」という趣旨の若手研究者による愚痴もみかけた記憶がありますし、「もうすでに学界は健全化している」というよりは、「だんだんと良くなっていく」感じなのかもしれませんが。
とにかく、ダメな石(論文)が出てくる構造的な問題としてのQRPs(疑わしい研究慣行)も、心理学界は全体として改善方向へ進んでいるようなので、未来は明るいのではないかとは思っています。以下の指摘にも同意できます。
以下のツイートも参照。
若手の苦労が増えているというのは、そうだろうなぁという感じです。
論点2 理論(家)に求めるべき完成度とは?
ここ最近気になっているのが、そもそも心理学の理論(家)にどれほどの完成度を求めるべきなのだろうか? ということです。
この点、私はあまり考えてこなかったなぁと自省しています。
心理学は広大な分野ですし、その家の全てが豪邸である必要はないでしょう。それにまだ開拓期だとしたならば、豪邸を望むのは気が早すぎるかもしれません。
これは「言われてみればその通りだな」と思うところ。
基本的に学問の根底には自由があるべきだと思います。
心理学を政策決定やビジネス現場でいち早く活かしたいという需要や期待は存在すると思いますが、心理学全体がそれに応える義務はないでしょう。仮に応えるべきであるにせよ、それができるほどの理論を完成させるには時間がかかって当然です。
最近読んだ社会心理学者の平石界さん(慶應義塾大学准教授)の論考には、この点についても示唆的な話がありました。
平石さんが言うには、「そもそも心理学の多くは現実適用を視野に置いていない」といいます(もっとも臨床心理学、教育心理学、犯罪心理学のように実用性が前提とされる分野もある)。
これは心理学とは何ぞやという基本的な論点なのですが、私からすると盲点を突かれた指摘でした。「実験を行うタイプの心理学であるからには実用的であるはずだ、そうであるべきはずだ」という先入観があったかもしれません。
では、現実適用を念頭におかない心理学が目指しているものはなんなのか。分野によってまちまちでしょうが、「常識を疑う視座」の提供にあるかもしれないと指摘されます。
私たちはレアケースとしか言いようのないセンセーショナルな事件や、もっと素朴な単なる一事例にさえ常識を揺さぶられることがありますが、それの学問的な発展版の役割があるというわけです。
この目的、少なくとも私としては共感できます。
もちろん、以上のような議論からは、QRPsを放っておいてよいという結論は出てこないでしょう。科学のような外観を整えておいてノイズを提示するのでは、デモンストレーションとさえ言えません。
「常識を疑う視座の提供」という控えめな(?)目標を達成するためであっても、危機以降の心理学の信頼性革命は望ましいといえるでしょう。
以上、少々考えたことでした。
2022年10月25日追記
本記事でとりあげた記事の執筆者であるKodai Kusanoさんからコメントをいただきました。
社会心理学内部には、現実に適用できる理論・知見を打ち出そうという前向きな動きがあるようです。
「社会的意義を説得できないと、予算を確保して良い研究ができないのが現実です」の部分に、研究という営みの大変さを再認識させられました。
私の意見としては学問にこそ予算を割いて欲しい派ですが、政治的な話はここでは措いておきます。
そして、「確実に前進しているので、期待していただけたらと思っています!」という頼もしいコメントには、なぜか非研究者の私まで励まされた気分です(笑) 社会心理学、そして心理学の前進を祈ります!
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