心理学の理論・論文・目標について少考


Noteにおいては、心理学の再現性危機に関する記事を何本が書いてきたのですが、幸運なことにある記事に対して研究者の方からコメントと記事へのリンクをいただきました。


以下では、上記記事の内容を踏まえつつ、最近考えていたことなども書いていきたいと思います。

重要だと思う論点を二つとりあげます。

論点1 理論(家)と論文(石)


記事中にある、「家と石」の喩えはなかなか分かりやすいものでした。

「理論」を「家」、理論の素材である「論文」を「石」としたとき、心理学の再現性危機は家(理論)の危機なのか? 

直ちにYESとは言えません。

再現性危機によって、心理学全体から個別の石(論文)をいくらか拾ってみたときに欠陥品が紛れていることが判明しました。

ただし、このことがどれだけ家(理論)の危機に結びつくのかは定かではありません。ひょっとすると、欠陥のある石(論文)は一部の家ばかりに集中しているのかもしれませんし、ある家(理論)は一部の石に欠陥があっても使用可能かもしれないからです。

というわけで、心理学の有名理論の全体が危機に瀕しているとは限らないというわけです。

「心理学・科学の再現性危機は多くの読者の信頼を裏切るような事件でしょう。しかし、多くの場合は、どの家に属するかもわからない石ころが再現できないことを指しているので、心理学の家全体が崩壊しているわけではありません。」

Kodai Kusano「心理学の再現性危機、そんなに不安になる事ないです〜頑丈な家を見つけよう」
https://note.com/kodaikusano/n/na754e6fe064d


これは確かにその通り。

ただし、それでも気になる点は残ります。

まず、崩壊している家や崩壊しかけの家もあるようだということです。

もう一つは、なぜ再現性危機が深刻視されるかというと、QRPs(疑わしい研究慣行)がその原因にあるとみられたからです。これは「心理学全体に共有されていた石ころの製造手法がそもそも間違っていたのではないか」ということです。こうなると、心理学の危機が共有される以前の家(理論)については、旧耐震基準下の建築物みたいに、「安全なものも含まれているに違いないが全体として何か不安」という感じがしてしまいます。

この点についての上記記事での見解としては、専門家による書籍を読むならば大丈夫ではないか、とのことでした。

「そこで一般的には、自分は書籍を読むことをお薦めします。基本的には、研究者は長年の研究をまとめて一つの本で大きなメッセージ(理論やフレームワーク、big idea)を残していきます。この大きなメッセージこそが、読者が消費するべき情報です。もしかしたら、その家の土台となる石ころの中には、脆い石ころもあるかもしれません。ここらへんのさじ加減は、「自分がどれほど安心な家に住んでいたいか」によるとしか言えませんが、多少の脆い石ころがあっても多めに見るくらいの態度で書籍を読んでもらえれば大丈夫です。コンセンサスは得られていませんが、個人的には、書籍で引用されてる文献の70%くらいが信頼できれば、家は崩れないように思います。」

Kodai Kusano「心理学の再現性危機、そんなに不安になる事ないです〜頑丈な家を見つけよう」
https://note.com/kodaikusano/n/na754e6fe064d


なんだかんだ心理学書籍は未だに読んだりしているので、これが真実だと私としても助かります。外集団脅威とか公正世界バイアスとか現象への興味は持続しているところですし……。

ここのところは「現在の心理学者をどこまで信頼できるのか」という点が問題になってくると思います。

個人的には、心理学者は専門家集団としてみたとき信頼できると思います。再現性危機が認知されて以降に出版されている専門家の書籍や、そこで紹介される理論(家)については、その存在と有益性について信頼してもいいのではないでしょうか。鵜呑みにしないという常識的なリテラシーは当然に必要でしょうけれども。

そもそも私は「心理学における再現性危機」の存在自体を心理学入門の教科書で知りましたし(*)、著名な心理学の研究論文が追試に失敗していることは、SNS上の心理学専門家の呟きや記事によって知りました。心理学者集団が自己の所属している分野における問題点をきちんと認識し、広く共有していることは評価されるべき美点だと思います。

*具体的に言うとこの本の最終章だったはず


危機の存在がきちんと認知されているわけですので、心理学の専門家が壊れた石(論文)ばかりでできた崩壊した理論(家)を紹介する書籍は出さないだろうということです。ただ、「年配の方がなかなか危機を理解してくれない」という趣旨の若手研究者による愚痴もみかけた記憶がありますし、「もうすでに学界は健全化している」というよりは、「だんだんと良くなっていく」感じなのかもしれませんが。

とにかく、ダメな石(論文)が出てくる構造的な問題としてのQRPs(疑わしい研究慣行)も、心理学界は全体として改善方向へ進んでいるようなので、未来は明るいのではないかとは思っています。以下の指摘にも同意できます。

「また、ここ10年間の間で頑丈な石ころを磨く技術は確実に向上してきているので、心理学は確実に良い方向に向かっています。そして実際には、立派な家がそこそこ建っているので、安心してください。」

Kodai Kusano「心理学の再現性危機、そんなに不安になる事ないです〜頑丈な家を見つけよう」
https://note.com/kodaikusano/n/na754e6fe064d

以下のツイートも参照。

若手の苦労が増えているというのは、そうだろうなぁという感じです。


論点2 理論(家)に求めるべき完成度とは?


ここ最近気になっているのが、そもそも心理学の理論(家)にどれほどの完成度を求めるべきなのだろうか? ということです。

この点、私はあまり考えてこなかったなぁと自省しています。

心理学は広大な分野ですし、その家の全てが豪邸である必要はないでしょう。それにまだ開拓期だとしたならば、豪邸を望むのは気が早すぎるかもしれません。

「どの家にも、不十分なパーツはあり、完璧な家は存在しません。排水溝がうまくつながらなかったり、雨漏りしたりもするでしょう。それでも、一応、崩壊しないで生活できるほどの家であれば、住めるはずです。そういう家は、社会科学では立派な成果だと言えるのではないでしょうか。」

Kodai Kusano「心理学の再現性危機、そんなに不安になる事ないです〜頑丈な家を見つけよう」
https://note.com/kodaikusano/n/na754e6fe064d


これは「言われてみればその通りだな」と思うところ。

基本的に学問の根底には自由があるべきだと思います。

心理学を政策決定やビジネス現場でいち早く活かしたいという需要や期待は存在すると思いますが、心理学全体がそれに応える義務はないでしょう。仮に応えるべきであるにせよ、それができるほどの理論を完成させるには時間がかかって当然です。

最近読んだ社会心理学者の平石界さん(慶應義塾大学准教授)の論考には、この点についても示唆的な話がありました。

平石さんが言うには、「そもそも心理学の多くは現実適用を視野に置いていない」といいます(もっとも臨床心理学、教育心理学、犯罪心理学のように実用性が前提とされる分野もある)。

「ここまで、実用的観点から見たときに、心理学では一般的にエビデンスの質を担保することが困難であることを述べてきた。再現性危機を経た信頼性革命の中で、大規模追試や網羅的分析といった手法が実装されてきたが、それらの現状考えうる最も厳密な方法論に依っても、現実の意思決定のためのエビデンス準備性がすぐに整うとは言い難い。
 このような状況になっているのは何故なのだろうか。答えはシンプルである。多くの心理学研究がそもそも現実適用を念頭においていないからである。」

平石界
岩波「科学」2022年9月号掲載「心理学研究のエビデンスとしての質を考える」著者最終稿
https://osf.io/z4cgu/wiki/IwanamiScience202209SpecialIssue/


これは心理学とは何ぞやという基本的な論点なのですが、私からすると盲点を突かれた指摘でした。「実験を行うタイプの心理学であるからには実用的であるはずだ、そうであるべきはずだ」という先入観があったかもしれません。

では、現実適用を念頭におかない心理学が目指しているものはなんなのか。分野によってまちまちでしょうが、「常識を疑う視座」の提供にあるかもしれないと指摘されます。

私たちはレアケースとしか言いようのないセンセーショナルな事件や、もっと素朴な単なる一事例にさえ常識を揺さぶられることがありますが、それの学問的な発展版の役割があるというわけです。

「それでは現実適用を念頭におかない、いわゆる基礎系の心理学は何を目指しているのだろうか。共通する目標の一つとして「常識」を疑う視座の提供があるかも知れない。例えば錯視は心理学の入門講義で定番の人気テーマの一つであるが、それは私たちが物理世界を正確に知覚できているという「常識」を激しく揺さぶるものである。先に挙げたフレーミング効果も、言い方一つで意思決定が反転するのを示すことで、私たちが選択肢の内容を吟味して意思決定しているとする「常識」を揺さぶる。こうした認知の偏り(バイアス)を集めた「錯思コレクション」というWebサイトが存在するが、言い得て妙である(池田まさみetal.,2020)。常識を揺さぶることを通じて、我々が思っているほど自分(たち)の「心」を理解していないことが明らかになる。それが目標ならば、錯思を生じさせるシナリオが現実離れしたものであったとしても、問題はない。」

平石界
岩波「科学」2022年9月号掲載「心理学研究のエビデンスとしての質を考える」著者最終稿https://osf.io/z4cgu/wiki/IwanamiScience202209SpecialIssue/


この目的、少なくとも私としては共感できます。

もちろん、以上のような議論からは、QRPsを放っておいてよいという結論は出てこないでしょう。科学のような外観を整えておいてノイズを提示するのでは、デモンストレーションとさえ言えません。

「常識を疑う視座の提供」という控えめな(?)目標を達成するためであっても、危機以降の心理学の信頼性革命は望ましいといえるでしょう。

「もちろん常識を疑う視座さえ提供できれば何でも良いわけではない。真空の筒の中で羽毛と鋼球が同じ速度で落下することを示すのと、シルクハットから鳩を取り出して見せるのは、違う話のはずである。公に開示された情報の他には、隠されたトリック無しに現象が生じるからこそ、常識を疑う視座たるに足る。」

平石界
岩波「科学」2022年9月号掲載「心理学研究のエビデンスとしての質を考える」著者最終稿https://osf.io/z4cgu/wiki/IwanamiScience202209SpecialIssue/


以上、少々考えたことでした。



2022年10月25日追記

本記事でとりあげた記事の執筆者であるKodai Kusanoさんからコメントをいただきました。

社会心理学内部には、現実に適用できる理論・知見を打ち出そうという前向きな動きがあるようです。

「シェアありがとうございます!ことの重大さが過大評価されているかも、と思い少し挑戦的な内容を書いた反面、研究者としての力不足は否めませんし、どう考えても研究者の怠惰と非力さが招いた危機自体には変わりはないと思っています。ちなみにですが、「心理学研究がそもそも現実適用を念頭においていない」というのは、認知心理学や実験心理学により当てはまる主張かなと思っています。社会心理学の近年では、現実適用できる理論や役に立つ知見を目指す動きが確実にあります。社会的意義を説得できないと、予算を確保して良い研究ができないのが現実です。なので、社会心理学は、より広い読者層に信頼され使われる知見を創出する方向に確実に前進しているので、期待していただけたらと思っています!」

本記事コメント欄 2022年10月25日

「社会的意義を説得できないと、予算を確保して良い研究ができないのが現実です」の部分に、研究という営みの大変さを再認識させられました。

私の意見としては学問にこそ予算を割いて欲しい派ですが、政治的な話はここでは措いておきます。

そして、「確実に前進しているので、期待していただけたらと思っています!」という頼もしいコメントには、なぜか非研究者の私まで励まされた気分です(笑) 社会心理学、そして心理学の前進を祈ります!



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