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遺伝的革新と文化的革新【進化論】


進化とは「遺伝による性質の変化」を指します。

「遺伝」という要素が重要です。

遺伝によらない変化は進化とは言いません。こんな単純なことから事実がみえてきます。世を見渡してみると、遺伝とは関係のない変化がたくさん生じているということです。

「進化」をキーワードにした論考があふれる現在だからこそ、文化による変化は生物学的な進化とは異なるという基本は押さえておくべきでしょう。でないと進化・文化・進化と文化の関係、どれについても誤解しかねません。


■ 文化による変化は進化ではない

ここ数百年についてみると、世界各地で人間の平均身長が急激に増大しています。日本に関してもここ百年で平均身長は約15センチ伸びたようです。
この変化は進化によるものでしょうか?

「身長が高い男性はもてる」とはよく耳にします(耳にしたくないが)。

どうでしょう。

高身長の男性ほど子孫を残せるからこそ、平均身長が伸びたのか?

答えは否。

平均身長の急伸は、基本的に遺伝的変化(=進化)でなく、公衆衛生の向上や栄養状態の改善などの文化的変化に由来するものです。

遺伝による変化が集団の性質を変えるには、世代を経る必要があります。人間の世代交代には20年程度かかるので、進化による変化が大きな影響力をもつには、かなりの時間がかかります。身長の伸長現象は、進化によって説明するには急激すぎるのです。

文化的革新と遺伝的革新は、しばしば混同されるようなので注意が必要です。この点は、専門家の述べるところを引用しておきます。

ダニエル・C・デネット 2001年
「私たちは、しばしば文化的革新を、遺伝的革新と混同する誤りをおかす。たとえば、ここ二、三世紀の人間の平均身長が急上昇していることを誰もが知っている。(ボストン港にある十九世紀初頭の軍船オールドアイアンサイズのような近代史の遺物を訪れると、甲板の下の空間が、私たちの祖先はほんとうは小人の家系であったのではと思うほど、奇妙に窮屈であるのに気づく。)
 身長の急激な変化のうちのどの程度が、私たちの種の遺伝的な変化だろうか。多少はあったとしても決して大きくない。一七九七年にオールドアイアンサイズが進水してから今日まで、ホモ・サピエンスはたったの十世代しか経過していないのだから、たとえ背の高い人に有利な淘汰圧(はたしてこんな証拠はあがっているのか?)が強く働いたとしても、これほどの効果をもたらす時間はないのである。劇的な変化があったのは人間の健康と食事と生活状況で、これらは表現型のうえでの劇的な変化であり、学校教育や新型の農場経営法や公衆衛生対策などの文化的伝達を通した文化的刷新に一〇〇%依存している。」

ダニエル・C・デネット著 石川幹人、大崎博、久保田俊彦、斎藤孝訳『ダーウィンの危険な思想』青土社 2001年 448頁

デネットさん、100%文化要因と言い切っています。競馬とか犬猫とかのことを考えると数世代でも遺伝的変化がちょっとばかしはあるんじゃない? と私は思ったんですが。人間の場合一つの性質(身長)を数世代で変えるには、生殖にあたって考慮する材料が多すぎるんでしょうかね。

なお日本人についてみれば、最近では平均身長の伸長傾向は停止している模様です。公衆衛生や栄養状態は十分改善されたので、文化によって急伸する余地がなくなってきたのでしょう。

■ 人間の特異性は文化にある

さて身長でさえ文化によって急変しうるのですから、より文化と密接不可分な存在である「言語」「価値観」「科学」などの変容を遺伝的変化だけで捉えることはできそうもありません。

仮に人類の身体(脳含む)が今後200年の間全く進化しなかったとしても、人類の文化は激変していることでしょう。一人の一生の期間だけでも、社会の支配的な言語使用、価値観、科学技術水準などは激変していきます。生物的な遺伝に比べると、文化的変化は桁違いに速いのです。

また私たちは人生観をもち、それとともに生きています。人生観なるものも文化と不可分の存在です。対して他の生物に関しては人生観に相当するものがあるのかどうかも定かではありません。
(なお人生観のようなものをもっていることが持主にとって良いことなのかどうかも定かではありません)

ダニエル・C・デネット 2001年
「文化的進化は、遺伝的進化よりも何桁も大きな速さで働き、それが私たちの種を特別なものとしているのであるが、同時にまたこの文化的進化が、私たちを他の種とはまったく異なった人生観を持つ生物に変えてしまったのである。
 実際、他の種の生物が人生観を〈持っている〉かは定かではない。しかし、私たちは持っている。何らかの理由で独身生活を選ぶこともでき、食べ物の制限を受け入れることもでき、ある種の性的態度を奨励または抑制する入り組んだ制度を持つこともできる。私たちの人生観は、私たちにとってあまりに有無を言わせぬあたりまえのものなので、他の生物やあるいは自然すべてにまでも人生観があると思いこむ罠に、私たちはたびたび陥ってしまう。」

ダニエル・C・デネット著 石川幹人、大崎博、久保田俊彦、斎藤孝訳『ダーウィンの危険な思想』青土社 2001年 448-449

著名な進化生物学者のドーキンスさんは、進化論的発想を文化的現象にも応用しようとしている(ミーム理論)学者ですが、「遺伝」と「文化」が別物であることは、むしろ強調しています。

リチャード・ドーキンス 2018年
「私の展開してきた議論は、一応は、進化のあらゆる産物にあてはまるはずだ。もし何らかの種を例外として除外しようと言うなら、特別に妥当な根拠が必要だ。私たちの属する人間という種を特異な存在と見なす妥当な根拠はあるのだろうか。私は、そのような根拠はたしかに存在すると信じている。
 人間をめぐる特異性は、「文化」という一つの言葉にほぼ要約できる。(中略)セアカホオダレムクドリのさえずりは、明らかに非遺伝的な方法で進化している。さらに、鳥類やサルの仲間にはこの他にも文化的進化の例が知られている。しかし、これらはいずれも風変わりで面白い特殊例にすぎない。文化的進化の威力を本当に見せつけているのは、私たちの属する人間という種だ。言語は、その多くの側面の一つにすぎない。衣服や食物の様式、儀式・習慣、芸術・建築、技術・工芸、これらすべては、歴史を通じてあたかもきわめて高速度の遺伝的進化のような様式で進化するが、もちろん実際には遺伝的進化などとはまったく関係がない。」

リチャード・ドーキンス著 日高敏隆、岸由二、羽田節子、垂水雄二訳『利己的な遺伝子 40周年記念版』紀伊国屋書店 2018年 325-327頁


むしろ遺伝とは別物であるからこそ、文化の重要な部分を「進化」的発想で説明できることが凄いわけですね。

もっとも、進化的発想が文化のどの側面をどこまでの深度で説明できるのかについては意見が分かれるでしょう。


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