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結局「声優」ってなんなのさ❓🙄

 「声優を目指す」と言う目的が定まったら、後はそれに向けて必要な努力をすれば良いと言う事になりますよね。至ってシンプルです😉👍。そこで生徒さん達に聞いてみるのです。

「皆さんが目指している〝声優の定義〟を教えてください😄」

 これを聞くのが毎回とても愉しい❣️何故なら、生徒さん達が抱いている「声優」と言う言葉のイメージや解釈がよく分かるから😄。中には無反応の人もいて「あぁ、何となくイメージに魅かれているだけなのだなぁ。他の道に進んだ方が良いんじゃないのかな😅」と言う事もよく分かります😄。
 皆それぞれに色々な事を説明してくれますが、大抵は「それを演っている(または出来る)のは声優だけに限らないんじゃないの❓」と聞くと「あぁ、確かにそうですね😞💬」となってしまいます😅。

 定義と言うからには「声優」の意味や概念や有り様などを明確に他の表現者と区別し限定できる言葉でなくてはなりません。はたして声優と言うものは定義できるのか❓、それとも特にこれと言って定義は出来ないのか❓……これはとても大きな問題です。なぜなら定義が出来ないようなものは目指しようがないからです😅。
 だってそうでしょう❓「何がどう出来たら声優と呼ぶにふさわしいのかと言う事を明確に説明できない」と言う事はですよ、誰にも「声優だともそうでないとも断定出来ない。あくまでも個人の解釈でしかない」と言う事になる訳です。そうなると「結局は全員自称声優に過ぎない」と言う事になりますから、別に「技術や感性の有無など関係ない。学校や養成所で教えなくても良い」言う事になります。つまり前回ご紹介したホリエモンこと堀江貴文氏の物議を醸した言葉は〝正しい〟と言う事になります。

そりゃ誰だって辛いよね😅

 もし「声優と言うものは定義出来ない」としたらどうでしょう❓これは例えて言うなら「ゴールがどこにあるのか分からないマラソンを走っている」ような事になります😅。
 マラソン大会には必ずスタートラインとゴールがありますよね(当たり前😅)。声優になりたいと思った人は、今まさにスタートラインに立っている状態です。レースが始まると選手達はコースと思しき道を走り始めます。これは養成所や学校でのキャリアがスタートした状態。マラソンならコースの詳細など知らなくても運営が誘導してくれるので迷う事は滅多にありません😉👍。コースには今何キロ地点かと言う標識や給水ポイントなどが設けられていて、沿道には応援してくれる人も沢山います。心強いですね🤗。これも何となく学校や養成所の在学中に似ています。
 所が、途中から今何キロ地点かと言う標識や給水ポイントなどがなくなっていって、更にはコースの誘導もゴールがどこにあるのか分からなくなったとしたらどうでしょう❓完走する気満々で臨んだマラソン大会が実はそんなものだったとしたらどうでしょう❓マラソンだからどこかにゴールはあるはずなのだけれど、そのゴールがどこにあるのかよく分からないとしたら、アナタは走り続けられますか❓

 「定義の定まらないものを目指す」と言うのは、これに近い事になるのです。きっととても不安になって、辛くなると思いますよね。途中でやめたくなるのが普通だと思うのです。現に声優の定義を答えられなかった生徒さん達に「今の状態って辛くない❓」と聞くと、大抵は「辛いです😢」と答えます。それは人として極めて正しい反応だと思うのですよ😉。

それじゃぁ、どう考えたら良いのさ❓🙄

 と言う訳で、私の授業では初めに「声優を定義してみよう」と言う所から始まります。本来なら何年も勉強してきた人達に対してやる内容ではないと思いますが、目指すべき声優の定義の有無さえ分からないのですから、ここからスタートするしかないのです。
 もし定義が定まるなら、その定義を満たせるように具体的な努力をすれば良い訳ですし、定義が定まらないなら授業と呼べるほどのものにはならないので後は先生が体験談を語るか、皆で愉しいと思う事をやるか、または解散で良いと言う事になります😅。

 私の授業を受けた事がある方々は、声優の定義が有るのか無いのか、それをどう考えたら良いのかにつては既にご存知だと思いますので、そのまま精進してください😉。
 声優を目指しながらその定義が分からない人は、他の表現者との明確な違いが有るのか無いのか、有ればそれをリストアップしてみると良いと思います。もし仮に声優以外の仕事では求められないけれど声優の仕事では当たり前に求められるものがあるならば、〝それが出来る俳優〟がそのまま〝表現者としての声優〟の定義になるはずです。これと言って違いはないと言う事ならば、目指す先は声優ではなくて別のものでも良いと言う事になります。ぜひ具体的に考えてみてください😉。



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