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こうして私の表現に対する方向性が決まった😄

 千葉繁さんが当時駆け出しだった私のどこに演劇講師の素養を認めたのかは未だに謎です。単に「暇そうだ」と思ったからかも知れません😅。ただ「役者なんていつまでも出来るもんじゃない。だから稼ぎ打ちは多い方が良い」とおっしゃっていた事は覚えています。確かに当時から千葉さんも色々な事をやっていらっしゃいました。
 そう言うような話は、私の師匠であった故・藤城裕士さんも折りに触れておっしゃってましたね。「役者なんていつ売れるか分からないのだから一人で出来る仕事を別に持っていると強い」と。

 私は藤城さんが立ち上げた演劇企画集団ぐりまの創立メンバーでした。その公演の企画を立てる時に、藤城さんは必ずベテラン俳優をキャスティングしていました。それは若人だけでは芝居の質が上がらない(勉強にならない)と言う配慮からでした。当時は自分よりはるかに上手い諸先輩方と芝居が出来ると言う事がただただ愉しいだけでしたが😅、その本当の意義を身をもって知ったのは大分後の事です。そして客演してくださった諸先輩方の中で私の演技に対する方向性を決定づけた方がいらっしゃいます。城山堅(当時は城山知馨夫)さんです。

💔感じる前に考えろ❗

 私は中学生の頃から人前でギターの弾き語りをしていました。人前で歌う事が何よりも愉しかった。その延長で芝居を始めた私にとって、芝居は自分が愉しいから演るもので極めて感覚的に演るものでした。台詞も自分が心地良いようにしゃべっているだけで、その作品の言わんとする所などあまり考えもしませんでしたね😅。そんな演じ方を師匠・藤城さんは「しょうがねぇなぁ😞💬」とは思っていたかも知れませんが、特に責める事もありませんでした。所が城山さんの台本や芝居に対するアプローチは全く違うものだったのです。

 あれは確か……別役実「場所と思い出」と言う作品で城山さんとご一緒した時だったと思います(大分前なので違うかも😅)。稽古の休憩時間に城山さんが私達若人にこんな事をおっしゃいました。
「この作品さぁ、『場所と思い出』って言うタイトルだろう❓これ、引っかからないかい❓」
「え⁉️😳(一同顔を見合わせて)……引っかかるって、何がですか❓🙄」
「だってさぁ、これって『場所思い出』の話だろう。それなのにタイトルは『場所思い出』になってるじゃないか」
「あぁ、確かに……😳」
「別役実って言う人は無駄な台詞や意味の無い事を書かない人なんだからさぁ。引っかからないかい、これ❓」
「はぁ……😧」
 城山さんからしたら私達は何とも手応えのない連中に思えた事でしょうね😅。その後の具体的なやり取りは省略しますが、要するに書かれている事から作者がどう言う意味で言葉を選び会話を紡いでいるのか、そこから何を言わんとしているのか、その真意を論理的に導いたら、仮に若い役者で芝居が下手でも表現の方向性を間違える事はなかろう。そうしたら作品の中できちんと役割を果たせるだろうと言うのです。これには〝目から鱗〟で返す言葉がありませんでしたね😳。

📕台本を論理的に読み解くには

 城山さんの台本の読み方はまるで探偵小説の主人公の振る舞いのようで😄、言葉のパズルを読み解いて作品が求める芝居を導くようなものでした。言葉の意味や意図は勿論、句読点や改行・改段の仕方、ト書きの捕らえ方は徹底していました。一つの物事を別の言い方にしてみたり、ありとあらゆる方向から検証するのですが、必ず台本に書かれている事だけを手がかりにしていました。そしてその背景になる一次資料を当たってみる。そこは徹底していました。

 その中で特に私の印象に残っているのが〝違和感の持ち方〟。「何でこう言う言い方・書き方をするのか❓」「何故こう言う行動をとるのか❓」「何故ト書きにこう書かれているのか❓」こうした違和感を持つ事で手がかりを見つける。それが私には大変に愉しかった。もともと理屈っぽい事もありますが😅、これには大学で学んだ〝科学の基本的な作法〟がそのまま利用できた事が大きかったように思います😄。

 これを境にして私の台本の読み方と演技のアプローチはガラッと変わりました。それまでは自分に心地よい調子でしゃべる事だけだったのですが、言葉の選択と意味、そしてト書きがやたらと気になりだした😅。アテレコやアフレコのように準備期間が短くて瞬発力が求められる現場ではなかなか生かしきれませんでしたが、じっくりと作品を練り上げる時には見えてくるものがまるっきり変わりました。その事が結果として短時間で正確に台本を読み込む事にもつながり、無駄な事をせずに短時間で芝居の精度を上げる事にも役立っているように思います😉。


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