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4回ほど大きくジョブチェンジをしてきた自分の話とアフターコロナについて

久しぶりにnoteを書きたくなりました。
フォトグラファーのクロカワというものです。

世界は元通りにはならない、コロナがどういった形で収束するのかもわからないがある一定の落ち着きを取り戻したあとの世界は今までと違う世界だ、なんて言説が多い昨今ではありますが、僕も概ね同意です。

そもそも世界は常に変化をしているもので、1年前の当たり前が今の当たり前じゃない世界だと僕は思っています。
スマートフォンのなかった時代、電子書籍のなかった時代、SNSのなかった時代、たった数年で生活も経済も、当たり前がどんどん変わる世界に僕らは住んでいます。

コロナの件は確かに唐突かつ衝撃的で、それに伴う変化も様々な痛みを伴いながら急速に世界が変わっていっていますし、これからもそれは続くと思いますが、まぁ早さやきっかけはどうあれ世界は常に変化しています。

変化が常だと日々思うようになったのは、僕の社会人としての人生の歩み方に由来しています。ちょっとここで僕の昔話を。

(ちなみに現在34歳、フリーランスのフォトグラファーをしています)

◆1度目のジョブチェンジ

19歳で専門学校に進学。ジュエリー職人になるべく勉強をし、めでたく三軒茶屋のアトリエに修飾したのが22歳の年。
しかしながら当時はとてつもなく不景気であちこちのアトリエが潰れ、自分自身の給料も驚くほど低く(マックでバイトしたほうが稼げてたくらい)、また家庭のいくつかの事情や事象も重なり、精神的にも金銭的にもこのままじゃまずい、と就職して10ヶ月ほどでアトリエを去りました。

小さな頃からモノ作りが好きで、本気でジュエリー職人になりたかったですがこのままじゃ生活も自分も崩れてしまう。社会人1年目で夢を一つ諦める形になったのです。いやーしんどかった。

そこから半年ほどフリーターとしてアルバイトで食いつなぐわけですが、やっぱ考えるんですよ、次の仕事を。
そして友人から「ITはメシが食えるらしいぞ」と囁かれます。
姉がデザイナーをやっていたのもあったし、なんとなくパソコンでモノ作り(IT業界)ってかっこいいイメージがあったんですね。

とにかく自活しないと最後は首を吊ることになる。社会の隙間に落ちていく感覚を味わいながらのフリーター生活でした。
実家に帰る選択肢も無く、指輪作りのスキルしか無い22歳が身一つで社会を生きていかなきゃいけない。

当時はまだスマートフォンが出る直前で、アプリなどではなくパソコンで見るいわゆるWebサイト全盛期ってやつでした。Flashで作られたWebサイトとか本当かっこいいものが多かった。

生きていける可能性があるならそこに描けるしか無い。選択肢は「やる」しかなかったんですね。とりあえずDELLでパソコンを注文し、Adobe製品を買い、バイトしながら手探りで勉強しました。
確か当時はジュエリー制作は個人的に続けていて、それの販売サイトをポートフォリオ代わりにまず作ってみようって感じで勉強してました。

結局完成には至らなかったが、Photoshopのデザインデータを名刺代わりに某ITベンチャーに面接を受け、なんとかアルバイトという形でIT業界に潜り込むことに成功しました。勉強しながらの半年のフリーター生活がようやく終わり、ジョブチェンジを果たします。

その後、デザインスキルより、プログラミングに適正があったらしくHTMLやCSSを経てJavaScriptやActionScriptでメシを食うことができました。
(いやーFlashの勢いは本当にすごかったですね)

※JavaScript や ActionScript とはプログラミング言語のこと

◆2度目のジョブチェンジ

これはジョブチェンジというか、一つの転機でした。
JavaScriptで業務をしながら、当時全盛期を迎えていたFlash(ActionScript)という技術をめちゃくちゃ勉強していたんですが、そこにiPhone(とAndroid)が登場します。

iPhoneでFlashは動かない

これを知った時、業界で意見はかなり入り乱れました(確か)
「いずれFlashに対応する」「時代はJavaScriptだ」「スマホ普及するの?」
などなど

実際にiPhoneを触り、スマホの普及を確信し、Flashの勉強を即やめ、スマホで動くJavaScriptの探求に全集中し、Twitterが出てきたタイミングでアウトプットも始めました。ちょうど10年前辺りでしょうか。

結果、スマホ向けのJavaScriptでの開発の書籍を書かせてもらうようになったり、セミナーで登壇するようになったりし、JavaScriptで数年メシを食うことができました。自身の決断が正しかったなぁと今改めて思います。

◆3度目のジョブチェンジ

20代後半、プログラマーしんどいってなりました。
プログラミングってのは技術がどんどん新しくなるんですね。
今までの技術の積み上げよりも、新しい技術の習得と探求と利活用に需要が勝る世界でした。(細かい話をすれば色々ありますが、大きく言えば新しいものは正義な世界)

ITに強い人物がほしいという友人の誘いもあり、一緒にある会社で事業部署を起こす流れになります。
そこではプログラミングもしつつも、営業もマネジメントも案件管理もなんでもやってました。そしてWeb制作からオウンドメディアのコンテンツ制作にシフトしていき、ディレクターをやるようになりました。

時代の先を予想し、需要を汲んで動いてたらいつの間にか...という形ですが世はオウンドメディア黎明期。企画を考え、提案し、進行管理をし、ライターさんや編集さんとやりとりをし、などなどせわしなく動き、会社化に至りました。(ちょうどこの時期に、取材等々でフォトグラファーもやることになります。)

オウンドメディアのコンテンツ事業で数年メシを食うことができました。

その後、会社内での事業部署の再編やサムシング多数にて作った会社を離れ、その後2つの会社で事業のプロデューサーをやります。

◆4度目のジョブチェンジ

ディレクターやプロデューサー業がしんどくなってきました。
もともとは作る人だったので、作ることをお願いするのがしんどかったんですね、自分が作りたいと思うことが増えました。
器用貧乏なのでディレクションやプロデュースなどなどやろうと思えば一応はやれてた(と思いたい)んですが、まーしんどい。

会社の仕事と平行してやっていたフォトグラファー業の方が楽しく、いわゆる「個の時代」の流れもあってお仕事の相談や、SNSでの見られ方に勢いを感じたり、働き方改革などもあってフリーランスでフォトグラファーありじゃないか?と勢いだけでフリーランスになったのが2019年6月です。

当時の会社(社長)とのソリの合わなさなど色々あったんですが、SNSの隆盛・フリーランス志向の社会的な潮流・自身への需要の増大、と複合的な要因が追い風になって(なってたはず)、4回目のジョブチェンジに至りました。

◆で、なにがいいたいんだ?

長文をめちゃくちゃ書いた挙げ句、一言でまとめるなら

「時代の需要と自身の欲求の交点を探し、人生を賭していこう」

なんですね。
自身の「〇〇がしたい」の欲求だけじゃ食っていけないのをジュエリー職人時代に痛いほど学びました。
需要だけに答えていても自分の心が辛くなるのはディレクター/プロデューサー時代に学びました。

思い返せばプログラマー時代が一番楽しかった。
モノ作りができ、時代にも沿っていた。

その反省があったから、フォトグラファーというモノづくりの楽しみを感じつつ、SNSを活用した個の活動という時代の需要に沿った働き方ができていたんだと思います、3月までは。

2019年6月 〜 2020年3月まで、ありがたいことに撮影の仕事がパンパンで、売上もかなり良く、メシが食えていました

そして4月、撮影がゼロになりました。

◆アフターコロナどう生きる問題

どうしましょうねこれ。
と言いつつ、大きくは悩んでいないしブレてません。

フォトグラファー業は続けますが、オフラインでの接触が必須な仕事なのでこの先どうなるのか、縮小しまくるのかどうなのか予想はあっても実際はフタを開けてみないとわからないでしょう。

モノづくりができて、時代に沿っている(需要がある)

僕の場合はコレさえブレなければ職種は大きな問題ではないんです。
ジュエリー制作もプログラミングも写真撮影も、大きく言えばモノづくりで、どちらも好きなのです。

なので、1年から2年後を見据えて、モノづくりという大きな枠は変えずに、その枠の中で時代に沿った遊び方(働き方)ができるよう、色々勉強し始めた4月なのでした(息抜きにめっちゃゲームもしてますが)

あ、フォトグラファー業はもちろん続けます。
(全集中  5月以降お仕事お待ちしています の呼吸です)

今勉強していることも写真とシナジーあるものですし形になるのが楽しみです、1年は掛かりそうだけど。(そして動画じゃないけど)

◆最後に

長文、お付き合いいただきありがとうございました。
誰かのなにかの足し、または時間つぶしになれたなら幸いです。
アフターコロナもなんとか生き抜きましょう。
人生、頑張ってりゃなんとかなるもんです。

とりあえず今は 全集中 おうちで自粛の呼吸ってことで。
はいエドテン。

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