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センスとはなにかの話 + センスの見つけ方の話

自粛期間で写真があまり撮れずカメラ磨きとモンハンに精が出る日々です。
フォトグラファーのクロカワです。
とはいえ色々とお仕事もちょこちょこして売上もさほど落ちることなくなんとか生きています。関係各所にはありがたい限りです。

ここでCM。お仕事が公開になりましたのでぜひ見てやってください笑

さてさて、お仕事以外で外に出ることはほとんどないのでおうちの時間で考え事がはかどって仕方ないので、ここ数日「センス」というフワフワとしたものに対して考えていました。

というのも「センスいいよね」ってよく言われるんです。
いや、自慢とかじゃないですし自負してるわけでもないのですが、事実としてよく言われるので、「センスってなんだろうなー」って考えてたわけでして、ようやく自分なりの考えがまとまってきたのです。

なので、今回は

・センスとはなにか
・センスの見つけ方

この2つの話をしていきたいと思います。
ちなみに今回話す「センス」については視覚的なものに限る旨のみご了承ください。では例のごとく、日本語力の低い長文にお付き合いください。

センスとは生き様である

いきなりシビアな話でました。
書いててつらいしドキドキしますね。
ゆっくりと紐解いていきましょう。

「XXさんセンスいいよね」って話は普遍的ですがそれはどういうシチュエーションで出るんだろう、と考えたんですね。
おそらく多いのが、持ち物や服装、今だとSNSの写真などの投稿でそんな話が出ることが多いんじゃないかと思います。
そしてそれらは大抵、なにか一つのモノやコトを見ての話じゃなく、その人にまつわる複数のモノを見た結果出る言葉なんだと思うんです。

「いつも服がおしゃれ」
「持ち物がいちいちこだわりがある」
「インテリアにこだわりがある」

などなど、一つのモノじゃなく、複数のモノを見て「センスがある」と人は判断することが多いんです。
複数のモノを見てそう思う時、大抵人は一貫性を感じています。

例を上げると、僕がセンスが抜群だなーと思うのが市川渚さん。
まずはインスタを見てほしい。

センス!!!!そして徹底的に白!!!!
一貫性の権化といいますか、驚くくらいに徹底されています。
超おしゃれ、センス良すぎる。
ご本人も白にこだわってらっしゃるのは公言されていますし、それはインスタや各種アウトプットを見ていて明確に伝わってきます。

わかりやすいくらいの例でしたが、一貫性はセンスを語る上でとても大事なキーワードだと思います。一貫性、圧倒的な統一感を体現するためには、明確な取捨選択が必要なわけです。選ぶと同時に選ばないことも重要。
その取捨選択の潔さによって、一貫性が生まれ、センスの良さを感じるに至るわけです。取捨選択をし一貫性を作り、自身に関わる全てに行うことは用意ではないですし、生き様そのものです。

そして取捨選択というのは、自分ひとりの世界では成り立ちません。
捨てるというのは、誰かが手に取る可能性のあるものを自分は選ばないということです。
間接的かもしれませんが、それは他者との比較であり差別化であり「(他人はこうかもしれないが)自分はこうだ」という生き様、宣言のようにも思えます。

センスとは先天的である

前章で一貫性と取捨選択の話をしましたが、それを行うためにはどうしたらいいのか。何を基準に取捨選択をしたら良いのか。

それは直感にほかならないと思うのです。

そもそも、何かを「良い」「美しい」「かっこういい」と思うのってどういう仕組なんでしょう。
四角いから?丸いから?鮮やかだから?白いから?シンプルだから?etc...
形状や色や機能はただの事実でしかなく、四角いモノを良しとする人もいれば悪しと思う人もいます。
大抵はモノを見たとき、コンマ数秒で良し悪しを感じていると僕は思います。少なくとも僕はそうです。あまり時間はかかりません。
良し悪しを自覚した上で、その理由を探すと「四角い」「エッジが美しい」「シンプルだ」「鮮やかだ」などなど色々でてきますが、それはあとから探すからです。基本的には直感で判断していると思います。
「四角い」という事実に対して個人の感性でかっこいいと感じるだけで、一般的には四角いからかっこいいということではない。個としての良し悪しの判断。

そしてその良し悪しの判断、美意識を鍛えることが大事だって話もよくあります。審美眼だとか、良いものをたくさん見て目を鍛えるだとか。
それもあるでしょう、でもそれだけじゃない先天的な、生まれついた美意識ってあるはずです。

例として僕の原体験の話を少し。
記憶の中でおそらくかなり古い部類、幼稚園などに入るもっと前の幼い頃の記憶ですが、とあるロボットアニメを初めて目にしました。
そのときに確か3体ほどロボが登場したんですが、パッと見た瞬間に明確この3体のロボの好き嫌いを感じました。このロボの膝のパーツの尖り具合が好きだとか、こっちのロボのグリーンとブラックの色の合わせ嫌だなとか、明確に好き嫌いがあったことを覚えています。

はじめてロボットを見た幼児がすでに明確に好き嫌いを感じたというこの記憶で、僕は審美眼としての好き嫌いはかなりプリミティブなものなんだと捉えています。
生まれついた頃から好き嫌いは備わっている。
その先天的なものを、生きていく中で育てていく、自覚していく。
取捨選択をし尖らせていった結果が一貫性へとつながっていくんだと思います。

美意識を磨くことはできるが、その磨くべき美意識は生まれつき備わったものである、そう思っています。

センスの見つけ方

センスがいい人は生まれつきなのかよ!!みたいな話になりがちですがそうではないです。
センスとは一貫性だと前に述べていますので、ここではそれを踏まえてどのようにセンスを見つけ育てていくか、センスがいい人に近づけるのかの考えを書いていきます。

■好きの自己分析
直感的な好きを集めただけじゃ一貫性は生まれません。
結構人間って好きなものが多いんですよ。赤くてビビッドなかわいいものも好きだし、反対に無彩色でシックなかっこいいものも好きだったりします。

僕はカラフルな写真を自身の作風にしているフォトグラファーですが...

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これらは僕の好きな写真の一部でしかなく、モノクロの写真も大好きですし、フィルムで撮った彩度の浅い写真も好きです。

生まれつき好きなものが偏っていたり特化している必要性はないと思っています。自分の好きなものの種類を自覚した上で、何を選び何を捨てるのかという作業を行えば必然的に一貫性が出ますし、結果センスがいい人だとおもわれやすくなるんじゃないでしょうか。

お部屋のコーディネートや洋服選び、僕で言えば写真の作風作りなど何かを統一したいと思ったときには下記の作業を行うのがとっても簡単でおすすめです。例として写真の場合を....

ーーーーーーーーーーーーーー
1. 好きな写真や画像を雑に大量に集める
2. 「鮮やか」「広角気味」など様々な共通項でまとめてみる
3. まとめた共通項をさらに比較してより好きなものを選ぶ
4. 最後はキメの問題。選ぶ。選ばなかったものは捨てるくらいの覚悟。
ーーーーーーーーーーーーーー

こうすることで無理せず好きに直結した取捨選択ができるわけです。
ちなみにこの4段階は趣味レベルまでの話。写真の仕事を見据えた作風づくりとなるとあと2-3段階くらいい作業があります。

ちょっと脱線しました。
やんや長く語ってしまいましたが、ザクっとまとめると

センスとは一貫性から感じるもの
一貫性は美意識の取捨選択によるもの
美意識とは先天的に備わっているもの

であり、「センスがいい」という言葉は

その一貫性に共感や賛同が得られた結果の言葉なんだと思います。

ひとつひとつステップを踏めばセンスがいい人になれるんじゃないかなと思います。誰しもが、かどうかはわかりませんが。

とまぁ今回はかなり抽象度の高い内容で、文字にするのが非常に難しかったのですが何かしら得るものがありましたら幸いです。

ではまた。

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