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zoom撮影で問われるアイデンティティの話

もともと極端な夜型ですが、コロナで自粛な生活により睡眠時間が4周くらいした挙げ句、朝6時起きの朝型にジョブチェンジしました。

フォトグラファーのクロカワです。

シャワー浴びながら考え事がまとまり、noteを書いていますが、めっちゃ眠いです。例のごとくゆるく思うがままにnoteを書き始めたので誤字脱字は寛大な心でスルーしてくださいまし。

※ちなみに大前提として「フォトグラファーにアイデンティティは必要」という考え方がベースになってます。

zoom撮影という手法が流行っていますね

zoomっていうビデオチャットのアプリケーションでミーティングや飲み会をするのが流行っていますが、zoom撮影なんてのもでてきましたね。
(コレ誰が一番最初にやったんでしょうかね、すごい)

有名どころでいうと写真家の蜷川実花さんもやっておられてました。

zoom越しにフォトグラファーとモデルのセッション。
コロナの最中、様々な試行錯誤でクリエイティブが進化していくのは喜ばしいことですが、同時に
「これはフォトグラファーのアイデンティティが問われているな」
と思ったわけです

写真における認知について

フォトグラファーのアイデンティティの前に、僕の思考の前提に触れておきます。

そもそも写真を見たときの一般的な認知順ってのは大きく言うとこうだよね、と思うのです。

① 人物が写っている写真だ
    ↓
② XXさんが写っている写真だ
    ↓
③ 〇〇さんがXXさんを撮影した写真だ

まず ① の人物が写っている・主題である、というのは基本的には一目瞭然です。
そして ② についてはモデルさんの知名度に依存。
最後に ③ ですがこれはフォトグラファーの知名度に依存しますが、③までの認知を得られることは稀なわけです。
どんなに有名なフォトグラファーでも、一般的にはモデルさんのほうが認知されている可能性が高いです。
まぁフォトグラファーって基本的には裏方ですし、写真に興味がある人に認知されていれば御の字といっても過言じゃないでしょう。

あくまで大きく一般的にって話なので、「モデルよりフォトグラファーの方が有名な場合がある」などなどの細かい例外はさておき、基本的には写っているモデルがその写真の認知に占める割合はどうしても強くなります。

zoom撮影で問われるアイデンティティ

ではフォトグラファーのアイデンティティってどこにあるの?と。
これは当たり前にフォトグラファーそれぞれに違うわけです。

カメラ、レンズ、画角、構図、色味、色使い、階調、光、モデル選びの傾向、ロケーションetc...

前述の蜷川実花さんの場合はざっくり言うと
・鮮やかなピンク・イエロー・ブルーなどの色使い
・花をモチーフとして合わせる事が多い
・眼力の強いモデルを選ぶことが多い

個人的な印象かつ、めちゃくちゃ大雑把に書いてますが、蜷川実花さんとその写真作品をご存知の方は概ねこういった捉え方をしているのではないでしょうか。
そしてこれらの要素は、蜷川実花さんご本人がカメラを持って撮影をしても、zoomで撮影をしてもそれは変わっていないので「蜷川実花さんの写真」と認知できます。

で、僕らはどうなのか。
自分のアイデンティティはどこに依存しているのか。
機材に依存しているのか、被写体なのか、ロケーションなのか、仕上げなのかetc...

フォトグラファーのアイデンティティが弱いと
「あれ?フォトグラファーいらなくない?」
「ちょっといいカメラで自撮りして、それっぽいフィルターかければOKじゃない?」
モデルが薄々感づくのではないか?
ちょっと穿った見方かもしれませんが、そんなことをふと思ったわけです。
単純すぎる想像だけどその可能性はゼロじゃない。

zoomだけで言えばそのフォトグラファーとわざわざコラボする理由が問われている。
撮影全般で言えばそのフォトグラファーに撮影を依頼する理由、必然性はどこにあるのか。

zoom撮影でこういったことが明確に浮き彫りになったんじゃないかなと、僕は思いました。

僕はカレーになりたい

カレーは好きですが別にカレー屋さんになりたいわけじゃないです。
自身のアイデンティティの理想形がカレーに似てるなとさっきシャワーを浴びてて思ったんですね...

カレーってすごいんですよ
家庭のカレー、インドカレー、欧風カレー、ドライカレー、カレーうどん
何をとってもカレー味が入るとそれはカレーという大きなジャンルにくくられるし、料理の名前に "カレー" と入ってる。

カレー味が入っても、甘くも辛くも酸っぱくもなるし、和風も洋風もいけてしまう。懐が深いんですよね。

可変性と主張の強さが共存できているわけです。

僕で言えば、人物でも静物でも、スタジオでも外ロケでも、可変な要素をなるべく多く含みつつも、クロカワが撮ったという主張が残る、わかる。
そんなフォトグラファーでありたいなと改めて思ったわけです。

少々話がインド方面にずれましたが...

コロナによって撮影の仕事がリアルに減っています。
モデルさんやライターさんに自宅でできる範囲で撮影をお願いするような案件がかなり増えてきていると多方からよく耳にします。

カメラメーカーの多大な努力により、カメラも随分性能が良くなり価格も安くなり、手軽に質の高い写真が誰でも撮れる時代になりましたし、フォトグラファーに高いお金を払ってわざわざお願いする理由とは、と問われるシチュエーションはさらに増えるでしょう。

「あなたに撮影を依頼する必然性はどこにあるのか」

改めて問われているなぁ、そうヒシヒシと感じる今日このごろです。

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