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無慈悲な帳尻

~1~ 
 
 
改札口を抜けて幅の広い階段を一段一段飛ばすことなく丁寧に降りる。そして外の眩しさを制御するようにゆっくり顔を上げると、視線の向こうには先月とは全く趣を異にする情景が広がっていた。
 
 
〈今日はやけに人が多いな。しかもクソ暑い。〉
 
 
東日本大震災から1年の苦難を乗り越えた2012年の5月。
 
新横浜駅の北口広場へと降り立った私が最初に感じ取ったものは、決して心地のよいそれではなかった。
 
「深緑の季節らしく快晴」と聞けば耳触りは爽やかであるが、気温は14時現在で30℃近くまで上昇して体感湿度も高い。その蒸し暑さたるや真夏のそれとさほど変わらないレベルに達している。
さらにその挙動に仕事臭を一切感じさせないガチャガチャした人混みが、蒸し暑さを視覚的に増長させる。
 
 
〈どうせ伊吹さんはまだ着いてないもんな。〉

 
とにかく北口広場に蔓延しているこの圧倒的熱量を持った人混みから1秒でも早く視界を外したい。
 
ただそれだけの為に別にどこを見るでもなく、交差点向こうのビルの看板あたりに視線を泳がせながら私は小さくため息をついた。

 


~2~

 
人々は未曾有の震災から復興を果たすべく前を向き、この国の逞しいサラリーマン達も既に戦線復帰して新しいビジネスチャンスを求めて奮闘している。
 
とりわけ原発事故に端を発した「節電需要」は業種や企業規模の垣根を超えて、あっという間にその新ジャンルを形成していた。
 
私が働いているユーラシア商事もその波に乗るべく新規事業を立ち上げている。会社から私に与えられた職務は、まさにその中核となる新しい節電商品の販路確立である。
 
独身アラフォーの私にとって新規事業は今までの営業経験を生かして仕事への情熱を注ぐには最適なポジションだ。 
まあ独身はあまり関係ないが。
 
今日はその取引先とのプロジェクトミーティングの為に、ここ新横浜を訪れている。

ユーラシア商事からは私と伊吹さん、先方からは4人が出席して合計6人でマーケットリサーチなどあらゆる議題について討議される。
 

 
伊吹さんはその分野に精通しているという触れ込みでユーラシア商事に中途採用された私の上司だ。
 
年齢はアラフィフ。身長は180センチ以上の大柄で注文通りのメタボ体型。髪型は短髪でソフトモヒカン風。
人柄は穏やかで面倒見も良く、ステレオタイプな上司に形容されがちな「瞬間湯沸かし器」や「パワハラ野郎」といった言葉とは無縁。
 
そして何故かいつもニヤニヤ笑っている。
 
ただ何においてもギリギリまで行動を起こさない面があり、頻繁に部下である私たちをイラッとさせる。
 
またちょっと存在感のクセが強いというか、関わりの薄い他部署の人々からは好奇な目で見られることが少なくない。
 
それでもこの男の一番素晴らしいところは、決して責任を部下になすりつけないところ。贔屓をしないところ。そして手柄を部下にさりげなく与えるところだ。
 

私は時折、彼のだらしなくニヤニヤした顔を眺めながら

〈あれって出来そうで出来ない事なんだよなぁ。〉

と感心しつつも、ほとんどの時間は

〈この男の頭の中は一体どうなっているのだろう。〉
 
と筆舌に尽くしがたい奇天烈ぶりに翻弄され続けている。
 

 
電話の向こうの取引先に自らを名乗る際には決まって

 

「伊豆の【伊】に風が吹くの【吹】と書いていーぶーき!伊吹です。」
 
 

とやたらと張りのある声で伝える。もはや定型文化されており音声ガイダンスのようだ。
このガイダンスが流れると、どこからともなく薄笑いや目配せが起こる。それだけ職場内においてインパクトを与えている存在なのかもしれない。
 

こんなことがあった。

 
ある日、いつものように伊吹さんが電話の向こうの新規の問い合わせに対し威勢良く自らを名乗っていた。
 

「伊豆の【伊】に風が吹くの【吹】と書いていーぶーき!伊吹です。」
 

そのやり取りをぼんやり眺めていた数分後にFAX受信の音が鳴る。さっきの電話でFAX番号を教えていたので、恐らくはその受信であろう。

プリントアウトされたFAX用紙を手に取り中身を見た事務員は、何故か物凄く怪訝そうな表情で小首をかしげながらデスクに持ち帰ってきた。
 
異常を感じた私がその用紙を覗くと、そこには見慣れない宛名が。

 

ユーラシア商事株式会社 豆吹様

 

どうやら発信者は伊豆の【伊】ではなく【豆】を採用してしまったようだ。
 
読み方は「ずぶき様」であろうか。発信者も相当な葛藤があったはずである。はたして世の中に「豆吹」なんて苗字の奴がいるのか?と。
 

・・・・・・。

 
今日もそんな豆吹さんの到着をいつもと同じように、ゆっくり時間をかけて待つことになった。
 
ちなみに彼は待ち合わせ場所には1分前にならないと現れないという筋金入りのギリギリ男。だから決して早く到着はしない。
 
必ずだ。ちょっと早く着いちゃったなんてシチュエーションは過去に一度もない。かといって遅刻もしない。到着は必ず1分前かそれ未満のギリギリだ。
 
最初のうちは取引先のロビーを待ち合わせ場所にして正式集合時間を伝えていた。しかし彼の特性から1分前にならないと姿を見せない。毎度それではヤキモキするので、最近は駅前に10分前集合としているのだ。
 
ちなみに先週買ったばかりの画面の大きなスマホの時計は14:13を表示している。
 
取引先とのミーティング開始は15時。駅前の待ち合わせは14時50分。
 
まだ伊吹さんの未到着にヤキモキする時間ではない。
 
 


~3~

 
取引先とのプロジェクトミーティングの為に新横浜を訪れるのも今日を入れて既に今年6回目だ。
 
私はギリギリに到着するとミーティングでも商談でも集中出来ないので、それらの際は開催場所がどこであれ1時間前には現地入りしている。
 
早めに乗り込んで近くの喫茶店やファーストフード店などに入り、そこでコーヒーを飲んで煙草を燻らせながらパソコンを開いてじっくり予習。 
やがてギリギリに到着する伊吹さんを落ち着いて待つ。というのが基本ルーティーンだ。
 
 
新横浜では駅前のファーストキッチンを毎回利用している。待ち合わせが昼時ならば大好物のベーコンエッグバーガーでランチを済ませる事も出来るのでお気に入りの待機場所だ。
 
ところが普段は比較的すんなり入れるファーストキッチンが今日に限っては超満員。注文カウンターの列も一向に縮まらない。
 
14時だからランチタイムという訳でもないのに喫煙席も禁煙席もギッシリ。人数に対してイスが足りずテーブルの前で立ち食いしているグループもいる。
 
 

しかもその内訳たるや女子女子女子女子さらに女子。
 
 

並んでいる列を一旦離れてファーストキッチンのガラス張りの店内や駅前を埋め尽くす女子の大群を眺めていると、彼女たちの多くが何やらウチワらしきものを手にしている事に気づいた。

漢字で「団扇」と書くほど風流なものではなく、おどろおどろしいカラフルなアルミ箔ベースに漢字やハートが書かれている。
 

〈あれ?〉
 
〈これはまさか・・・・・・〉

 
ふと甦る1995年の記憶に戦慄が走る。

 
〈上祐ギャルか!?〉
 
〈そんなわけない。〉

 
むしろここに群がる世代のほとんどは、そのワードはおろか事件に対する認識すらないであろう。
  

発想にどこか偏りがあるのが私の良くないところだ。

 
改めてさりげなくウチワの文字を読み取ってみる。

ところがこの蒸し暑さのせいで恐らくは誰かの声援用であろうウチワが、本来の役割である扇いで涼をとる「団扇」として機能してしまっているためパタパタ揺れて文字が読み取りづらい。

 
最初に読み取れたウチワに書いてある漢字は「光」。
 
やはり、そこはかとなく怪しいニオイが。
 

続いて見えたのが「涼介」。

 
さすがにこれでわかった。今日は横浜アリーナでHey! Say! JUMPのコンサートだったのだ。
 

その場に止まっていても仕方ないので少し歩を進めて周辺を観察してみることに。
 
すると歩道の端っこで明らかにシノギの薫り漂う目つきの悪い小柄なオッサンが露店を構え、ジャニーズ事務所に無許可と思われるブロマイドとポスターを販売している。
 

「ほら!レアもんだよ」

 
性別以外のあらゆる分布図でHey! Say! JUMPとはおおよそ対極に位置するオッサンが、そのビジュアルに準拠した期待通りのしゃがれ声を張り上げ女子達を呼び込む。
  

〈おいおい、こいつは「レアもん」じゃなくて「パチもん」だろ。〉
 
〈こんなものコンプライアンス全盛の現代では、事務所に忠実なジャニヲタには見向きもされないよ!〉
 

と見下したようなツッコミを入れていると・・・・・・
 


「きゃー!この慧くんヤバくない?」
 
 
「えーなになに?ひゃぁぁー!これ神っしょ!」
 
 

まさかの好感触。

 
〈そうなっちゃうか・・・・・・。〉

 
 


~4~
 
 
群衆心理とは恐ろしいものだ。
 
つい5分くらい前まで、ここに存在している事すら否定されていた感のある怪しげな露店。
 
それがたった一組の女子からの承認を得ただけで、みるみるうちに人だかりで膨れ上がっていく。
 
そういえば女子に囲まれて俄然イキイキしてきた露店のオッサンがだんだん寺島進に見えてきた。
 
 
〈イカン。私もうっかり流されている。〉
 


北口広場に群がる女子は増殖する一方だ。
 
〈この感じだと横アリの開門は16時か。〉
 
入店が絶望的となったファーストキッチンの周りを未練がましく何往復もウロウロしていると、先程まで占拠されていた駅前のベンチが女子の移動により奇跡的に空席となった。
 
この千載一遇のチャンスを逃すまいと、サイコパスを演じるコントのようにイカれた目付きで一点を見つめて真っ直ぐ早歩きした。その甲斐あって後方から迫ってくる影を必死で振り切り待望の陣地をゲット。
 
薄手とはいえこの気候では羽織るのが厳しいジャケットとノートとは名ばかりの大柄なパソコンの入ったバッグを抱えベンチに座る私。
 
周囲の女子からはどう見えているのだろうか。

 
忙しそうな敏腕営業マン?
 
はたまたリストラを家族に隠してるサラリーマン?
 

〈そんな事よりも早く伊吹さん来ないかなぁ。〉

 
この陣地だけは絶対に譲れんとばかり深々と腰掛けて、しばらくの間スマホでYahoo!ニュースを読んでいた。
 
膝の上のバッグポジションを直そうとした時、ふと出発駅のNEWDAYSで買ってカバンに入れたままにしていた「伊右衛門」の存在を思い出す。
 
モゾモゾと取り出しキャップを開けて、目をグッと閉じてテイスティングの如くひと口目を舌上に乗せてから飲み込んでみる。

 
〈ぁぁああー!んーまいっ!甘くないのにしておいて良かったぁ〉

ペットボトルはビニールの中で汗をかき少しだけぬるくなっていたが、この暑さの中での水分補給は安っぽい表現になるが紛れもなくオアシスであった。

今度は薄目を開きペットボトルの中身を口に流し込んでいると、その視線の先で誰かがこちらを見ているような。
 
 
〈気のせいかな・・・・・・〉
 
 
視線を感じた先を目で辿っても特に警戒心を強めるような異変はない。せいぜい30メートルくらい先に、周囲の女子の大群とは一線を画したやたらかわいいユルフワな清楚女子の存在が目に入った程度だ。
 
 
「伊右衛門」をもう一度流し込む。今度は明らかにそちら方面に目をやりながら。
 
すると明らかに一人の女子と視線がピタリ。 
 
 
「あっ!」
 

思わず声が漏れる。
 
吐くというよりは吸う感じの声の漏れ方だ。
 
それも吸ってるのに吸いきれない感じは、無呼吸症候群で目が覚めたときの息苦しさと似ている。
 
 
そんな変な声の漏らし方をしたのも無理はない。
 
目が合ったのは他でもない、最初に見えたやたらかわいいユルフワな清楚女子だ。
 
芸能人に例えるなら相武紗季ちゃんのような佇まい。
 
彼女は少しはにかむような笑顔でこちら「方面」に会釈をすると、徐々にこちら「方面」に歩を進めてきた。
 


〈いやいや、それはないでしょ。〉
 

 
私は狼狽した。きっとこれは自分と思わせて後ろに違う誰かがいるパターンだろ。
 
しかし振り返ってみると人どころか鳩が2羽のみ。全く動きをシンクロさせずそれぞれが好き勝手に地面を歩き回っている。
 


〈ということは・・・・まさかの逆ナン!?〉
 

 
視線を戻すと彼女は人混みをかき分けながらこちらに一段と近づき笑顔で私を見ている。もうこちらに「方面」はいらない確信的なレベルだ。これは間違いない。
 
 
 
〈時は来た。それだけだ。〉
 

 

狼狽はいつの間にか「人生の悟りとこの後の段取り」へとシフトしている。
 
目の前に到着するまでに恐らく数十秒程度の制限時間。
 
とにかく色々な事を考えた。この瞬間に集中して頭脳を働かせるために、思考回転のアクセルをベタ踏みにした。

 

〈そうか。人生ってこうやって転機を迎えるのか。〉

 
〈今まではモテない人生だったけど、ちゃんと帳尻が合うように出来てたのね。〉

 
〈いやいやここまで独身で良かったわー。〉

〈今日のミーティングはパスで良いのでは?〉

 
〈いや、コンサート終わるまで待っててあげなきゃだしミーティングは丁度いい時間潰しだ。〉

 
〈ここなら洒落たバーとかもみつかるよな。〉

 
〈ホテル?確か「特攻の拓」でそういう場所は伊勢佐木長者町って描いてあった気がする。〉

 
〈いやいやこれは大切な運命。ここは紳士的にとなりのプリンスホテルを当日予約しよう。〉
 
 

わずか数十秒の間に「人生の悟りとこの後の段取り」は、これぞまさに走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
 
生と死の狭間というのは、きっとこんな感じで頭脳がフル回転するのであろう。

 
 
彼女は表情がハッキリとうかがえる所まで接近してきた。距離にして10メートルくらいであろうか。
 
遠目でみるよりさらに透明感のある可憐な表情だ。
 
きっと男漁りなどという言葉とは無縁。聡明で清廉な人生を歩んできたのであろう。
 
 
〈どうだ見たかっ!!〉
 
 
この心の叫びは特定の誰かに対してではない。あえて言うならば過去の冴えない自分、そしてこの欲まみれで薄汚れた現代社会全体に対してだ!!
 
 
そしていよいよ彼女は私の前に立ち止まった。想定よりも靴一足分、積極的にこちらのパーソナルスペースに攻めこんできている。
 
 
〈ああ、お父さんお母さん、そして今まで関わった全てのみんな、僕はここにいる紗季ちゃんと幸せになります。〉
 
 
彼女の到着に合わせて私はその場で起立した。彼女の勇気を奮った告白をベンチにどっしり座りながら聞くわけにはいかない。
 
 
「すみませーん。ちょっと宜しいですかぁ?」
 
 
スザンヌのような甘ったるいかわいい声。
 
鳥肌が立つ程舞い上がった私は、このまま心筋梗塞になるのではないかと思うほど胸がドキドキした。
 
 
「はい。なんでしょうか?」

平静を装いクールに返事をしてみたものの、恐らく顔は目・鼻・口それぞれのパーツが福笑いのように崩れていたに違いない。

〈ああ、どうやってOKの返事したらいいのかな。〉
 
「やっと逢えたね」くらい攻めてもいいのかな?〉

 
と恍惚感に浸たりきっていたその刹那・・・・・
 
 

 
 

「あのぉ、もしチケットが余ってたら譲っていただけませんか?」
 
 

 

 
「・・・・・・。ええっ??」 
 
 
「いや、チケットはないですねぇ。」
 
 
「やっぱりもうないですよねぇ。すみませんでしたぁ。」
 
 
回れ右で足早にその場を去る紗季ちゃん。
 
 

私は再び狼狽モードにシフトした。いや厳密にはチケットをおねだりされた時点で自動的にシフトしていた。
 

〈えっ?ダフ屋に見られてたの?〉
 

〈いやいや、どう見てもサラリーマンじゃん。〉
 

〈でも「もうないですよねぇ」って確認されたよな?〉
 

〈てゆーかむしろ立ち位置的にはさっきの露店のオッサン側にカテゴライズされてるやん。〉
 

〈そもそも今どきダフ屋なんてウロついてるの?〉

〈えっ?お洒落なバーは?となりのプリンスホテルの予約は・・・・・・?〉


 
私はしばらくボディーラインの著しく歪んだ「気をつけ」の姿勢で呆然と立ち尽くした。

心臓の音が聞こえるほどドキドキしてはいるが、きっと耳は真っ赤で死んだ魚のような目になっているはずだ。
 
大きなリアクションなんかとれない。ガチの衝撃を受けると人なんて案外こんなものだ。
 
何とか心を落ち着けようと大きく息を吐く。
 
すると今度は後ろから優しくトントンと背中を叩かれる。

 
〈ん?転機はここからか?そうだよな。そうじゃなきゃオカシイもんな。〉
 
〈とりあえず笑顔だ。切り替えろ!!〉

「はいはい?」

 
今度こそとばかりに満面の笑顔で振り向くと・・・・・・
 
 


そこには180センチオーバーにソフトモヒカンの見慣れたメタボおじさんがニヤニヤ笑って立っている。
 

「いやぁおまたせしました。今日は暑いねぇ!」
 

伊吹さん・・・・・・。
 
 

愛・希望・夢・幸福・生き甲斐・感謝・・・・つい数分前まで溢れかえっていたポジティブでみずみずしい言葉が、急に甦った蒸し暑さとニヤニヤした笑顔のダメージを受けて跡形もなく蒸発していく。
 
思春期のようにみなぎっていた感情は、出来事が白昼夢であったかのように虚脱感へと変貌していった。
 

手持ち無沙汰の現代人の多くがそうするように、私もとりあえずスマホ画面を開いてみる。

 

〈あっ、結局いつも通りだ。〉
 


 
時計は「ピッタリ」14:49を表示していた。
 
 
 

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