某男子校進学校を卒業する前に思うこと

以下は来年に某男子校進学校卒業予定の筆者が卒業文集として書いた文章のほぼ全文です。学校名は一応***として伏せていますが、まあ読む人が読めばすぐどこかわかると思います。

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まえがき

九月も中ごろに差し掛かった。卒業もあと半年のうちに迫っている。気が早いような気もするが、受験もあることであるしそろそろ卒業文集の草稿などを書き始めてもよいのではないか。そんなことを考えている初秋である。

自分は高校から***に入学した。中学受験もしていないし、受験することを決定したのも中三の夏であったので、かねてからの強い憧れがありこの学校に入学した、というわけではない。だが、入学前の私が所謂「自由」の校風というものに興味をひかれたことは事実だ。そして、この三年近くで私の目に映る***校の「自由」の相貌がかなり形を変えたこともまた事実だ。

これが高校から入学した(=「新高」である)ゆえのものであるのかは判断しかねるが、正直なところ母校としての愛着を今のところあまり***に対して感じていない、というのが率直な実感だ。それなりによき友にも先生にも出会うことはできたと思うが、それが人生のマイルストーンとして機能するほどの深い感慨や印象深い思い出として刻まれた感覚は、二年と半年近くを過ごしてきた中を振り返っても特に見つかるわけではない。まあ、えてして愛着というものは過ぎ去った後や失った後にようやくひしひしと感じられるようになるものであるとも思うので、今そのような感慨に浸れないのも当然と言えば当然のことかもしれないのだが。とはいえ、卒業という言葉を聞けども、そうかもうそこまで時間が経ってしまったのだな、という無自覚であった時の流れの速さに対する一抹の感傷は抱きはすれども、まだまだずっとここにいたいという思いは全くと言っていいほど湧いてこない。そしてそれは、大学などといった新しいライフステージへの期待感を持つが故の「進歩的な」愛着の喪失というわけでもなさそうであることも付け加えておく。

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noblesse obligeについて

思うに、大学に進学すれども新天地に行けども本質的な活動領域というか生息圏はあまり変化しないのではないだろうかという直感がある。それはすなわち、高校までの段階で私がこれから暮らしていく(であろう)領域はある程度「区分け」されてしまったという感覚だ。先に***校にずっといたいという思いは湧いてこないと書いたが、それは単に***という場に拘泥する気持ちになれないからだけではなく、予期される進路をとったところで本質的な環境の変化をあまり感じることはないだろうと予想しているからでもある。

***に入って以来、どことなく「失われていく」感覚について自覚的になることが増えたように思う。それは***というある種異様な空間に親和していくことと、中学にいたときの自分が肌感覚として持っていた「一般的」な感覚、価値観、文化などが徐々に自らの裡から失われていくこととの間の相克であったと同時に、社会に対して感じるある種の恐怖感と言うべきか、疎外感と言うべきか、そのような感覚の現れだったようにも今となっては感じられる。

***の生徒は社会感覚が「世間」から遊離していることについて半ば否定的に論ぜられることがままある。昨今ではこうしたあり方について世間からそれを「特権性」として批判するような声が聞こえてくることも増えた。表現としてさほど間違っているものではないと思うし、格差や再分配のような問題を考えれば社会構造的な特権階級の存在そのものやそのあり方を批判することにも一理あるのだが、そうはいっても皆が皆、はいそうですかと納得できるというわけでもないのだろう。たとえ客観的に見れば「恵まれた」人々であっても、主観的な視点からすればそうした立場を「自らの手で手に入れた」人々であることは往々にしてあることだからだ。

こうした問題にまつわる一つの概念として「ノブレスオブリージュ(noblesse oblige)」というものがある。率直に言えば、***での生活を経て自分はノブレスオブリージュの精神は「死んでいる」という感想を持った。誰を非難するというわけでもないが、***は自己責任論と選民思想まがいの意識が罷り通る学校だと感じる。そうした意識が涵養される空間であるというよりは、そうした意識を「素朴な感覚」として持っている人が集まる場である、と言った方がより正確であるかもしれない。数年前の東大の入学式で上野千鶴子氏が引用し話題となった、現実に起きた東大生による女子大生集団暴行事件を題材とした小説で『彼女は頭が悪いから』という作品がある。言わずもがな、その題名は女子大生を暴行した東大生の一人がその裁判の公判での発言からとられているのだが、そうした発言が裁判という公の場において出てくることには、そうした価値観の「素朴さ」が見て取れる。何もいわゆるエリートが婦女暴行を起こして悪びれない傾向にあると言いたいわけではない。この場合はたまたまそういう場でそういう価値観が発露したというだけで、おそらく幼少期から家庭や受験塾のような環境から半ば所与のものとしてそういう価値観を摂取し続ければ、誰しもそうしたことを「悪意」のないまま行うようになるのだろう。そしてこうした価値観は大なり小なり、私も含めて、***にいる人間のほとんどに備わっているように思われる。

正直、個人的には自らの立ち位置を顧みることなくそうした信条を恥ずかしげもなく開陳してしまう人々には微妙な感情を覚えるが、だからといって彼らを道徳的に劣等だとかそういう風に非難すべきだとも思えない。それは近代において共同体意識の希薄化が進んだことの当然の帰結の一つにも思えるからだ。今やノブレスオブリージュは「業」や「原罪」のようなものに成り果てた、自分はそう考えている。高い社会的地位に伴う責任は半ば生得的なものであると同時に、その理念に従うかどうかはもはや信仰の問題なのだ、と。

それでも自分がそうした自己責任論のような理念に共感しかねるのは、結局のところ自分が社会総体、とまではいわなくともかつて身近であった人々から疎外される潜在的な可能性におびえる心を持っているからなのかもしれない。言い換えれば、それはある種の「嫌われ者」の自覚をしているからなのかもしれない。

高三ともなると友人と受験の話をしながら電車に乗って下校したりもするのだが、やはり「東大」とか「理三」といったような言葉が頻繁に登場する。進学校らしい会話だと言えばそれまでなのだが、友人と話しながら「ここで尼崎あたりで乗ってきたおっさんに何か絡まれても文句は言えないな」みたいなことをよく考えている。別に尼崎から乗ってくるおっさんは金髪のウェイ系の兄ちゃんとかたまたま乗り合わせた浪人生とかでもよいのだが、何にせよ偶発的に出会った人にそれほど直截的な理由のない嫌悪感を持たれても仕方のない身分なのだと心得ている。むろん危害を加えられるようなことがあれば当然それにはしかるべき措置を取ることができるのが今の日本社会だとは思うのだが、それはそれとしてさほどわけのない嫌悪感を持たれること自体はやはりある程度致し方ないことなのだと思う。当然***生といえども個人によって事情がまちまちであることは承知の上で言うが、例えば世帯年収三百万の家庭の主に「お前らは勝ち組でいいよな」と言われて何を我々が返すことができるだろう?(調べたところ世帯年収三百万以下の家庭の割合というのはおおよそ日本全国の下位三分の一であるらしい)

いわゆる「学歴コンプレックス」という言葉などを使えばそうした扱い自体を一笑に付すこともできるのであろうが、どうにも自分はそういう気持ちにはなれない。そうすることは自分が中学の頃親しくしていた友人や、今でも仲良くしている学外の友人に対してどこか後ろめたさを覚えさせるからだ。だが、だからといって「学歴に意味はない」などといった言説を白々しい顔で振りまく気にもなれないこともまた事実だ。***という学歴は入学してからこれまでも、そしてこれからも様々な場面で有効に機能しうるだろうし、そのまさに特権性を無視して学歴は非本質的であると説いても、それは単に道徳的な評価を得ながら自身の立ち位置に都合よく無自覚であることにすぎない。

結局のところそうした学歴や社会階層の違い、根本的には学力や知的処理能力の違いは自分と他者との間に純然たる「距離感」として横たわっているものなのだと、今は考えている。友好な関係でいたい者との間にも、そういうわけでもない者との間にも、その距離感は断固として存在する。その距離感の前に寂寞と、どこか申し訳なさのような感情の濁りと共に佇む他ないことは、やはり仕方のないことなのかもしれない。こういう感覚は階層化と格差の再生産が繰り返される社会では徐々に失われていくのだろう。それはきっと、ノブレスオブリージュの精神が富める者の中で死んでいくことと無関係ではない。分断され画一化された階層の中で前提を共にする人々とだけ関係することは、現代において少なくともミクロな観点ではきわめて適応的で快適なことだ。それでもまだ、自分がこの感覚を保てているうちはそういう精神の在り方を大切にしようと思う。それは決して社会善のような大義ではなく、ただ目の前にいる他者との果てしない断絶に対する、どこか足掻きのような祈りだ。それはまた、目の前にいる「なかよくありたい」と願う他者に対してただひたすらに恭順の意を示そうとするような、卑小な自身の姿の現れであるのかもしれない。もう少し図太くあれたならば、などと思うこともあるのだが、それでもこういう位置に自分が今立ってこういうことを考えているということは、それはそれでまたひとつの大切な事実だと思うので、ここにこうして書き残しておく。

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***というアイデンティティと「自由」について

「***」という言葉が現代の社会で持つ重みは相当なものであったと今更になって思う。入学前には想像さえし得なかったその巨大なコンテキストはそれまで根無し草のような心持で何となく生きてきた私の人生を少しの間に飲み込んでしまった。今後どれだけ経っても心のどこかで自分は「***校生」なのだと思う。そういう逃れられない「枷」を嵌められたことは生活の中にかなりの便を確かに与えたと同時に、自己への向き合い方をただの自己分析としても、社会への適応の仕方としても、一層難しいものにもした。

話は少し変わるが、これを加筆している今日、高校最後の学校行事、体育祭が終わった。特に何かこれといったものに力を入れたわけでもなくただ普通に(最後の行事であるという点を除けば)過ぎていったのだが、やはり、というべきか体育祭が終わってもなお自分の中に何らかの感慨が残ることはなかった。

きっと自分は「高校生」というコンテキストで高校生活を楽しもうとはあまりしなかったのだろう。いわゆる青春と呼ばれるような経験をプレイヤーとして楽しむことにはあまり惹きつけられてこなかったように思う(そういうある種の「青さ」が伴う体験や感傷の儚さや甘美さが嫌いなわけではないのだが)。むしろ自分は先述した「***」という巨大なコンテキストの濁流に飲み込まれた中で自分はどこにあるのか、どこにあるべきなのか、そんなことをずっとぼんやりと、言うなれば「他者」の視点から考えていたのだと思う。そういう「青さ」はそれはそれでまた、原義の人生の春に例えられる時期、という意味では「青春」なのではないか。そんなこともまた思う。

話を元に戻そう。「***」という記号は強固なアイデンティティとして機能しうる。それは「自分はこの入試を突破してきたんだぞ」とか「自分の過ごしてきた学び舎は『自由』に始まる様々なこんな誇るべきところがあるんだぞ」と言ったような自己完結的なアイデンティティだけを意味しない。社会の中においてもなお「***」という記号は自身を語るアイデンティティとしてあまりにも雄弁だ。だからテレビは定期的に「名門校」の特集をするし、浜学園やらSAPIXやらに子どもを通わせるお母ちゃん方は受験に狂騒するし、***を卒業したあとも***中・高を経て東大〇〇学部卒、なんて風に肩書がついたりもする(私が卒業した中学は大阪の公立中学校であるが、その場合こうして肩書として明記されることはまああまりないだろう)。この強固なアイデンティティは非常に雄弁なもので、それが現代の社会においてもたらしうる利益は計り知れない。「***校生です」というたった八音の自己紹介は、よくも悪くもある程度その者が送ってきたであろう半生をそれを聞く各々に想像させる。中にはその属性に対してあからさまな嫌悪を示すものもいるが、多くの場合それは肯定的な印象や賛辞と共に受け取られる(もちろん、そもそも「***校」という名前すら知らない人々もまた日本に多くいることを忘れてはならないとも思うのだが)。

そうした意味付けの多くの根拠を問えば、いわゆる「学歴社会」と呼ばれる社会における人間の尺度に行きつくだろうが、それはあくまで外向きの話であって、当の***校生が自分たちを***校生たらしめていると考えるような根拠はもう少し違うところにあるように思われる(そうはいっても暗には社会的承認がもたらしている恩恵をその要素として含んでいるとは思うが)。そしてその多くは文化祭であったり生徒会であったり校風であったり、なんというか高校生然とした自校の特徴とでも言えそうなものであろう。とりわけその中でもそうした根拠の位置づけとしてよく言われるところのものの一つとして「自由」という概念がある。

身も蓋もないことを言ってしまえば、少なくともマクロな観点から見れば***校生は決して自由ではない。中学受験でも高校受験でも偏差値ピラミッドの頂点に位置し、それに相当する学校が国内を見ても片手で数えるほどしかない学校に通っておきながら、「自分たちは自由だ!」などとあけすけに言い放ってしまうことは、まったく白々しさにも程があるというものだ。これは***校生がどうというか、一般に高学歴であるような人々にこのような話をすると、自らが高学歴であるからといってしかるべき社会に対する義務は元来存在しないという主張であるとか、自己責任論であるとかいったような弁明および責任回避のような文言が出てくることがそれなりに多いように思うのだが、そうした義務が存するかはさておき、ある程度のネームバリューのあるキャリアを取ることには相応のほだしというべきか、しがらみというべきか、そういうものが必然的に伴うことにもう少し自覚的になったほうがよいのではないかと、個人的には鼻白む思いでそうした人々を見ている。それは、先にあげたノブレスオブリージュの精神のような話というよりかは、単なる精神的成熟の問題であるようにも思われる。義務が存するかどうかという話と他人に対してそれなりな敬意を持って接しているか否かという話は全く異なる話だ。仮に偏差値50に至らない人々を駆逐しても新たな偏差値50に至らない人々が生まれるだけである。学歴の話に限らず、相対的比較という前提で自身の優位性が担保されているという構造に対する指摘は極めて重要なものであるように思われる。

また、そもそもの問題として社会的なものでないあくまで校内における「自由」についても、言うほど自由か?という感想を抱かざるを得ない。少なくとも学校に在籍するほとんどの人間が高々小学六年生の段階で、東大京大医学部に進学することが半ば当然であるかのような規範を植え付けられ始める環境であるという一点だけをもってしても、それで自由だとよく言えたものだと個人的には思う。むしろ、校内で用いられるところの「自由」が指すものはそのようなまさにレールを敷かれた人生ともいえる強固な既定路線が環境的に存在するがゆえに発生するバッファのことなのではないかとすら思う。少なくとも、より広範な意味における「自由」が仮に本来的には***に存していたとしても、誰もがそれを享受できるというわけでないのだろうと推察している。潜在的な自由がいくら存在すれども、それは必ずしも精神的な自由と一致するものではない。ほとんどの人々にとって享受される***校の自由とはせいぜい現実的に施工可能な範囲での(主に生徒会による)自治と、学校としての放任主義くらいのもので、それを「自由」という多義的な概念をもって表現してしまうことはいささか仰々しすぎやしないかというのが筆者の今の率直な実感である。「自由」を履き違えるな、という主張(指導?)はしばしばなされるが、そもそも現状に「自由」という広義な概念を照らし合わせようとすること自体がそれこそ「履き違え」なのではないだろうかと思わされることは多い。

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「福祉施設」と社会適応について

三年弱の学校生活を経て、今、誤解を恐れずに言えば、***校は「福祉施設」であると思っている。こういう揶揄の仕方は校内の生徒によって時折なされることがある。そういう場合、そこには大抵自虐と茶化しの空気のようなものがあり言ってみればそれはただの品のないお戯れのようなものである。だがしかし、それと同時にそのような茶化しの空気感によって自分たちの(可能であればできる限り触れたくない)実像を覆い隠している、そのような向きもあるのではないかとも思う。

これまた身も蓋もない言い方をすれば、***の生徒は(そういった診断が下りる場合が全てかはさておき)その八割がたは発達障害と分類されるような発達特性を大なり小なり有しているのではないかと個人的には思っている(自分に関しても、それなりにその傾向があるように感じられる)。これは決して偏見でも揶揄でもなく、世間一般的感覚からすれば常軌を逸していると言わざるを得ないような入試で生徒を選抜した結果としてなんらか発達の仕方に特性のある者が入学者の大半を占めてしまうことは、少なくとも直感に反するようなことではないように思われる。それどころか場合によれば統計的な傾向から導き出される一つの妥当な推論であると言うことすらできるのではないだろうか。先に断っておくとここで論じたいのは医学的な診断に基づく発達障害などの発達特性がもたらす影響云々についてではない。むしろ、そういう診断のような公的なサーティフィケーションを必ずしも伴わない「社会不適合性」とそれに起因する「生きづらさ」について考えることを主な論旨としたいと考えている。これは程度の差こそあれ社会に生きるすべての者にとって考えることを避けがたい問題でもあるようにも思われる。

個人的な感覚によった話ではあるが、自分の公立中学にいたころの空気感や集団的規範を思い返しつつ今の同級生の普段の立ち居振る舞いを見ていると、彼は公立の学校に通っていたらうまく馴染めていなかった可能性が高いだろう、と思うような同級生が一定数いることは事実だ(そうした立ち居振る舞いが見られるのは必ずしも在来生に限った話ではないが、割合としてはやはり在来生のほうが多いようには思われる)。そういう同級生を見るたびに、***校の福祉施設としての側面を痛感させられる。もっとも、それは決して悪いことではない。現実として高い知的処理能力を有しながら(あるいはそれゆえに)社会に溶け込むことに生きづらさを感じる人々は多く存在する。そして残念なことではあるが、そうした人々が学校のような成長の過程上避けて通ることは難しい「公共」において、その才をくじかれてしまうことは少なくない。多くの人々は人目を憚り「***校は『福祉施設』である」などとはおくびにも出さないが、高度な知性を持ちながら社会性をあまり有することのできなかった人々のアジールとして***校が機能していることは、否定する方が難しい。個人的にはむしろ、そうした場は社会的財産ですらあると思う。その意味では***には、失われてはならない価値がある。

だがしかし、そんないい話で終われるほど筆者は***を楽観視してはいない。先に述べた***校のアジールとしての価値の裏には、不都合な面、あまり目を向けられてこなかった面も多々存在するように思う。

まず大前提として、そもそも***校という空間は本当に福祉施設として機能しているのだろうか、という問題がある。すなわち、先に福祉施設という語を用いたもののその実は中高六年間ないし三年間の期間だけ、生徒を保護する一種の「収容施設」と化しており、生徒に対して社会への適応を促すような作用がほとんど働かなくなっている、その意味で***校は真に「福祉施設」たりえないのではないか、という指摘である。

先ほどから福祉施設福祉施設と仰々しい言葉遣いをしておきながらこんなことを言うのも恐縮だが、社会への適応を促すことそのものは現代の学校教育において少なくともヒドゥンカリキュラムの一つとしては当然想定されうるものであり、それをわざわざ福祉施設的な活動と位置付けることは本来なら不相応な表現である。しかし、そのある意味での自明さの不在にこそ、現状の***校の陥っている一つの罠があるようにも感じられる。またそれは、本来的には背反であるはずの「自由」と「保護」の状態が例外的に両立して成立している***校の特異な状況に端を発しているようにも思われる(他方で、この「自由」と「保護」の両立こそが***校を現代社会における高度な知性を持つ生きづらさを抱える人々のアジールたらしめている当のものでもあるとも思うのだが)。

公立中学校にいたころの記憶を思い返せば、そこには衆人環視による同調圧力という「規範」が空気感のようなものとしてあったように思う。それは必ずしも異性からの視線だけを意味しない(もちろん異性からの視線がそこにおいて果たす役割も極めて大きいものであったと思うが)。今筆者のいる***校を鑑みると、そこで重要であったのはその種の規範が「空気感のようなもの」として共有されていたことであったのだろうと思う。それはすなわち、ある種の社会適応が教員からの指導のような直截的な干渉ではない形で促されていたということを意味する。想像される通り、この種の規範は時に驚くほどに残酷なものだ。いわゆる「陽キャ」や「一軍」とされるようなクラスタから嘲笑を受けることしかり、女子のクラスタから「キモい」などと揶揄されることしかり、あまり社交的でない生徒が自席でこぢんまりと一人で弁当を食べるようになることしかり、時には「いじめ」として認められ得るような事態をも引き起こす暴力性をこの種の規範は孕んでいる。

だがしかし、この暴力的な暗黙のルールこそが筆者自身を知らず知らずのうちに社会に対する適応を促してきた側面があることは否めない。それは単に同調圧力の代弁する大衆的な合意に屈することを強要するだけではなく、少しずつ責任ある「大人」へと近づいてゆく自身にその自覚を持て、と背中を押してくれるようなそのような成熟上不可欠なプロセスであったようにも個人的には感じられる。たとえ理念としては受け入れられ難いものであっても、現実そうすることで世の中が回ってゆく、そういうダイナミズムを内在したシステムが人間社会にはいくつもあるのだろうと思う。もちろんそこに生じる不正義は見逃されるべきではないし、そういうある種の「バグ」を取り除かんとする営みもまた社会維持のためには必要である。しかし、あまりにも「理性」や「知性」に依拠しすぎると、感覚ばかりが現実から遊離しこの種の規範のような一定の社会維持に必要な「フェンス」をも引き抜きかねないのかもしれない、などとも昨今の社会的風潮を見ていると思う。

さて、***校はこの種の社会適応を自然と促す作用が極めて働きづらい空間であるように思われる。先に述べた「自由」と「保護」の両立とは、校内におけるその種の抑圧から解放されたという意味での「自由」を、校外もとい「社会」において暗に存在し機能する暴力的な規範からの「保護」の下で享受することに他ならないからだ。もちろん、皆が皆学校だけで生きているわけではないし、その成長に応じて様々な場面でその種の圧力を肌で感じ、時には人から叱られ、時には内省し、徐々に「大人」へとなっていくのだと思う。だがしかし、こと学校に目を向ければやはりそうした成熟を促す機能がほとんど働いていないように感じられるというのが率直な筆者の印象である。だが、このことは半ば仕方のないようなことにも思われる。先ほどから暗黙とかヒドゥンカリキュラムとか、そういう語彙を多分に用いているのはそういうことである。つまり、いわゆる社会適応と呼ばれる発達過程が占める大部分は「ことさらには口に出されないうちに行われる」ものであり、それゆえに教員などが直截的に指導をすることは難しい(そもそもパーソナルな趣向との境界があいまいな部分がある以上干渉の仕方に相当敏感になる必要があるだろうし、当然限界もあるだろう)し、その上に輪をかけて「自由」を校風として掲げてしまえば、ある種の淘汰圧がかからなくなってしまうことは至極当然のことである。

ただの保護施設であったならば、ひょっとしたらこれでもよかったのかもしれない。それこそ老人ホームや障がい者施設のように、適応を促されることなく、ただひたすらに保護される側の者たちの居場所であったのならば。しかし、現実には***校は教育機関である。六年間ないし三年間の「猶予期間」が過ぎれば生徒たちは程度こそあれ、様々な「社会」に差し戻されることとなる。そればかりか、先にあげたように入学時の生徒たちの多くは「生きづらさ」を感じ得る何らかの発達特性を有している可能性がかなり高い。入学したころの授業で教員の一人が「***校の常識、世間の非常識」というフレーズを言っていたことが思い出される。それを聞きながら笑っていた当時の自分を顧みつつ、いったい今の***校で誰が「常識」を教えているのだろうか、としんみり考えてしまう。これは教員が適切な指導を怠っている、などという非難ではない。筆者も「ネットリテラシー」や「登下校のマナー」などに始まるありがたい指導を何度も耳にしてきた。だが、今論じているところの問題の本質はそこにはない。叱られるうちが花、とはよく言ったもので、社会適応上不都合となるような価値観や習慣は往々にしてそうした明確な上下関係を伴う指導の正当性の埒外にある。「教員」が「叱る」ことのできない社会の規範は、仲間内やたまたま集団に居合わせた他者のような対等な立場をもって指摘されたり圧力をかけられたりするなかで体得されていくことが普通だ。しかし、その圧力が***では極めて弱いように感じられる。どことなく自分たちが「変な奴ら」であるという理解だけが共通認識としてある集団においては、どこかしら「ずれた」行動はよほどのことがない限り「許されて」しまうのである。

そのような「社会不適合」的な傾向が何の指導も受けることなく放置されたならばたとえ改善はせずとも、そのままに保存されると考えるのは楽観視が過ぎるだろう。「普通」の社会であれば矯正ないし淘汰されるような特性であっても、それが許容され、かつ大なり小なり似たような属性のものが多数存在する「蛸壺」の中に長期間いることは、基本的には社会への適応から自身を後退させてしまうものだ。はっきりと言ってしまえば、「傷の舐めあい」が発生するのである。

そうした傷の舐めあいはやっている間はそれなりに楽しいものだ。例えば「俺たちモテないよなw」「俺たち陰キャだよなw」「俺たちインセルだよなw」といった風な自虐の体を取った傷の舐めあいは、しているうちはそれなりな安心感とある種の紐帯感をもたらすものなのだろうと思う。しかし、その種のなんというべきか、「オタク」然としたというか、「陰キャ」然としたというか、そういうコミュニケーションのあり方は、没入すればするほど際限なく「常識」のラインを後退させていくのではないかという懸念がある。社会不適合を名乗ることも、「キモオタ」と表現されるような人格を体現することも本来的には個人の勝手であるが、そのような文化圏へと誘導する環境がまだ判断力が成熟しているとは言い難い時期にあまりにも精神的に近い距離にあることには一抹の恐怖感を覚える。そういう文化圏そのものやそこに生きる人々の存在を否定しようという気はあまりないが、とはいえ中学三年生(77回生)などがTwitter上で女性を「女さん」や「ナオン」などと呼称している姿などを見ているとやはり真顔になってしまう。これでまだ中学三年生なのか、などと思いつつこれはこれで義務教育の敗北なのではなかろうか、などとあらぬことが頭を少しよぎってしまいすらする。冗談めかしてはいるが、筆者の体験してきた中学時代を振り返ってみるとやはりこのような状況にはどこかグロテスクさを感じざるをえないところがある(その当事者がどうであるとか、そうではないそこにいる者がどうであるということではなく、そのような環境との精神的距離の近さに言いようのない恐ろしさを感じる)。「若気の至り」で済めばそれでよいのかもしれないが、六年間も極めて同質性の高いコミュニティで過ごしながらどれほどの者がそれを「若気の至り」に留めておけるのかということは考えてみれば恐ろしい話である。

とはいえ、やはり当然ながらこのようなことはいちいち教員が指導してくれるようなことではない。「インターネットの使い方」などせいぜいネット上に校内資料を公開したり、クラスラインでよからぬ動画を共有したりしてしまったときにお叱りを受けつつ学ぶ程度である。ネットであれ現実であれ個人が女性蔑視的な発言や女叩きをしようが、モラルのない発言や行為に及ぼうが、多くの場合誰もそんなことを叱ってはくれない。どこかでメタ的に自らのありようを捉え直す機会に恵まれなければ、エコーチェンバーの中でひたすらに「先鋭化」されていくばかりである。

例としてはモラル的な側面の強い例をあげたが、このような傷の舐めあいとそれによる「常識」の後退は他の様々な場面でも起こりうるものだろう。ファッションしかり、身だしなみしかり、立ち居振る舞いしかり、そうすることにそれほど自明な正当性はない(と思われてしまうこと自体が認知の歪みであるという場合もかなりあるような気もするが)ゆえに誰もことさらに指摘はしてくれないけれども、身内の「文化」の中でそれをおろそかにする価値観を内面化するとあとあと「しっぺ返し」を食らいうる事項は世の中にはごまんと存在する。髭を剃る、整髪する、年齢相応の筆箱やら財布やら靴やらを使う、などといったことは別にそうしなくても「悪くはない」し、ましてや誰もそうしたことについて指導する「正当性」はない。けれども同時にそうした振る舞いは多かれ少なかれ社会適応、社会的成熟のシグナリングとして十全に機能している。そのことを理解したうえでどうするかはまったく個々人の自由であるのだが、そのことを理解するためにはまずある種の「圧力」が必要であるという入れ子の構造がある。

***校にはそうした圧力の不在ゆえに、先にあげたような「適応的な」営為の価値を低く見積もる価値観の内面化を促す環境としての一側面があると言えるだろう。***の人間がどうして普通の高校生は三角関数すら満足に理解できないのだろうと考えることは、普通の高校生がどうして男子校の進学校の連中はこの歳にもなってあれほどまでにも野暮ったい格好と立ち居振る舞いしかできないのだろうと思うことと本質的には何ら変わりはない。属する集団の「ルール」が様々な内面的価値観を規定するのである。そして、そうした価値観の内面化が如何ほどのリスクを孕んだものであるかということはその集団から出るまでは真にはわからない。

「価値観の押し付けが…」「ルッキズムが…」「個人の自由が…」といったように主義や思想や理念のようなものを用いて大上段からそうしたある種の社会からの抑圧を否定することは比較的容易い。しかしそのような否定が必ずしも救済を意味するわけではない。むしろその種の否定は抽象的な概念に基づくがゆえに際限なく正当性を供給し続け、結果としてやはり適応それ自体を困難とする場合が多いのではないかと思う。よく言われる表現を使えばそういう姿勢こそが「頭が固い」と見なされるのであろう。率直に言えば世の中の大半の人々はそういうことに頭を使ってはおらず、ただそこにあるままの圧力をよくも悪くも何も考えずに享受している。もちろんそのうえで社会に通底する思想や理念を言語化することには社会分析的な価値はあるだろうが、それやそれに対する批判を個人の姿勢として体現するべきか否かというのはまた少し違った話のように思われる。独身男性が公園のベンチに座っているだけで通報されるような社会は人道的に望ましくないと主張することは自分が独身男性になることと短絡はしないのである。

補足のような話だが、そうした姿勢はいわゆる「アカデミック」な界隈における文化や価値観と距離感がかなり近いように感じている。そして***においてアカデミックな概念や考え方というものはかなり根強い市民権を得ていると言えるだろう。そのこと自体はすばらしいことだとは思うし、むしろそういう価値観が土着のものとして根付いているからこそ***を受験することを選択したという人々もそれなりにはいることだろう。だがやはり自分たちは大衆からして狂人の道を行っているのだということをある程度自覚しておく必要があるのではないかと思わされる場面は多い。少なくともマジョリティにとって一般的でないものをただ無条件に価値あるものと信奉しその価値判断を強要する姿勢というものについてはそれなりに熟慮される必要があるだろう(これに関しては***がどうというより昨今の学術業界人などの発言を見ていてそう感じることが多い)。それは事実の正誤の問題ではなく他者に対する尊重や、自身の傲慢さの自覚といったような「人付き合い」の仕方の問題である。もちろん、必ずしも大衆迎合的なあり方が優先されるべきでないという反論はあってしかるべきだと思うが、他方で「“無知蒙昧な”大衆」によって決定される現実というものがこのようには限りなく存在することもまた考慮されるべきであろう。その現実に対して、半ば現実から遊離した大上段から振り下ろされる理想論的な「正しさ」で反駁しようとすることは、大衆迎合的なあり方が「数の暴力」であるとするのならば、「学術、思想の暴力」をもって自身を正当化していることに他ならないのではないだろうか。学術の領域は多分に確からしさを含むものであるし、その確からしさが「正しさ」へと転化することも多い。しかしその「正しさ」が一体どこまで応用可能なものであるのかということは大なり小なり学術分野の近傍にいる人間は一度立ち止まって考えるべきであるように個人的には思う。たとえマクスウェル方程式を理解していなくともヴェーバーを読んだことがなくとも、***にいる人間は誰しもそうした学術の「正しさ」に様々な部分で下支えを受けているように思われる。知的誠実さや学問に向き合う姿勢がなくともそれの持つ権威性を身に纏うことは十分に可能であるし、むしろそちらの方が一般的に社会では雄弁にものを言うだろう(何を言っているかわからない読者の方は東大生がMARCHの人間を馬鹿にしている姿を想像したらわかりやすいのではないか)。

こんなことを書いていると、ある教員が授業内で「関数電卓が使えないと大学に行ってから恥ずかしい思いをする」と言っていたことをふと思い出した。個人的には、そんな些細なことよりまったく恥ずかしいことがたくさんこの学校の生徒にはあるだろう、と率直に思ったものだったがこれもまた「***校の常識、世間の非常識」であったのだろうか。

ここまでつらつらと書いてきたことを我慢強いことにも読んでくれた読者の中には、筆者の言うところの懸念は理解できないこともないが、そうはいってもいやに大げさすぎないかと思う方もいるかもしれない。実際、自分でもそう思いながら書いているところはそれなりにある。ここまで***校について散々な書きぶりをしてきておいてなんだが、実際のところ社会に出てからの生きづらさというものを感じる者がどれほど多くいるのかということはなんとなく推測はできてもつまびらかにはわからない。ひょっとしたらここまでで話してきたことはすべて筆者の杞憂であったかもしれない。

むしろ、卒業後に光が当たるのは、学術界や政財界などで相応の社会的地位を占めるようになった人々であることがほとんどだ。しかし、そのことこそがまさに懸念している当のものでもある。先にも書いたが、***校は言うなれば「既定路線」上にあるのだ。入学したころには親類や周囲の人間はそれ相応の将来のようなものを多かれ少なかれ期待される、***はそういう学校である。東大に行って…医学部に行って…などといった物語を多くの人たちは夢想する。そしてそれは決して只の夢物語ではなく、ある程度の確率でそれなりな形で結実する。だが、それゆえにそうはならなかった人々を半ば「落伍者」として扱うようになる、そういう残酷さが***には存在するように感じられる。落伍者という表現は強すぎるものかもしれないが、少なくとも相対的に「日陰者」となることはある程度事実ではないだろうか。人生の頂点が十二歳や十八歳だったと語るエリート階層の人間はそう少なくはないだろう。

生徒会企画におけるOB、土曜講座の講師、教員などなど様々な形で***校生は***を巣立ち社会へと出会ったものと邂逅する。その邂逅の仕方は、いわば「輝かしい」***を巣立った者たちの姿である。しかし、***へと帰ってくることのないOBは本当に「帰ってこない」のだろうか?失礼な話ではあるが、皆が皆「帰ってこない」のではなく、「帰ってこられなく」なった人々が少なからずいるのではないだろうか?今の***という環境を眺めながら、筆者はついどこかでそのように邪推してしまう。そうした人々が本当にいないのならば、それでよいのだ。それならばただこの怪文書が無為なものと化すだけである。だが、そうしたことが本当にないとどこまで言い切れるだろうか?実際そういう人々がいたとしたら、彼らは何に対してその責任の所在を問えばよいのだろうか?親だろうか?学校だろうか?それとも、自分自身だろうか?

名門の男子校の進学校を出て、楽しく過ごしてエリート階層でずっと暮らしていけると思っていたけれど…となった時には既に手遅れなのである。受験勉強みたく「答え合わせ」をしてからじゃあやり直そうか、とは残念ながらならないのである。中高生の間は男子校出身者の生涯未婚率のデータを見ても若さゆえのノリでニコニコしていられるかもしれないが、若いころのある価値観の内面化がその後の人生に重大な禍根を残すということは十分にありうることのように思われる(そのすべてが努力で排除できるものだというつもりもないが)。これはただのかわいそうな他者への憐憫に見えるかもしれないが、同時に筆者の今後の人生に対する何とも言えない懸念でもある。筆者の記憶が正しければ、高三になるまでに二人の新高の生徒が名簿からその名を消した。特段親しかったというわけでもないので、事情は詳しく知らないし、断定することもできないが、何にせよここまで書いてきたような事情を鑑みるとそのことをそれなりに重たく受け止めてしまう自分というものは存在する。そういう形でなくとも高校生活を振り返れば、「いつの間にか姿を消した同級生」というものは直接的にも間接的にも数名ほど目にしてきたように思う。一応断っておくが、彼らを非難しようという気は毫もない。とはいえ、卒業後に自分を含めてどれほどの同級生が「いつの間にか姿を消した同級生」になってしまうのだろうか、そしてそのことを一体誰が知りうるのだろうか、ということは悲観的だと思いつつも考えざるを得ないところはある。卒業してしばしすれば同窓会などあるのかもしれないが、その時もそういうことをどこかで考えてしまいそうである。

「***」というコンテキストは程度こそあれ、それを背負う人を言ってみれば「学歴一点豪華主義」のようなものへと誘い込む。それは個人の意思によらない所与のものと言っても差し支えないほど、否応がないものだ。はじめのうちはそういうものに飲まれることも仕方のないことであるのかもしれないし、そうなること自体を批判することも妥当ではないだろう。だが、やはりそうした経験を経た上でどこかである種の自分の異常性のようなものに自覚的にならねばならないのだろうと思う。それは単に自らの「特権性」を自覚するなどという道徳的な反省会だけを意味するものではない。もっと単純で残酷な現実として自分は社会からあぶれ出た者であり、どこかで「スタンダード」にすり寄っていかねばならない場面がどこかにある、そういう等身大の知覚を煩悶しながら受け止めていかねばならない、そういう難しさを大なり小なり自分たちは背負っているのではないかと思っている。それはある意味では原義の「障害」となりうるのかもしれない。

こういう事情は必ずしも自己認識だけに関わる問題ではない。「社会」からの視線というものは時折驚く程に残酷である。本稿で幾度も書いているように昨今では***のような恵まれた環境にいる人間は「特権階級」として扱われるむきがある。そしてこれまた幾度も書くようだが、その批判の妥当性は揺るぎないものだ。「強者」としてのポジショナリティが***には確かに存在する。しかし、そのことを認めたうえでなお、***を少ない年月ながらその中から見つめてきた者として、言うなれば「不安定つり合い」的な位置にある、「強者性」と「弱者性」を同時に兼ね備えた人間の、あまり取り沙汰されることのない「弱者」としての実像にまなざしを向けたいというのが筆者の立場である。

ここまで長々と書いてはきたが、正直どこまで救いがあるのかということはわからない。発達的な問題をすべて努力要因に責任転嫁してしまうことは不誠実であると感じる一方で、生得的要因、環境的要因を理由に努力要因との線引きを際限なく後退させてしまうこともまた、あまり都合の良いことだとは言えないだろう。その意味においてもまさにこの問題は「福祉」の問題であると書きながら痛感している。実際、この「福祉」の問題は、発達上の「ずれ」を改善することが必ずしも問題の解決を意味するというわけではない。むしろ重要であるのは周囲から「受容」されることなのだと切に思う。どれだけ要領が悪くとも、ものごとの理解が遅くとも、それが例えば「天然キャラ」「不思議ちゃん」などといった形で周囲から温かく受け入れられている場合は少なくない。一般的な空間でそういう「受容」がなされるか否かには大きく「愛嬌」という要素が関わっているように思われる。そして***という環境にそういう「愛嬌」がなくともある程度はその人がその人として受け入れられるという側面が存在していることもまた事実だ。それはこれまで論じてきたような***の社会不適合性を先鋭化させていく環境としての側面とコインの裏表のような関係にある。

極端なことを言ってしまえば「適応」ができなくとも「受容」されてしまえばそれでいいのかもしれない。たとえ「変人」と揶揄されようともコミュニティの中で愛をもって受け入れられるのであればそれはそれで幸せなことに思われる。コンビニバイトがまともにできる社会性を有していなくても、象牙の塔に引きこもって飯を食っていくことができたのならそれはそれで少なくとも主観的には結果オーライと言えるのかもしれない。だが、そうした受容をされるにつけてもやはり多くの場合、一定の「ライン」が存在する。そしてその条件は往々にして、「清潔感がある」だとか「性格に難がない」だとか「キモくない」だとか誰も口には出さないが暗黙のうちに確実に行われる価値判断に左右される。○○の資格を持っているとかそういうものでは代替できないものへの要求がそこにはある。そうしたものへの意識を慎ましやかにでも向けていくことが全てを解決するとは言わないが、それでもそこにはある程度どんな人間でも少しは歩んでいける一筋の光明があるのではないか、今の筆者はそのように信じている。

定期的に散髪をする、髭を剃る、鼻毛を剃る、寝癖を直す、ワックスをつけて整髪をしてみる、スキンケアをする、シャツのしわを伸ばす、ある程度慣れてきたらインスタの美容師のアカウントとかで髪のセットの仕方を調べてみる、ゾゾタウンで服を眺めて、気に入ったものがあったら買ってみる、その程度のことで少しは見える世界が変わる。別にそうすることで誰にも迷惑はかからないが、どれほどの者がそうしたことに気づくのかもわからない。ただ自分の中で決して大きくはないが少しだけ、ものの見方が変わる。結果的には誰かにどう思われるか、という問題に行きつくのだろうが、まず重要なのは誰かに認知されることではなく、自分の中で遠ざけている価値観や文化観との距離を少しずつ近くしていくことであるように思う。現実的には全く無理筋ではなくても、無意識的に思考から遠ざけられている行動というのは直感的にそう思われるそれよりかなり多いように思われる。そういう無意識的に生活から排除された営みについてほとんどの人はことさらに指摘してくれないし、それに意識的に取り組むことはひょっとしたらある種の認知的不協和を伴うものであるかもしれない(そうした文化と「距離感」があるとはそういうことだ)。だが、それをひたすらに忌避すればするほど、「距離感」はより大きなものとなっていきしまいには対岸が見えることすらなくなってしまう。人間はよくも悪くも「慣れる」ことのできる生き物だ。手に届く範囲のことをやらずに大きな概念に自己弁護を依拠する姿勢には、手厳しい言い方のようだがどこか「子供らしさ」のようなものが個人的には感じられる。

ひとつひとつは大したことではないことの着実な積み重ねが我々の日常や価値観を少しずつ作っていく。これを読んで少しでもそういうことをしようという気持ちになれたのならば、服屋でもドラッグストアでも、やりやすいことから始めればよいのだと思う。カミソリやワックスを買うのに大したお金はかからない。友人や周りの大人などに意見を求めてみるのもよいだろう。大切なのは諸々の外部からの理由付けを試みるよりも先に一歩を踏み出すことだ。何も自分のすべてを社会のスタンダードにすり寄らせていく必要はない。自分がこれまで生きてきて大切だと思うことはそのままひとつの矜持として大切に心の中に持ち続ければいい。だが、すべてについてそうしようとするあまり自分が生きづらさを抱えてしまっては本末転倒だ。どこかで「普通」をやっていこうと努力すること、それが今ひとつの庇護される空間から脱して「社会」へと羽ばたこうとしている***校生に必要なことなのではないかと、自戒も込めつつ切に思っている。これを読んで少しでも一歩を踏み出してみようと考える者が増えることを願ってやまない。

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あとがき

ここまででおおよそ筆者の述べたいことを述べるパートは終わりだ。上の文章ではかなり忌憚ない物言いをしたせいで、我慢強くここまで読み通してくれた読者の中にはその表現を不快に感じた方もいるかもしれない。その点については申し訳なく思う。だがやはり、これはあくまで個人的信条として受け取ってほしいのだが、そういうところに立っているというのが少なくとも今の自分にとっては等身大の現実なのであろうと強く思いもする。完璧な「社会適合者」は存在しない。人は誰しもどこかでは不適合さを抱えているものだろう。だが、早々に「社会不適合者」の烙印を自分に押し、ただただ卑小な自意識ばかりを積み重ねていてもどうしようもないこともまた事実だろう。

言い訳のような物言いになってしまうことを承知で書くが、どうしてもこの種の類の話に触れることは書き手と読み手との間に不可避的に一つの権力勾配のようなものを生じさせてしまうものだ。ここまでを読んで不快に思った読者がいたのだとすれば、その理由の大本を辿っていけばおそらくこの立ち位置の非対称性に行きつくことだろう。その点については非常に申し訳なく思うし、実際その点は本稿を執筆する上でひとつの懸念ではあった。本当はこんなことは書きたくなかった、というのは不正確な表現であろうがこういうトピックを仮にも卒業文集の題材として選ぶことがどれほど適切なことであるかは正直わからない。だが本稿のほとんどを書き終えた今、やはりあえて卒業に際しこうした題材について書いたことで何か自分の中に今後残るものはあるだろうという確信を持っていることもまた事実だ。

これを書きながら大雑把に自分が***で過ごした三年間を総括するのであれば「世の中は厳しい」という感想に尽きるのではないかと思い至った。その多くはこの三年間での種々の個人的経験に裏打ちされたものであるように思うので詳述することは避けるが、自身の意図するしないに関わらず付与される立ち位置の勾配、特権性、暴力性、距離感、快不快の感覚などなど人間関係や社会でのあり方にまつわる諸変数に対する造詣をより深めていかねばならないという課題意識が私の中に生じたことは事実だ。

これは何につけてもそうなのだと思うが、地道なことをトライアンドエラーを繰り返しながらとりあえずやるということはやはり大事なのだろうとしみじみ思う。別に「継続は力なり」みたいなことを言いたいわけではない。ただ自分の見える範囲、手の届く範囲で何かをやって何かが変わる、変えることのできる力が自分にはある、そういうプロセスを実感することがことの成否よりも大事なのだと思っている。高々十八歳になったばかりの人間の言にどれほどの重みがあるのだろうかと思わないこともないが、それでもやはりただひたすらにコツコツと積み上げてきた「文脈」の連続性の中に、今も、これまでも、これからも自分の人生があることは確かなことなのではないだろうか、そんなことを今また考えてもいる。

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