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狐さんと過去生の記憶

何故今日この話を書くかと言うと、先日お会いした田の神ちゃんが「私、前世吉原で働いていました。」と話し出したことに始まります。

過去、というと今現在生きてきた記憶のことを言うと思いますが、同じように過去生の記憶のことも言うのかな?

私の1つ前の前世は戦時中。場所は日本。その時の記憶は詳しく思い出せていませんが、そのもう1つ前の記憶を今世で最も強く思い出します。

場所は日本、時代は江戸、もしくは明治なのか、なんと吉原で花魁をしていたのです。

家が貧しく、吉原に来たのだが、逃げることよりも早くトップに立ちこの吉原から出て行こう、そう強く誓い、花魁になった記憶。

当時は花魁になりトップになることで、無駄に働くこともなく、嫌なお客を取ることなく、それなりに自分を貫き暮らしていた。

その後身請けされたのか、死んでしまったのか、記憶はない。

何故そんな過去生を思い出すことになったかと言うと、普通の人として暮らしている現在、自分の意図とは反し何故か吉原界隈へ出かけることが多かったのだ。

ある時は浅草七福神巡りや毎年の鷲神社への参拝、待乳山への毎年の参拝。「吉原の狐舞ひ」と言うものに吉原以外の場所でばったりと遭遇するなするなんてこともあった。

そして、龍の時と同じように、うっすら気づいていたことが確信になるその時。

「アカシックレコード」

それもまた、スピリチュアルな場所ではない集まりでのこと、友人の1人がアカシックレコードを勉強したので前世を見てくれると言うのだ。

アカシックレコードとは宇宙にある図書館にそれぞれの本があり、そこにその人の全ての記録が残っていると言うもの。

その時、彼女は私の前世は花魁だとはっきりそう言った。

「だよね。」私にはそう答えるしかなかったのだ。

今の現実世界でも当時の知り合いに出会うことがあります。

見た目がそのままの人、変わってしまっている人、すぐにわかることもありますし、ハットある時気づくこともあります。

そんな時、どうしても前世の記憶に引っ張られてしまう事もあり、もっと現世に生きて行こうと仕切り直す事もあります。

話は戻り、田の神ちゃんと共通することは、吉原遊女を供養する場所に行った時に涙がとにかく止まらなかったと言うことだ。

前世の事を現世のことのように語り合えたその一瞬がとっても普通だった。

前世と、現世、関係のないようで繋がっている話。

そのあとのこと、九頭龍さんが白川水源から持ってきたよと手のひらサイズの透明の包みにパンパンに入った水が笹に包まれたものをくれた。その後前世の大切な記憶を思い出した。それはそれは大切な記憶。

ありがとう、ありがとう。



《吉原と狐》

吉原の遊女たちは狐と呼ばれ、吉原にある稲荷神社に参拝していたようです。

私も時々狐さんに遭遇します。龍を見るのと同じように見えるのです。

狐さんたちは可愛くもあり怖くもあります。

時には狐の楽しい縁日に遭遇し、そして、時にはお金を持って楽しそうに遊んでいたり、もちろんお嫁入りも。子供の狐さんたちはお金でお手玉のような遊びをし、その遊びでお金を増やして喜んでいました。大人の狐さんたちはちょっぴり怖いような美しさを持っています。

どこかに書いたと思いますが、3つの尻尾の可愛い狐さんが来てくれたことがあります。それを私は勘違いして九尾の狐だとビビっていたのですが。(いろいろな形に詳しいイラストレーターのA氏に聞いたら本当に尻尾は9本?と質問されて気づきました。)

3つの尾っぽの狐さんはフサフサで可愛くて、何かを言っていましたが、私には分からず。

狐さんたちは龍のように大きく時空を超えての動きを見せず、もっとスマートに穴を通って時空を移動しています。何をしているかはわかりませんが、またいつかお会いできたら聞いてみたいと思います。


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