僕のご主人様

眠れず、お腹も空いたので、近くのコンビニに飲み物と食料を買いに出かけた。今は、帰宅して食事を済ませて布団に横になっている。食後でようやく眠くなってきたが、今に至るまでの心理の揺れ動きを記録してから眠りにつきたいと思い立ち、再びnoteを開いた。

高校時代の部活メンツの中に、同じ精神科に通院している友人がいる。興味本位でそいつのツイートを覗き、そいつのnoteを読んでみた。日記だった。2019年の振り返りをnoteに記していた。
要約すると、次の通り。
──彼女ができた。自分に欠点があれど、彼女はそこで幻滅せずに、付き合ってくれている。最高に幸せだ。
という趣旨のものだった。ただ、いつもはカッチリとした文章を書く友人が、柔らかい文体で記しているところを見て、「本当に幸せなんだな。こんなにまで人が変わるんだな」と思った。ただし、僕は、僕の彼女に対して申し訳ないと罪の意識を覚える思考・感情が過ぎってしまった。「その友人が""羨ましい""」という思考・感情だ。

彼女はきっと、そんな感情・思考を抱いた僕のことを不愉快に思うに違いない。だからこそ、明日彼女と連絡を取る際に、確認行為したいと思ってしまっている。ただ、自分なりに仮説を検討することにした。
恐らく、""僕の彼女は僕を幸せにしていない""という前提の思考を経由して「羨ましい」と思ったのではなく、脳死状態で、思考停止状態で、率直に変われること・幸せな状態になったことを、良いこと=羨ましい、と思ってしまったのではないか。
……いや、さすがに長ったらしいし、無理がある理論な気がする。こういう時、彼女に相談すると、彼女は頭がいいので、割と秒で、サクッと解決のためのヒントというか解答を差し伸べてくれるので、いつも助かってます。

さて、書きたかったのはここから先のこと。
多分、羨ましいと思ったことに罪の意識を感じながら深夜の住宅街をコンビニに向かって歩いていたはず。その時流していたプレイリストの中に、マデリン・ペルーの「La Javanaise」が入っていた。(元カノの話をするのは、今の彼女を不快な気持ちにさせるので避けたいが敢えて言及する)。この曲は、元カノと別れる直前に聴いていた曲でもあり、今の彼女と付き合い始めの時にも聴いていた曲だ。つまり、この曲は、別れと出会い、カッコつけると決別と邂逅の曲と言える。当然この曲を聴くに当たり、微弱ではあるものの、元カノとの別れを連想した。しかし、今の彼女と付き合いたての頃の記憶を思い出し、強く心を揺さぶられた。付き合いたての頃、この曲を流して臨海部にドライブしたような気がした。

すると、殺気立っていた感情が落ち着き、ようやくではあるが、彼女が僕に一生懸命寄り添おうとしてくれる・付き合い続けてくれてる的なことを思い出し(いや本当に遅くてごめん…)(的なって言うのは具体的な思考トレースを思い出せなかったからアバウトに言ってます、ごめん…)、俺って幸せ者だなみたいな気持ちになった。

たまたま流れた曲が、彼女との付き合いたての頃の新鮮な気持ち・初心を思い出してくれた、と表現すると分かりやすい。このことを書き残したかった。

彼女は、強迫性障害の人の恋愛をネットで調べて勉強・リサーチしようとしてくれた。そろそろ眠くなってきたので、超雑になってしまうが、もう本当に結婚してくれって感じや…。僕のために尽くしてくれるし、寄り添ってくれるし、可愛いし綺麗だし、トークは面白くて一緒にいると楽しくて、僕のためを考えてくれる人が僕の彼女です。

まとめ
やはり、良い音楽は心を豊かにする。良い音楽が、殺気立った感情を落ち着かせてくれて、視界や感受性をクリアにしてくれる。僕は犬なので、ご主人様と早く会いたいし、ご主人様と電話したい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?