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悪者探しと全力発揮

恐怖→不安→不満→怒りという流れできてますね

今回のコロナ騒動に関して言うと、恐怖は治療法が確立されない限りなくならないでしょう。そうなるとしばらくは不安と付き合っていかなければならないんだけど、自分でコントロール出来る領域をきちんと作っていかないと不満と怒りの人生を送る羽目になりますね。

不満モードに入ったかどうかの目安は「悪者探し」が始まってるかどうかです。「俺のせいじゃないあいつのせい」というやつですね。

だけど悪者探しができるということは余裕があるということなんじゃないですか?

人喰いザメの群れの中に叩き落とされれば悪者探ししている暇などないでしょう。生き延びるというとに焦点を合わせたら不平不満など言っている暇はなくなるはずです。

30年前、野口整体に入門したてのころ、全力発揮できる身体を育てろと言われ続けました。

お前は、自分の身体の不調、それを治してくれない現代医療、苦しみを理解してくれない周囲に不満ばかり言っている。

生き延びたければそんな無駄なことに時間を使うな。全力発揮できる身体を育てろ。

あれから30年。稽古を積むうちに自然と不平不満の極端に少ない人間になってしまいました(笑)

悪者やら敵やらを作って活性化しようとするやり方もあることはあるけれど、感覚も思考も一部しか働かなくなるので効果も限定的です。カッコ悪いし(笑)

「静観」が全力発揮の基礎条件

結局、未知の事態との邂逅が繰り返されるということは今後も続くわけです。未知の事態に対処するために必要な行動の優先順位の上位に悪者探しはないでしょう。

感情を落ち着かせることで理性が働きはじめます。理性的に考えれば当たり前のことでも感情が高ぶるとそうはならない。落ち着いて物事を捉えることを静観と言いますが、静観はある種の技術です。

頭でいくら考えても気持ちが変わらなければ意味がありません。例えば「なるようにしかならない」というのは一つ考え方だと思いますが、この考え方が機能するためには身体知化される必要があります。

つまり感覚として常に働く状態にするということなんですが、この技術を育てるためには稽古が必要になるのです。

この稽古に関しては、漠然とした不安に負けない身体の手に入れ方についてというマガジンで少しずつ連載していますので興味のある方は覗いてみてください。

自分の中で悪者探しが始まってるなと感じたら、一度立ち止まって深呼吸するくらいの嗜みは持っていたいと思います。

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