自分を呪わないために
行儀、躾という言葉が「寄りかからない身体」の育成を目指してきた日本文化の真髄を表していたのはずいぶん昔のことになってしまったようです。
カエサルが「人間は自分の見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かない」というようなことを言っています。
今に至るまで人間のこの習性は変わらない。
この確証バイアスの被害から逃れるためは、自分が「寄りかかっている」ものを精査する必要があります。
職業、会社、肩書き、実績、居住地、収入、能力、資格、家族、知古、人種、病気、不幸等々挙げればきりがないほどのものに、私たちは寄りかかって生きている。
「寄りかかって生きる」は「誰かや何かのせいにして生きる」と言い換えることも出来ます。
うまくいかないのは全て「誰か」や「何か」のせいであって自分のせいではないと考えるのは短期的には精神安定のために有効かもしれないけれど、中長期的、かつ実質的には自分の自己肯定感と美意識を毀損し、成長と繁栄の機会を喪失することになると思います。
それは自分に「人のせい=自分ではコントールできない」という呪いをかけているのと一緒だからです。
リーダーなら、商売がうまくいかないのは政府のせいでも景気のせいでもなく自分のせいと思って日々練磨精進するべきでしょう。
それが出来ないならとっとと引退したほうがいい。
自分が自分にかけている「呪い」に気づく技術の習得がマストの時代になってしまいましたね。
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