#1 アメリカで飲食店開業、日本のレッドオーシャンを抜け出しアメリカンドリームを実現しよう!
まさか自分がアメリカに移住して起業するなんて夢にも思っていなかった。
21年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、飲食店経営どころか飲食店勤務経験ゼロの自分が全てを投げ打ってワイフといっしょに子供達を連れてゼロからアメリカで飲食店を立ち上げるなんて。
2014年2月、上司から呼ばれて部屋に入ると、「塩出君、4月からカリフォルニア支店に行ってもらおうと思っているのだけど」と切り出された。このカリフォルニアへの転勤命令が僕の運命を変えた。
その1年前にニューヨークに転勤となったばかりであった。元々総合商社で働いていたというだけで英語が出来るだろうと買われ、抜擢されたのだと思う。しかし憧れのマンハッタンの超高層ビルでの勤務は散々だった。
相手の言っていることが全く聞き取れない、自分の言いたいことが言えない。冗談好きのアメリカ人からジョークを言われても笑うタイミングが分からない。社内会議もクライアントとのミーティングも苦痛以外の何物でもなかった。
毎日打ちのめされてグランドセントラル駅まで人込みをかき分けとぼとぼ歩きながら、毎日のように早く日本に帰りたいとばかり思っていた。
当時ニューヨークには合計13人の日本人駐在員がいたが、カリフォルニア支店は全員アメリカ人。転勤の打診をされた瞬間は気が滅入る思いだったが、気が付いたら「是非お願いします」と答えていた。
2014年4月24日、ニューヨークから5時間のフライトでロサンゼルス国際空港に到着し、レンタカーを借りて新勤務地アーバイン市に向かっている時に運命めいたものを感じた気がした。
雲一つない真っ青な空
その青空に顔を出す背の高い椰子の木々
燦燦と照り付ける日差し
だけれどもカラッとした心地よい空気
街を見渡しても、皆ラフな格好でスーツを着ている人などどこにも見当たらない。せわしないニューヨークから来たばかりのためか、このどことなくゆるい空気がいいなと思った。
カリフォルニア支店に顔を出すと、事務担当のロビーとオードリーが笑顔で迎えてくれた。ボスとなるトムはクライアントやブローカーとのミーティングによく同席させてくれ、仕事のやり方を見せてくれた。同僚のグレッグとマイクは分からないことは何でも教えてくれ、ブライアンはよくランチに誘ってくれた。
みんな僕が理解できるように話そうとし、僕の言おうとしていることを根気強く聞いてくれた。そうしているうちにいつの間にか英語を話すことが怖くなくなってきた。
2ヶ月後に家族がニューヨークから引っ越して来た。
ワイフは当初「やっとニューヨーク生活に慣れて来たのに、また転勤しなければならないの」とぼやいていたが、カリフォルニア生活が始まった翌週には「カリフォルニア最高だわ。転勤になってラッキーだね。」と言っていた。
小さい頃から両親に何かにつけ「安定が一番」と吹き込まれ、受験戦争を経て国立大学に進学、新卒で総合商社に就職し、その後総合デベロッパーに転職した。
都内にタワーマンションを購入し、子供を2人授かり、これ以上ない生活を送っていると確信していた。
東京生活が一番だと思っていた。
大企業勤務が一番だと思っていた。
タワーマンション生活が一番だと思っていた。
そして安定した生活が一番だと疑ったこともなかった。
しかし、カリフォルニアで生活を始めた時に別世界を見てしまった。今まで想像もしたことのないような世界を。
年間を通じて過ごしやすい気候で、1年の内350日くらいは晴れ。緑が豊富で全体的に調和がとれた美しい街並みに、庭付きの広い家。
仕事より家族との時間を大事にし、他人のことは気にしない、他人とは比べないアメリカ人の価値観。
知識詰込み式教育ではなく、自分で考え解決する力を伸ばす教育。
そして何よりやった人がやっただけ報われるアメリカンドリームは今でも健在だった。
カリフォルニアに引っ越してから1年経つ頃には、どうやったらここに住み続けることが出来るだろうかと夕食の度にワイフと話していた。駐在生活は基本5年と決まっている。
その頃、近所に美味しいパン屋がないので、ワイフが自己流でブリオッシュというパンを焼き始めていたが、友達や近所の人に食べてもらうと大好評だった。
試しにファーマーズマーケットで売ってみると、あっと言う間に売り切れた。
「カフェをやろう!」
「名前はどうする?」
「Briocheがシグニチャー商品だから、Brioがいいんじゃない?」
「Brioを重ねてBrio Brioにした方が語呂がいいかも」
Brio Brio Bakery & café構想が動き始めた瞬間だった。
実際に自分達でBrio Brio Bakery & Caféを立ち上げ、運営してみると、様々な困難に直面した。
コロナ禍もあり開業にすら辿り着けないかもしれないと思ったことも幾度もあり、開業後も逆境に次ぐ逆境だったが、その度に夫婦二人、家族一丸で何とか乗り越えてきた。
開業後2年半が経ち、経営も軌道に乗り、現在は次の展開を検討している。
アメリカには未だにアメリカンドリームを夢見て、世界各地から多くの人が押し寄せてきている。アメリカには無限の可能性がある。
一方で、アメリカに来てから、日本文化、特に日本の食文化・おもてなし文化の素晴らしさを強く実感し、こちらにも無限の可能性を感じている。
先日読んだある記事によると、人口1億2千万人の日本には約150万軒の飲食店があり、これは人口3億3千万人のアメリカにあるレストランの数とほぼ同じと書かれてあった。
別の記事では、人口千人当たりの飲食店数は東京23区が6店を超えるのに対して、ニューヨーク市は1.5店を切り、ロサンゼルス市でも2.5店を下回るとあった。
日本の外食ランチの相場は東京でも1,000円程度だと思うが、ニューヨークやロサンゼルスでは最低でも15㌦は出さないとまともなランチにはありつけず、チップと税金を足せば20㌦は覚悟しなければならないだろう。
東京の飲食店のアルバイトの時給が1,200円程度に対して、ロサンゼルスでは最低時給の15㌦では余程他に魅力的な要素がない限り、人が集まらない(時給の他にチップが時給換算で5㌦から20㌦加算されるのに)。
要するに日本の飲食業界は競合がひしめき合う過当競争状態のレッドオーシャンとなっているのである。
それ故に他の国ではびっくりするくらい美味しい食事でも異常に安い価格で提供せざるを得ず、新しいお店がオープンしては潰れ、低賃金で長時間労働が常態化する悪循環に陥っていると思われる。
それならば、レッドオーシャンの日本から抜け出し、アメリカで勝負しアメリカンドリームを実現してみてはどうだろうか?
ミシュランの星付きレストランの数は東京が226店と世界一を誇るのに対して、ほぼ同人口のロサンゼルスには27店しかない。しかもその内12店は日本食レストランもしくは和にヒントを得たレストランである。
その点だけでも日本の食文化のレベルがどれほど高いか、海外で勝負すれば大きなポテンシャルがあるのかが分かるのではないか。
今アメリカでは第二次日本食ブームが巻き起こっている。
第一次ブームでは客の目の前で炎を上げながら豪快に焼き上げるパフォーマンス重視の鉄板焼きや、日本人の感覚からするとびっくりするくらい濃い味の照り焼き、カリフォルニアロールなどのザ・アメリカン寿司などの、なんちゃって日本食が流行っていた。
第二次ブームでは本格派ラーメンを皮切りに、築地直輸入の素材を使用したお任せ寿司、炭火焼鳥、ジャパニーズ・イタリアンなど、レベルの高い正統派レストランが続々と登場してきている。
しかし驚くのが、それらのレストランを経営しているのは多くの場合、韓国系、ベトナム系、中国系の人達だ。
コロナ前のインバウンドで日本食の素晴らしさを知り、これだと思ってアメリカに持ってきたのかもしれない。
日本人にとっては当たり前だと思っている日本の食のレベルは、海外の人からすると信じられないくらい美味しいのだ。
日本に住んでいるとそれに気付かないが、海外から来た人はすごいビジネスチャンスだと思い、海外で日本食店を始めるのだろう。
しかも、日本と比べて飲食店自体の数が少ないブルーオーシャン市場で、現地の食のレベルを遥かに上回る日本食店をやれば成功しないはずがない。
だったら、日本の食文化により精通している日本人がやったらどうなるのだろうか。
加えて、アメリカでの第二次日本食ブームでは、食べ物自体はかなりレベルの高いものを出しているところが多いが、サービスに関してはアメリカ流で日本のおもてなし文化まで取り入れられているところは稀なのは残念だ。
Brio Brio Bakery & Caféでは、日本の食べログに相当するYelpのレビューで美味しいという評価だけでなく、接客に関して素晴らしいと褒められることが多い。
僕の目標は当初はBrio Brio Bakery & Caféを少なくとも50店舗展開することであったが、今では日本の素晴らしい食文化・おもてなし文化をアメリカに広めることに変わった。
背中を見て覚えろの日本の飲食業界でなかなか実力を発揮できずにくすぶっている人達、長時間労働・低賃金のブラックな世界で疲弊している人達に、日本の外に大きな活躍の場があるということ、飲食業で年収1,000万円も全然夢ではないということ伝えていきたいという思いが強くなった。
そうは言っても、
アメリカで飲食店をやるには何から手を付けたらいいのか分からない。
英語が話せないからそもそも無理。
どうやって就労ビザを取得すればいいか分からない。
アメリカ人スタッフを使いこなすのは大変そう。
など色々な不安が出て来ると思う。
それらの不安は自分も思っていたことであったが、結果的にはどれも実際にやってみればなんてことはなかった。
このnoteでは、そもそもアメリカで飲食店開業することの魅力から始まり、現地の飲食店の状況や、就労ビザ取得の仕方、物件探しの方法など、どうやったらアメリカで飲食店を開業して成功できるのか、自身の生の経験を元に役立つ情報を発信していきたい。
Brio Brio Bakery & Café
President & Owner
塩出 竜士
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?