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沖縄の西表島が教えてくれた大切な事

伊勢です、

沖縄の南端に位置する
西表島(いりおもて)に来ています。

西表もまた、コロナで大きな
影響を受けました。

非常事態宣言中、
沖縄の離島は、病院もお医者さんも
ほぼいないですから、事実上、
封鎖となりました。

当然、観光客は、一人も来ません。

観光を仕事にする人たちを襲った
不安を想像するだけでも
胸が締め付けられます。

今日は、そんな島の物語を紹介します。

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西表に、干立(星立て)という村があります。

その村には、500年続く、節祭(しち)という祭りがあり
今も当時のまま変わらぬ姿で執り行われています。

そんな伝統の祭りも、今年は、コロナで開催が
危ぶまれていました。

しかし、500年永続してきた祭りです。

村人たちの

「コロナごときで500年の
伝統を消してなるものか」

という気概から
今年も開催されることになりました。

ただ、ひとつ、問題がありました。

村にはご高齢者も多いです。

今年は、コロナですので、
できるだけ、ご高齢者にリスクを
与えたくない、

そこに、苦渋の決断がありました。

・・・・・・

毎年、祭りの時期には、全国から
観光客が見学に訪れます。

そして、今は村を離れている人たちも
里帰りをして祭りを盛り上げます。

しかし、今年は、コロナです。

通常通りの開催は不可能です。

そこで、村は大きな決断をします。

観光客はもちろんお断り、

また、同じ西表島に住んでいる人も参加不可、

そして、村を故郷とする里帰りの人たちの
参加もなし(これが大きな決定となります)

という厳しいルールのもとに
祭りを開催することにしたのです。

つまり、今、村に住んでいる人だけで行う
祭りです。

まるで、時間が数百年遡った、
そんな祭りになります。

そして、一番の問題は、

里帰りの先輩たちが参加をしない
ということ。

それは、村に住む若者たちが
今まで以上に頑張る必要が
あるということです。

さて、無事に、祭りを
開催することはできるのか?

というところから、
今年の祭りは始まったようです。

・・・・・・・

ここ西表も離島ですから
他の日本の田舎同様に
高齢化と人口減が進んでいました。

村も存続の危機と言われる状況にありました。

節祭には子どもたちの
演目もあります。

年々、子どもがいなくなり
祭りの存続も危ぶまれていたそうです。

しかし、現在の干立村は、、

意外なことに、人口も増え、
子どもたちも増えています。

私自身、遠くから祭りを見ていて
一番驚いたのは、子どもたちが
たくさんいた事です。

「一体、なぜ、西表島の小さな村落で
人口が増えているのか?」

日本中の田舎が、人口減と高齢者で
汲々としている中で、これは特別な事です。

村には、子どもたちのキラキラとした
笑顔が溢れていました。

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「なぜ、この村に人は集まるのだろうか?
この村には何があるのだろう?」

私は村に子どもたちが増えている現状を見て
とても不思議なものを見ている気持ちになりました。

・・・・・・・・・・・

一見すると、この村にあるのは、

きれいな海と、美しすぎる星空だけだと
思えます。

しかし、海も、空も、星空も
西表島全体にあるものです。

もっと言えば、日本中の田舎の多くが
持っているものとも言えます。

だとすると、

豊かな自然だけでは、
干立村に若者が増え
子どもが増えている原因とは
言えません。

ということは、

この村に人が惹きつけられるのは
大自然だけではない

「もっと別の何か」なのではないか?

という考えにたどり着きます。

その「もっと別の何か」とは
何なのか?

この村にどんな秘密があるのか?

とても気になります。

これについては、また、
後ほど探求するとして、

まずは、開催が危ぶまれた
祭りについて報告します。

・・・・・・・

祭りは、村の若者たちが
意気に感じて、とやる気になり

無事に、素晴らしいものに
なったということです。

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途中、サバニが転覆したらしい
という噂も聞きましたがそれはご愛嬌です。

無事に、やり遂げたそうです。

大昔に戻った村人だけによる
村人のための祭りをやりきった事は
若い人たちには大きな自信になったと思います。

西表島でも、他の多くの村は、
祭りを中止にしたそうです。

おそらく観光客や里帰りが許されない事で
人手の問題もあったと思います。

しかし、この干立では、
村に住む若者たちが
しっかりとやり遂げたそうです。

そして、それは

「若者たちがこの村にはたくさん住んでいる」

という偉大な事実が
成し遂げた快挙と言えます。

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この事実を聞いたときに、
自分の中で、何かザワザワとする
違和感のようなものが浮かび上がりました。

「あれ、もしかすると、私たちは
何かを間違えているのではないだろうか?」

という違和感です。

何に違和感を感じたかというと、

地方創生といえば、

観光客を呼ぶこと、
外国人を呼ぶこと、
ふるさと納税を集める事、

であり、

「いかに観光客を集めて
お金を落としてもらうか」

が、絶対的な価値となりがちです。

観光客を呼ぶとなれば、
そこにある観光資源をフルに
活用することになります。

西表島の資源といえば、
雄大な自然です。

海があり、山があり、広大な河があり、
瀧があり、星空があり、山猫がいて、

と、ここまで自然が豊かな
ところはなかなかありません。

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しかも、その自然の中で

カヤックにのったり、
ハイキングをしたり、シュノーケリングを
したりと、、

遊ぶことができます。

世界40カ国以上をまわって来ましたが、
思い返してみても、これだけ自然の中で
安全に遊べる場所は、あまりないと思います。

いよいよ、世界遺産への登録も始まります。

しかし、

「観光客を呼んで
お金を落としてもらうことが
目指すべきところだったのかな?」

と、ふと思ったのです。

もちろん、観光客を呼び込んで
地域を活性化させることを
否定するつもりはありません。

西表にとっても
観光は大きな活力になっていますし
暮らす人たちの糧にもなっています。

観光は重要な産業ですし
観光を盛り上げることは大切です。

しかし、現実問題として
今回のコロナのような事があれば
観光客はピタリと止まってしまいます。

つまり、観光依存だけでは
サスティナブル(持続可能)ではない
ということです。

「サスティナブル」

この言葉は昨今、
頻繁に登場する単語となりました。

まさに、私たちが目指すべき未来は、
持続可能な(サスティナブルな)
暮らしです。

しかし、観光だけでは、
島はサスティナブルにならない。

もちろん、観光もなければ困るけれど
観光だけでは、サスティナブルにならないことも
また事実。

まず、この事実がコロナによって
浮き彫りにされました。

そんな状況のなか、
観光が止まっても
干立は、祭りを開催することができました。

それは、サスティナブルな出来事と言えます。

『村人だけで、祭りを開催できた。』

その事実こそが、干立村が
サスティナブルな村である
一番の証明だと思います。

干立は、持続可能な村であると
言えるのではないでしょうか。


となると、はやり気になるのは、
一体なぜ、この村が

「サスティナブルな村」

になりえたのか?

その要因はどこにあったのか?

ということになります。

一体、なぜ、だと思いますか?

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サスティナブルな村にはなるには
何千人という人は必要ありません。

若い人たち、たったの数家族の
移住でいいのです。

10人の大人と、10人の子どもが
移住してくるだけでも、
持続可能性はぐっと高まります。

観光による地域振興のように
莫大な数の人は必要ありません。

一握りの若い人たちが
その村に住んでくれること、

それが、サスティナブルな村への
第一歩です。

まず、この数家族でいいのだという
視点が重要になります。

次に、抑えておきたいのは、

「観光客と移住者のニーズは異なる」

という事です。

観光客は、西表島の雄大な
自然に惹かれてくる人がほとんどだと
思います。

しかし、移住する人にとって
重要なのは、自然ではありません。

なぜなら、自然豊かな田舎は
日本中に存在します。

なので、自然が豊かという
だけでは、移住の決め手になりません。

では、何が決め手になるのか?

その答えを教えてくれたのは、
80歳を超える島のある女性でした。

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その方は、八重山地方の伝統的な
染織の第一人者で、石垣昭子さんと言います。

石垣昭子さんがやられている工房は紅露工房(くうるこうぼう)と言います。
https://www.facebook.com/kuurukoubou/

ここからは、昭子さんにお聞きしたお話を
自分なりに書いていきますので、もしかしたら解釈が
間違っている部分もあるかもしれません。

一切の責任は私にあります。

昭子さんは、ニューヨークのMOMAへの出展をはじめ
世界中で展示やショーを行っています。

昭子さんのもとには
多くの外国人が訪れ、
長期間、村に住み
工房に通うそうです。

コロナ期間中も、
カナダ、デンマーク、ニュージーランドの方が
滞在していたそうです。

彼らが、どこで昭子さんと工房を知ったかと言えば、
フランスで人気となったドキュメンタリー映画が
きっかけだそうです。

その映画を見て、はるか遠くの国から
西表島までやってきて、そのまま滞在するのです。

その熱心さたるやです。

もちろん、日本の若者たちもやってきます。

昭子さんは、多摩美大で教鞭をとっています。

最近は、ZOOMで授業をしたそうです。
80歳を超えて、本当に凄いです。

なので、多摩美大の服飾科の人などが
年に数人やってきます。

そして、昭子さんの元で暮らしながら
卒論を仕上げるのです。

ここまで、聞いて、ピンと来た人も
いると思います。

どうやら昭子さんこそが、
村のサスティナブル化に
一役かっていそうな気配があります。

果たして、その真実は如何に?

・・・・・・・・・

ここで、工房と昭子さんの
”暮らしぶり”を見てみましょう。

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工房は、庭に入っていくと、
片足の犬が迎えに来ます。

イノシシとの戦いで
負傷したそうですが
3本の足で器用に歩いています。

そして、工房の周りには
たくさんの鶏たちがコッココッコと
自由に動きまわっています。

なんとも、和やかな風景。

工房を超えていくと
今度は、コーヒーの木が
植えられています。

ちょうど、赤い実がなっていて、
食べたのですが、実は少し甘く、
後から渋みややってきます。

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コーヒーとして飲まれるのは
実の中心の種の部分ですが
ここは食べられません。

種はクリーム色をしていて真ん中に
筋が入っているのは、色は焙煎前で違いますが
見た目はあのコーヒーのままです。

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坂本龍一さんが植えたコーヒーの木も
たわわに実っていました。

更に奥に進むと、

芭蕉の畑が広がっています。

芭蕉とはバナナの事です。

なぜ、芭蕉が植えられているかというと
食べるためではありません。

芭蕉の葉は、服をつくる糸になります。

沖縄では芭蕉布と呼ばれて
昔から人々が着ています。

その奥には、
苧麻(ちょま)もあります。

苧麻とは、麻の糸の原料です。

そして、蚕を育てる桑があり、

藍染の藍(あい)畑があり、

同じく糸を染めるフクギや
紅芋もあります。

そして、一番奥の開けたところには
米を育てる田んぼが一面に広がっています。

昭子さんは、

糸の原料となる植物を育て、

そこから、糸を紡ぎ出し、

植物から染料をつくり、

その染料で糸を染め、

デザインをして、

手織りで糸を織り、

服をつくります。

この植物を育て糸をつくるところから織るところまで
全ての行程を自給自足で行っています。


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そして、

工房に多くの
欧米人がやってくるのは、

この糸をつくるところから
服作りをしている場所は
世界でも稀だからです。

糸。

糸を紡ぐと言いますが、

産業化が進む中で
なぜか、糸をつくるのは
位が低い仕事というイメージに
なっていきました。

インドの綿花しかり、
日本でも富岡製糸場など、
糸作りと貧しさは
どこかリンクしている
イメージがあります。

しかし、本来、糸を紡ぐというのは
とても、尊い行為です。

どう尊いのかと言われると
説明できないのですが、、

一度、手作業で糸を紡いでいく
さまを見ていただければ
とても尊い仕事であることが
わかると思います。

そうして、紡いだ糸を
藍や、フクギや紅芋で
染めて色を出し、

最後に、織りの仕事に
かかります。

全ての行程は手作業です。

昭子さんは、言います。

「織り機に載せた時点で
終わったようなもの。

服作りは、植物を育てて
糸を紡ぐのが9割」

と。

服というと、デザイン、織り方、
色使いなどが、語られるテーマと
なります。

服飾の学校や、洋服のブランドでも
国内外を問わず、デザインや裁縫については
深く学びますが、

その原材料となる糸づくりまでは
学べることが少ないようです。

しかし、植物を育てて、糸をつくるのが
一番時間がかかり大変な行程です。

だからこそ、ドキュメンタリーを見て
そのことに気づいた世界中の人たちが
昭子さんを訪ね学んでいきます。

洋服でも、和服でもない
八重山地方のオリジナルの服だから
MOMAなどで展示もされます。

植物を育てるところから
織り上げるところまで
最初から最後まで完結しているのが
この工房です。

そして、ここまで
読んでくださった方は、
既に気づいている事と思います。

そうです。

この工房ににある昭子さんの”暮らしそのもの”が
”サスティナブル”で循環しているのです。

昭子さんが、私にくださったメールで
こんな事を伝えてくれました。

「当たり前の日常を
日々丁寧に生きていく事を目指しています」

まさにです。

・・・・・・・・

あるカナダ人男性は、

もう3年もこの村に住み、
今では結婚して、この村で
ずっと暮らすと言っているそうです。

・・・・・・・

植物を育て、
糸を紡ぎ、
染色して、
織る。

この一連の流れは、
そう遠くない昔では

「当たり前の日常」

でした。

その昔、当たり前に存在していた
日常を私たちは、

サスティナブルや
サーキュレーションと呼び

再びスポットライトを当てています。

・・・・・

西表の昭子さんの暮らしには
その当たり前の日常が今もまだ存在し
それを丁寧に生きられています。

そして、お話を聞く中で、

西表の魅力とは、

”暮らしそのもの”にこそ
あるのではないか?

と、思うようになりました。

移住の決め手になるのは
豊かな自然だけでは
不十分だと言いました。

その豊かな自然と共にある
西表島の”暮らし”こそが、

人を引きつける引力に
なっているのだと思います。

昔から存在していた
当たり前の日常。

その当たり前の日常こそが
今、世界中の感度の高い人たちが
求めている、

そして、心の底から体験したいと
願っている、

サスティナブルで
サーキュレーションな

”最先端の暮らし"
なのだと思います。

なので、世界中から日本中から
若者たちが集まってきます。

・・・・・・

色濃く、昔からの文化が残る島、
西表島と干立村。

移住者を排除するのではなく
村に溶け込むことを許し、
伝統を継承していく村。

サスティナブルな地方創生とは
観光だけに頼るのではなく、

移住したくなるような伝統的な
"暮らし”そのものにスポットライトを
当てることで、

若い移住者を増やすことなのかもしれない、

そんな事を考えさせられた
西表島の旅でした。

そして、世界に誇るような
サスティナブルで、循環する暮らしが
確かにありました。

一見すると、世界遺産になるような
豊かな自然が魅力な島ですが、

本当の魅力は、穏やかで確かな暮らしと
日常にこそあるのだと思います。

最後に、昭子さんから私が頂いた
メッセージを改めて
お伝えさせていただきます。

「当たり前の日常を、日々丁寧に
生きていく事を目指しています」

この言葉には、

私たちが忘れてしまった
人が幸せに生きていくためにに
必要なことが、ぎゅっと
詰まっているように感じます。

最後に、

素晴らしい出会いをくださった
フォトグラファーの仲程長治さんと
コピーライターの松島由布子さんに
心からお礼を申し上げたいです。

また、たくさんの言葉をくださった
石垣昭子さんに感謝の気持ちとともに
お礼を申し上げます。

暮らしの偉大さを考えさせられた
西表島での旅でした。

終わり。

伊勢隆一郎

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