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一週間続いた憂鬱の原因を考えてみる

先週の日曜日、私は些細な事でバイト先の年長者に注意を受けた。それは至極真っ当な指摘であったし原因は私が怠惰であったことだ。「何で貴方はレジをあまり打たないのか、君はレジ打ちでお金を貰ってるんだからそれは間違っている、先輩が沢山動いていて君が動かないのは道理が通っていない。」彼の言葉は大体この通りである。勿論私にも言い分があったし、本当に何にもしていなかった訳ではなく他の作業を任されていたし、色々言いたいことはあった。若年者の言葉、特に私のような気性の者にはその時発言は許されていなかった様に思えたし、確かにその時気が抜けていたことも確かだった。私は暫く黙って話を聞き、小声で謝り、暫くしてレジを打った。明らかに私は落ち込んでいたのだろう、暫く後に別の先輩が「この作業上手くなったね」と私に声を掛けてくれた。ただ申し訳なさを感じ、過失ばかりの自分を呪った。小さな歩幅でその日は帰路についた。その日の夜、私がどういう状態にあったかはわざわざ詳細に記述するまでもない。ただ1時間ほど咽び泣き、明日の大学のためにさっさと寝た訳だ。ルーティンと言ってもいい程に当たり前の行程を経て翌朝を迎えた私の気分はやはり最悪だった。ここまでが日々のルーティンであるから特に気にもならなかったのかもしれない。この文章を書いている今、一週間も経っていないのに月曜日の記憶は曖昧だ。その後はただ自らの日々の過失に気が滅入った。中国語のテストが散々である事とか電車を乗り過ごす事であるとかがいちいち気になった。本当に気分が悪かった。気分の悪さは日々の退屈さへの怒りへとすり替わっていき、スマートフォンを片手に持っていると投げ飛ばしたくなる程に気がおかしかった。数少ない友人と話す機会のある木曜日、友人と上手く話せるかすら不安で吐き気と腹痛と体温の上昇を常に感じた。もうやめにしたかった。何をだろう、それが分からないのが1番恐ろしい事だった。バイトでの過失は木曜日の時点でもはやどうでも良くなっていて自分が何故ここまで追い詰められているのか分からなくなっていた。ただ電車に乗るのも恐ろしく感じ、気が変になりそう、というかもうおかしかった。金曜は講義を全て休み、土曜に入れていたバイトもやめにした。両親に相談したところ父親は私を気狂いだと判断し、母親は私の話を熱心に聞いた。母親は私が得意で出来る事を列挙してくれた。姉は私の身体を引っ張ったりして強制的に私が立ち直れるように試みてくれた。ツイッターで知り合った友人にも少し話を聞いてもらって気分はだいぶ良くなった。その日行ったサウナと温泉の暖かさも効いたのだろう。さあ明日はバイトで明後日は大学、良い事が起こると期待しているばかりでなく現状を自分で何とかしようとすら思えている。まぁ何とかなるだろう何とかならないならまた数日倒れれば良い。まだ許される、願わくばずっと許されていたいものだけど。

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