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KINYA

いつからか自分の感覚が自分の身体が自分のものだという確証が揺らいでいる。遡る。過去の記憶では僕は運動会で100m走をしていた。転けて擦りむいて、僕は白いテープを目掛けて懸命に走った。芳しく無い結果に終わったが両親は褒めてくれた。あの時はまだ実感があった。今でも運動場の砂の感触や10月特有の日照りの激しさ、クラスの同級生たちの歓声を正確に思い出せる。今は自分の一挙手一投足が他人事の様に思える。大学生になって、家とキャンパスと行きと帰りの電車だけが僕の世界だった。いや、それも自分の世界とは言えない。もう暫く肺を動かして息も絶え絶えで走った事が無い。生の実感。僕の世界。分からない。スマートフォンを取り出して僕は液晶に浮き上がる白い三角に触れた。人間の身体が路上に叩きつけられ、怒号が飛び交う映像。激しく動くカメラ。短髪で眉毛がはっきりとした小柄な男が短刀を構え別の背広を着た大柄な男に向かって一直線に走り抜けていく。ぶすっとわざとらしい音が聞こえ、別のシーンへと切り替わる。東映が一時期量産していたやくざ映画。僕はこの手の映画に熱狂していた。身体の感覚を取り戻す為か、何の為かは分からない。もう僕は大学三年になる。最近は毎日インターンシップに出掛ける。知らない街の知らないビルで知らない人と言葉を交わす。僕は僕のことを説明する。けどそれは本当の僕じゃ無い。他所行きの僕。知らない自分。それが楽だった。毎日違う自分を説明した。ある企業では他人と話すことが大好きだと言い、ある企業では一人で黙々としているのが性に合っていると話す。一頻り知らない自分を楽しんだ後、決まって知らない店で知らない酒を飲む。それがルーティンだった。この前は中国の白酒を呑んだ。油性インクの様な味で飲めたものではなかったが取り敢えず酔っ払うのには適していた。僕は最近生活の実感が薄まり過ぎて直近の出来事でも直ぐ忘れてしまう。でも白酒を飲んだその日の記憶だけは鮮明だった。居酒屋のネオンサインを尻目に千鳥足で地下鉄の入り口の階段を降りる。その時、気が付けば僕はプラットフォームを全力で走っていた。生の実感を取り戻す為だ。たぶん僕は奇声を発していた。そんな状態で僕は他人にぶつかった。やってしまったと思った。「すみません。大丈夫ですか?」咄嗟に口に出た言葉。これも本当の僕の言葉では無い様な気がする。突進の衝撃で倒れた男はたぶん自分と同い年くらいの男だった。若くてスーツを着ていて、北大路欣也に似ている。小柄だった。リトル北大路は泣いていた。「エーン」本当にエーンと泣く人も居るんだな。謝罪もしたし、さあ帰ろう。僕は北大路欣也よりも菅原文太が好きだ。仁義なき戦い広島死闘編は傑作だけど、北大路欣也演じる山中はこれといった特徴のない広島やくざの典型の様な人物で...とまた頭の中で勝手にやくざ映画の解説が始まる。僕はやくざ映画を思わせる場面に遭遇するとそれに紐付いた解説を勝手に頭の中で始めてしまう悪癖がある。「待ってください」リトル北大路は言った。「何ですか?」僕はロボットのように返事をした。「少し一緒に歩きませんか?」北大路は言った。「構いませんよ」僕はまた返事をした。知らない歓楽街を二人並んで歩きながら、リトル北大路は自分の人生の話を始めた。ヤクザの鉄砲玉として雇われたこと、人を殺した時の感触、鉄砲を打った時の硝煙の匂い。僕はこれが夢なのだと悟った。彼は自分を山中と名乗り、映画「仁義なき戦い広島死闘編」で行われた凄惨な抗争がまるで実在したかの様に話すのだ。いや確かにあの映画シリーズは美能幸三の獄中の手記を原作としており、実在の事件とも関連のある作品と言えるが。そう言う問題では無い。ひとしきり話した後、北大路改め山中は「ではまた」と言い残し路地裏の闇へ消えていった。訳がわからないまま僕は知らない歓楽街をとぼとぼと歩いて帰った。暫くして内定が決まり僕の人生はやはり大きな挫折も無く続いていきそうだ。しかし北大路欣也と出会ったあの夜から、人生の実感は益々曖昧になり、生涯僕は生きた心地がしなかった。


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