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幽霊執事の家カフェ推理 第五話・逃亡のバーチ・ディ・ダーマ4

悪夢で目覚めた倫巳は、はっと目を見開いた。そのときには嫌な感覚だけが残り、夢そのものの姿は、もう消えていた。

水でも飲もうと冷蔵庫に向かう。が、ちょうどミネラルウォーターを切らしていた。

このマンションはエントランスの奥に自動販売機がある。倫巳は少し迷ってから、買いに行くことにした。部屋は二階だし、階段を降りればすぐだ。

裸眼でも大丈夫だろう。

パジャマのまま部屋着を羽織り、ドアを開ける。

廊下に一歩出たとたん、倫巳は息をのんだ。

真横に隣の中年女性が笑顔で立っていた。

「こんばんは」

昔の洋画でプリンセスが着ていそうなネグリジェ(と呼んでいいものなのか、倫巳にはよくわからなかった)を着ている。眠気に支配されている倫巳の目にさえ、服装と身につけている本人に激しいギャップが見えた。

パンをくれたときのスーツ姿と、まったく違う。だが、違和感はそのせいだけではない。

彼女は倫巳に笑いかけ、一歩寄ってきた。大きなフリルの飾りがバサバサする。彼女は、ふくれたクラッチバッグを胸に抱いていた。何が入っているのか、金属の持ち手のようなものがはみ出している。

「お散歩なら、ご一緒しません?」

倫巳は無言で部屋に飛び込んで、ドアを閉めた。即座にロックする。

しばらくドアの前を歩くヒールの音が、コツコツと響いていた。倫巳はバン、と平手でドアをたたいた。それにひるんだのか足音は止まり、やがて遠くに消えた。

ドアに寄りかかって、倫巳は大きく息をついた。

 

 

 

塔子はさっそく翌日、ノートパソコンを持ってイタリアンカフェに行った。

リュウの推理を説明しながら、あの書き込みを江美里と倫巳に見せる。

二人が事前に書き込みに気づいていたかどうかは、反応からは窺えなかった。

「心あたり、あります?」

塔子の問いに、倫巳は無言で首を横に振った。江美里も同様に首を振る。

「こんな名指しみたいなこと書き込むなんて」

信じられないといったふうに、彼女は声を絞り出した。正義感の強い女性なのだ。

「けど、お店でトモを見ている人はたくさんいると思いますよ。主に女性な気がしますけど。客数自体も女性が多いですしね」

ファンも多いのよねと、少しだけ力を抜いた江美里の言葉に、倫巳はたしなめるようにフニャッと笑う。

「でも・・・これは悪質すぎますよね」

と、江美里は例のbaci_di_damaの書き込みを指した。

「営業妨害だけじゃなくて、具体的なスタッフのことまで言うなんてありえない」

警察に言おう、と江美里は言いだした。

「いくら削除依頼出しても対応されないんだし、もう限界だよ」

その声には重い疲れがにじんでいた。あのときも塔子と軽く愚痴を言いながらビールを飲んでいたが、内心は悩んでいたのかもしれない。

「トモのこと本当に切りつけるまではしてなくても、おかしな人だと思う。店に恨みがあるかもしれないし、それに、これ見て面白おかしくトモを見にくる人だっているかもしれないよ。嫌でしょ?そんなの」

江美里は倫巳をじっと見た。本当に心配しているのだろう。目が潤んでいる。

塔子には、江美里やこの店が恨みをかうとは到底思えなかった。だが、内情はわからない。

江美里はぎゅっと目をつぶって涙を押し込むと、立ち上がった。

「もう無理。電話してくる」

「待ちたまえ」

このとき塔子は、初めて倫巳の声を聞いてまばたきした。

倫巳は冷静な口調で、起きてもいないことを警察に訴えたところで相手にされないだろうと、江美里に言い聞かせた。

「ましてフェイクニュースからの予告なら尚更だ」

確かに、と江美里は苦々しげに頷き、

「・・・お店、少し休む?」

と心配げに訊いた。そっと倫巳の腕に触れながら、

「私は大丈夫だから」

ね、となだめるようにのぞき込む。

少し考えて、倫巳は言った。

「この書き込みに、返信してみる」

意外な発言に、塔子も江美里も、反応が遅れた。

「・・・え?」

「は?」

江美里は慌てた様子で、塔子のノートパソコンから倫巳の手を引き離した。

「何言ってんの?相手にしない方がいいって。危険過ぎるよ」

しかし倫巳は得意げともとれる表情を浮かべていた。

「この晒されたページでプライドを傷つける。犯人なら逆上して現れるのでは?」

そこに、怖気づいたと思われるのは心外だという思いが多分に含まれているのを、塔子は感じとっていた。

倫巳は急に饒舌になったようだった。眼鏡の奥の垂れ目が、爛々と輝いて見える。

「書き込んだ少し後に、あえて公園を歩く。狙わせておびき出し、自ら捕まえる」

倫巳は腕組みをすると、細い指で眼鏡を上げた。

「この店に目をつけたことを後悔させてやる」

その言葉からは、店への愛着が感じられた。

「スイッチ入ると、トモってやめないよね」

江美里は苦笑いしながらも、どこか頼もしそうに倫巳を見た。

「私も参加する」

「だめだ」

「何で」

「危ない。それに、誰かが一緒だとわかれば犯人は現れない」

「大丈夫、離れてついてくから。あと、心配だから塔子さんにも来てもらう」

「え?」

いきなり話を振られ、塔子は目を丸くした。

「・・・エム」

呆れたように倫巳はため息をついて言った。

「篠崎さんを巻き込むのは」

「私はいいですよ」

塔子は素早く割り込んだ。

「そもそも、私が持ち込んじゃった話だし。それに、このカフェのファンだから、営業停止とかされたら困る」

「良かった、ありがとうございますー」

カフェを出るときにかけてくれる陽気な声そのままに、江美里は言った。

「じゃ決定ね。トモ、断っても無駄だよ。オーナー権限だから」

「店外で権限って・・・」

塔子は思わず明後日の方向を見た。このノリに、きっとリュウは目をパチクリさせているだろう。

急にわくわくし始めた江美里に急かされ、倫巳は手早くスマホで口コミサイトのアカウントを取った。

「イギリスのビールですよね。英語も得意?」

Drystoutというハンドルネームを見て、塔子は訊いた。

「いや、独学です。日常会話くらいかな。でもイタリア語はさすがに教室行かなきゃ無理でした」

意外と柔らかい笑顔で倫巳は言った。スイーツを運んでくるときのフニャッとした雰囲気とは、また違う微笑みだった。

塔子は、この人との壁がなくなるのを感じていた。

倫巳は早速、直レスで打ち込んだ。

「baci_di_dama: 切りつけ事件に関する、一連の書き込みはあんただろう。そんな事件は存在しない。あんたの頭の中だけに広がる妄想だ。どうせこのカフェにもその公園にも行ったことはないし、行く勇気すらないんだろう。気持ちの悪い願望で口コミを荒らすな」

それから、少し慌ててオーブンの様子を見に行った。

塔子が江美里と話しながらお茶を飲んでいるうちに、倫巳のコメントに対する追従の「同意」マークが複数ついた。きっとこの店のファンだろうと塔子は思った。憩いの場を荒らされて、迷惑している仲間だ。

それぞれがチラチラと画面を気にしながら過ごしていると、挑発に乗ったのか暇なのか、思いのほか早く返信は来た。

倫巳もキッチンから戻って来て、ノートパソコンを覗き込んだ。

「Drystout: お返事ありがとう。嬉しい。そのカフェからスマホで書いているんだね。昇天させてくれる例のケーキは今日もあるのかな?今度はぜ ひ、クレーム・ブリュレも作ってほしい」

読んだ塔子は、ゾクッと悪寒が走るのがわかった。倫巳の得意スイーツの一つ、トルタ・パラディーゾは、天国のケーキという意味だ。

「・・・気持ち悪い」

江美里も顔を歪めた。倫巳だけが、

「クレーム・ブリュレはフレンチじゃないのか」

ソフトな外見とは裏腹に、そう冷たく言い放った。腕組みをしたまま顎に指を当てている。

「しかし、なぜわかるんだ?Drystoutがこの店にいると」

よく見ると、「クレーム・ブリュレを作ってほしい」と注文をつけている。

その上、スマホから投稿していることまで言及されていた。塔子も注意して見たが、このサイトにはデバイスを認識する表示はない。

・・・この犯人は、倫巳がDrystoutであることを一瞬で見破っている。

再度、塔子の背中を悪寒が駆け抜けた。

「これより、最初に君があの公園に行く日に会おう。楽しみにしているよ」

そうコメントは結ばれていた。

「あの公園って・・・あそこだよね」

思わず塔子の声がかすれる。

「だけど、トモが公園に寄るタイミングをどうやってぴったり知るの?」

と江美里は言った。

そこで塔子は、えもいわれぬ感触に引っ張られた。明後日の方向を睨む。だがその引っ張る感覚は止まなかった。

ちょっと失礼、と塔子は電話を装い外へ出た。

念のため、江美里たちに見られていないことを確かめてから、

「何よ」

と囁いた。

「ストーカーアプリでございます」

リュウがいた。現れたというより、さっきからいたように自然に立っている。

「は?」

思わず声が出る。慌ててひそめて、

「何それ。ていうか、何でそんなこと知ってるのよ」

「は。例の板のような機械で」

「タブレットね」

塔子は今度はつっこんだ。

リュウの調べによるとそのアプリは画面上に表示されず、持ち主に気づかれないまま他人がインストールできるらしい。位置情報はもちろん、写真や検索履歴、やりとりしているメッセージまで相手に把握されてしまうのだ。

「しかし、アプリの一覧表からご確認いただけます。倫巳さまの電話に覚えのないアプリはないか、確かめられた方がよろしゅうございます」

「わかった、ありがとう。さ、消えて」

言ってから少し冷たかったかなと思ったが、消える前のリュウは落ち着いた苦笑いを浮かべていたので大丈夫だろう。今夜の夕食は少し大げさに褒めておこう、と塔子は思った。

そのとき、

「塔子さま」

再びリュウの声が聞こえた。またヌッと立っている。

「何?」

さっき反省したばかりなのに、ついとがめる声になってしまう。

「決行の際はわたくしも警護しておりますが、どうぞ、どうぞお気をつけくださいませ」

「わかった、わかったから。大丈夫だって。私が狙われてるわけじゃないんだから」

「は。しかし」

「わかったから!いいから、行って」

塔子の勢いに、リュウはやっぱり苦笑いを浮かべてお辞儀をした。

念のためネットでストーカーアプリについて調べてから店に戻ると、塔子はさも自分の思いつきのようにその話をした。

倫巳はスマホをチェックし、うわ、と声をあげた。確かに入っているようだ。

「ということは、知り合いですよね。入れそうな人って・・・心当たりある?」

塔子の問いに倫巳は冗談か本気か、あり過ぎてわからないと言った。

「人と会っていてテーブルにスマホを置いたまま席を外したこともあるし、そのときロックが必ずかかっていたかも定かではない。何なら修理業者に預けたこともある。その誰もがアプリを入れることは可能だ。ゆえに、知り合いとも言い切れない」

倫巳はつらつらともっともな理論を展開し、

「Q.E.D(証明終わり)」

と締めた。言ってみたかったらしい。

それを見守るようにふっと笑ってから、

「書き込み見た感じ、ストーカーは男なのかな」

と江美里は言った。

塔子はそうとも限らないと思っていた。確かに文面からは男性らしい印象を受けるが、ネットの世界はわからない。素性を隠すために別の性別を装うことも充分に考えられる。

だから犯人が女性である可能性も、ゼロではない。塔子は二人にそ う伝えた。

江美里はそれを聞いて目をそむけた。

塔子は改めてノートパソコンを覗き込んだ。もう一度、目を通していく。

先入観で人をジャッジするとろくなことにならないと、社会人経験で身にしみていた。だが読んだところ、もとの印象から大きく変わることはなかった。

「今のところ、犯人の正体はわからないってことだね」

江美里が塞がれたような口調で呟いた。だが、倫巳は逆に好都合だと言った。

「むしろこちらが情報を持っていると思われたら、警戒して出てこないかもしれない。すでに犯人が公園に現れることはわかっている。癪だが今さら消したところで同じなので、アプリもこのままにしておく。図らずとも待ち合わせができてしまうわけだから、必ず会える」

なるほど、と塔子と江美里は頷いた。

「これから数日は公園に行かず、相手を焦らす。日曜日に決行だ」

倫巳は言った。

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