素晴らしい新ご飯会

同じ日本に生きていても、住んでいる世界軸がズレていることというのはよくあることなんだなーって思って最近は生きていたのですが、今回のご飯会で感じたことは、しかし異なる世界軸に共通する普遍が存在しているかもしれないなということでした。

世界軸がズレる、というのは認識によって世界の解釈が異なってしまうことから生まれてくる考え方だと思います(僕が言い出したことなんですけど)
そうした考え方の違いであったり、価値観の相違であったりがコミュニティを切り分けていることかなと思います。学生の僕達にわかりやすい例は、たとえば学歴。
高学歴と呼ばれる学生の70%くらいは、おそらく高校生の頃からバイトしているだとか、中学を卒業したら働きに出ている人たちが存在しているかもしれないと認知していても、小中と公立の学校に進学していたことを別として、同じ共同体の中で生活することは実はほとんどありません。同じコンビニを利用し、同じファミレスでご飯を食べていても、その人が何を感じて、考えているか、というのは実は180度くらい違っていたりします。僕の場合も同様に、実は高学歴と呼ばれる学生のお話についていけなかったりします笑
例えばさっき見かけたBMVに初心者マークがついていたのですが、その横に保護者が座っていて、そうして運転の練習をするなんてことはなかったし(というか家に車なんてなかった)ましてや筆おろしの場所がマンションのゲストルームを予約して、39階付近で貴族のようにセックスをするなんていうのは、高校を卒業したばかりのちょっとしたチェリーボーイには想像にも及びません。どんなタワマンに住んどるねん!こっちは踊り場やねんぞ!笑

なんだけど、なんて表現したらいいのかわからないけど、とにかく今回の会では、本来であれば交わることのない世界軸のズレが、コミュニケーション界の最高峰(?)を通して秩序づけられてしまったという、とてもカオスな会でした笑

コミュニケーション力と呼ばれる、人とうまくやっていく力というのは、ビジネスにおいては交渉力であったり、チームワーク力であったり、そういったマジックワードとして使われることが多いですが、本質としては、「双方が心地よいと感じられている場作りができる」という方が、コミュニケーション力を的確に表現出来ているのかな、という風に思います。大体の場合において、双方が心地よいと感じられる場作りができているなと感じられているときに人は最も楽しいと感じているように思いますが、実体としては、「今ってお互い楽しんでいるよね〜」と相手に感じてもらえるように、一方の側が気遣いをして初めて成立するものでして、その点でいうと、「双方が心地よいと感じられる場作り」というのは、最高のオ・モ・テ・ナ・シなわけなんです。僕たちはその最高のオ・モ・テ・ナ・シを施されていたことになります。

世界軸がズレていても、人が感じる心地よさというのは普遍でして、M性感に行っていたとしてもあくまでそれは程度の違いであり、誤差の範囲なわけです。相手に対して心地よくなってもらおうという真心はそのコミュニケーションの媒体がセックスであろうと、相手に心地よさを感じさせるものであって、そうした充足感や満足感は、僕達のような少しばかり愛情が不足して育った男児には染みるほどよく効きます。この充足感をバネにまた現世へ舞い戻る、これだけで頑張れるように思います。

世界軸は確かにズレている。しかし同じ世界に生きている。当たり前なんですけど、螺旋階段を登っていくように、こうして何回も何回も、同じところに戻ってくるがしかし前に来た時とは少し違うということを繰り返して少しずつ自分なりの世界軸をつくっていけたらなーと思ってます。


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