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日本人は、リスクとの付き合い方をしらないのではないか。

リスクというのは、どうなるか判断できないことであり、たとえば100階から飛び降りたときのリスクは、ほぼ確実に死んでしまうという意味で、その後の結末が100%予測できる、つまりリスクはないということになる。

今、これだけコロナ陽性者が増えているなかで、出かけることはもちろんリスクがある。出かけなければリスクは限りなく少なくなる。感染しない。一方で、換気が悪く、不特定多数の人が口角泡を飛ばして喋っている場面に立ち会えば、これもまたリスクは低い。今の東京であれば、かなりの確率でコロナに感染すると考えていい。

一方、誰もしゃべることのない新幹線の中(これを書いている今まさに、新幹線に乗っているのだけれども)もまた、リスクは少ない。換気の徹底している新幹線の中で、しかも誰も大きな声で話していない状況で、手指消毒を徹底して感染することは、ほとんどない。リスクは低い。

と考えると、第一波のときに比べると、感染するにしてもしないにしても、ずいぶんと感染リスクは下がったのである。かからないという意味ではなく、感染する場面がかなり特定できたということである。

こうしたなかで、自分の身を守り、また自分に関係する人の身を守るための作法も、わかってきた。そしてその作法を守っているなかで、活動はつづけていくということが、「コロナとつきあっていく」ということになる。

こうしたリテラシーを前提にした場合に、「20時以降、飲食店は営業禁止」とするのではなく、たとえば一人で食べるラーメンなどは感染する可能性は低いし、換気が効いている焼き肉や焼き鳥屋さんもまた、可能性が低いというような、ケースバイケースの判断が可能になる。逆にリテラシーがなければ、「20時以降、飲食店は営業禁止」とするしかない。日本がまさにそれである。

第一波のときに問題となったフィットネスは、感染症対策を進めた結果、今回の緊急事態宣言においても、「運動施設に対する協力の働きかけ」ということで収容人数(50%以下など)の協力を求められているものの、営業自粛の要請ということにはなっていない。「コロナとつきあっていく」態勢ができたのである。

前回同様、今回の緊急事態宣言に対して反対の立場をとっているのも、そうした「知恵」を働かせることを放棄して、ただやみくもに営業自粛するだけでは、リテラシー向上も、今後の感染症対策にも寄与しないからなのだ。


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