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書けない10分間に湧いた問い

1日noteを書くのを辞めると、あっという前に書けなくなりそう。朝寝坊してすぐオフィスに駆け込んで、書くタイミングを失ってしまった。

書きたい気持ちを温めるのは難しい。この記事を書きはじめるまで10分くらい考え込んでしまった。私の内面の葛藤を羅列してみた。

「書きたいことが特にない。でも、”書く”という行為はしたい。」

→noteを書くとすっきりする

「面白いテーマあったっけ?」

→誰かを楽しませる”誰かのための文章”を目指している。これだと、「書くこ」を楽しむには難しい

「4月第一週だし、時期に合わせた文章にしよう」

→ご時世に合わせてるだけで、”書きたい私の気持ち”には向き合えていない

「ともだちと話して面白かったことを書いてみよう」

→極私的なことを書いて、私は満足だけど。つい誰かに読んでもらうために書きたくなる。でも、そうじゃない。書きたいから書けばいいんだよね。

「組織や私の成長について書いてみる」

→私の気づき、成長を書こうとするのが苦手。そんなの読んでもだれも面白くない。というかアホさを露呈することになる。でも、書きたい気持ちとしては、忘れないために思いはある。

「マイテーマ、気になって調べていることでも書こう」

→だれに向けても特にならないけど、ずっと調べ続けてウロウロしていることをとりとめもなく書きたい。。誰かに読んで欲しい気持ちがうずうずしちゃけど、でも自分が一番の読み手ではある。

10分間、内面で起こった書くまでの”問い”たちを眺めると、すなおに”書きたい欲求”に従えず、つい”誰かに読んでもらいたい欲求”に屈している。このnoteで目指しているのは、”私が書くことを好きになること・楽しめること”であるなら、書きたい欲求に従っていきたい。

コロナで外出できない週末。とりあえずゆっくり部屋の掃除でもしよう。

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