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家族の運営には波があるから

さむいさむいさむい。足の指先がキーンと冷える季節がきました。靴下を重ねて履いても冷えるので、どう攻略しようか考えあぐねているところです。

着る物が増えると洗濯物も増えます。セーター等着ようものなら、干すのも一手間。家事の分担を交代する家族も在るかもしれません。


sentenceのイベントで、家族について意見を交わしました。

話のきっかけになったのが↑の記事。
事前に記事を読んでから感想を持ち寄りました。感想のコメントだけでも人によって感じ方が異なり、興味深かったです。

人数が少ないほど運営が難しそう

「"拡張家族"も血縁関係の家族も、理想は同じなのでは?」から始まり、"家族は運営するもの"かもしれないという話をしました。家族生活を成立させるためには、誰かが意図して行動する必要があるという意味です。

話の中で特に印象的だったのが、家族の人数が少ないと、運営が難しくなるのでは?という話。人数が多ければ互いに苦手を補える一方で、人数が少なければ苦手を補いきれないこともあります。

また、コミットの要求や期待値が高まってしまいます。誰でも、自分の気分が優れないときこそ、誰かに家事をやって欲しいと思うことでしょう。4人家族ならそれは3人に対する期待ですが、2人家族なら1人への期待になります。人数が少ないほど、相手への期待度が高くなりやすいのです。

さらに、人数が少ないと雰囲気を転換させることが難しくなります。二人で煮詰まった際、他の人が加わることによって、雰囲気が変化することもしばしば。作業の手数の意味だけでなく、雰囲気を転換させる意味でも関わる人数は大きな意味を持ちます。

そのときに合わせた運営を

生活を運営するならば、いつも同じペースでとはいきません。関わる人が変わることもあるし、役割が変化することもあるでしょう。

私たちは、自分が経験した生活をつい真似してしまいます。それでも、その時に合わせて生活を変化できると、より"運営"が楽になるのかもしれません。

おまけ

拡張家族と血縁家族の違いって、ルールに同意して家族になるか、人を決めて家族になるかなのかも?拡張家族は人数多いと、村なのでは?とも思ったり。血縁のつながりが薄い時代になったからこそ、価値観のつながりで代替してるのかも。

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