平成生まれの馬鹿が抱くこの世間やアノ人々に対しての漠然とした愚問


「男は女を分かっていないというが、女は男が分からない生き物だということが分かっていないからおあいこだ」
 そんなことを、いつかの誰かが言っていた。
 嘘です。これは数年前のボクという下僕が書いた詩のような戯言です。
 このように人はクダラヌ嘘を吐き自らを卑下しオドケおちゃらけなるべく傷付くかぬよう責任を問われぬように生きている。
 これは人間特有のものでしょうか?だとしたら人間はなんと愚かな生き物なのでしょうか……そして、なんとチャーミングなのでしょうか。
「男とか女とかそんなちっぽけな言葉に支配されるのはくだらねぇよ」
 いきなり話が戻される。支離滅裂で飽き性な生真面目人間の性が発揮される。
「昨今はLGBTなどに対し様々な意見が展開されていますねぇ」
 ボクというコメンテイタァが片肘ついてニヤニヤ。
「自分の性を拒否しそれを理解してくれと言うことはワガママでしょうか?」
「えぇ、ワガママですねぇ。我慢し隠そうとすればできる訳ですし」
「しかし、自我を押し通した人々は恰好良くありませんかぁ?」
「割と多いんですよ、同性愛者同士の離婚。それに、生産性がありません」
「生産性がありませんかそうですか…………しかし、いわゆる普通の男女でも今や生産性があまりありません。不幸そうに生きる親世代を目の当たりにし自分の遺伝子を残すかどうか迷う若者。金銭面が苦しく子供を諦め二人の愛にさえ幕を下ろす若者。大人は早く結婚して子供を産めと嘯きますがそもそもその結婚率を下げたのは結婚は大変だ辛いことだというプロパガンダ情報を流した大人たちなのです」

 そう、結局はワガママなのだ。我を通す方も批判する方も擁護する野次馬的傍観者も全て、全てが同じ穴の狢。

 そして、皆が皆、差別やジャンル分けがだーいすき。


 とまぁそんな感じで色々と数十ページほど書いたのですが、結局全部、消しました。

「下らねぇな」と思って。

 こうやって何かに関して誰かに関してあれこれ言うということは何よりもの無駄で下らなさの頂点であり底辺だと気が付いてしまったからです。

 批評なんて糞喰らえだ。

 しかし、考えることは重要です。なので、残りの数十ページの余白間でミナサマ是非アレヤコレヤと考えてみてください。

 ゆったりとした呼吸で怒りに支配されず行うのがコツです。

 それでは、さようなら。

 気楽にいきましょう。

 人に与えられた使命など、ありはしないのですから。

     








































































 そう、僕たちはただの肉片に過ぎない。

 どんなに見た目が良くたって、体内はぐちゃぐちゃの内蔵とどろどろの排泄物だらけさ。

 存在しているだけで幸せ。

 比べるなんて、無意味を通り越して空虚なのさ。


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