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矛盾との戦い。それでいいのか?

頭がいっぱいになる。
真っ白になる。
何も手につかない。
達成感などない。
あるのは、徒労感だけ。

寒くなってくると、お風呂に入るのも
少しだけ億劫になる。入れば癒されるのにね。
汗をかいていない。肌や髪がベタついたりしない。
そうすると、なんか快適に過ごせるので
お風呂入らなくてもいいかな、なんて思ったりする。いや、入るけれど。

仕事における達成感とはなんだろう。
私はクライアントに頼られる存在になれたとき。
そしてその期待に応えられたと実感したとき。
そしてその対価として売上がたったとき。
この3つだ。
なかでも、期待に応えることができたと
実感出来る瞬間は何ものにも変え難い喜びがある。
ただ問題はそれが会社の上司には見えないということだ。わたしがどれだけ信頼されてようが、
それが分かりやすい売上に反映されなければ
何もやっていないとイコールにされる、と感じることがある。本当はそうではないのかもしれない。
けれどやたらと売上、売上と言われれば
そのやりがいは、隅に追いやられてしまい
いつしか、求めることが変わってしまう。
そのときに残るものはなにか。一時の優越感。
ただそれだけである。というのも、その利益すら
毎日立てなければ褒められたことではなくなるからだ。毎日立てる。それを当たり前とする感覚を強制的に植え付けられる。それは伸びる会社のそれか?はたまた嫌煙される会社の成れの果てか?
いずれにせよ、わたしはここに非常にやるせない気持ちがある。それを当たり前だよ、と言うのであれば私はとんでもないと思ってしまう。私は、私の感性を大事にしてきたし、これからもそうありたいと願う人種だ。それこそがわたしのアイデンティティである。ただ、同時に難しいと感じるのは、努力によって自分を成長させるにおいて、わたしという限界を設けることは単に邪魔になる点だ。つまり、成長するには私という殻を破り捨てなければならない。それはとにかく辛いことだ。信じるものを信じなくなるくらいに。考え方をガラッと変えなければならないほどに。それをするための努力とはなんだろう。自分以外の誰かに傾倒すること?いいや、自分自身の内面との対話だ。自分が今すべきこと。自分ならできると強く念じること。その繰り返しの果てに成長があると信じること。その全てはパワーのかかることであり、精神面での負担が少なくはない。運動における反復が、筋肉を鍛えるように、心の筋肉を鍛えるには試練を繰り返す他ないのかもしれない。楽しい、嬉しい、気分がいいというテンションではそれを得るのは難しい。だが、緊張状態が続けばその分心に負担はかかり続け、心の負担はそのままメンタルを潰してしまう危険性も孕んでいる。心の負担は心の筋トレなれど、緊張状態が続けば、心の筋肉痛が起こってしまう。そうなると、しばらくは何も感じない、何も心が動かない状態となり、それもピークを過ぎれば廃人のようになってしまい、心が燃え尽きてしまう。頑張ろう、努力しようという心が1度燃え尽きてしまうとそれはまた元に戻るのには相当の時間とリハビリが必要になってしまう。しかも、1度そうなってしまえばある種のクセのようになってしまうこともある。そして堂々巡りとなって、その後も心を蝕み続けることもある。
そんなのはゴメンだ。わたしはわたしのメンテナンスを行う事において、責任がある。
わたしという乗り物を操縦する自我であるわたしは、私という器を崩壊から守るための自衛策としてのストッパー機能が備わっている。しかし、新しい自分を獲得することは、そのストッパーを外せと言われているに等しい。ここに大きな矛盾が発生している。

矛盾との戦い。それもまた心に負担をかける。
負担のかからない生き方とは?

今の私がたどり着いた唯一の答え。
【⠀ 】は、空白ではない。

MUSICAでした...♪*゚

あーもうつかれた。
寝て忘れてしまいたい。

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