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「豊臣秀吉の出自」諸説まとめ

明智光秀だけではなく、豊臣秀吉の出自も不明である。

自慢話が大好きな豊臣秀吉であるから「農民の子であったが天下人になった」と自慢しそうであるが、そういう自慢は1度もせず「天皇の御落胤である」という噂を流させたという。幼少期の思い出は、どれも思い出したくない辛いものばかりなのであろう。

通説では、豊臣秀吉は、尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたといい、織田信長に仕官し、「一夜城の築城」を含む「秀吉八大功績」をあげて出世すると、「金ヶ崎の退き口」「毛利攻め(高松城水攻め)→中国大返し→山崎合戦」「清州会議」「賤ヶ岳の戦い」等を経て織田信長の後継者となり、「小田原征伐」「奥羽仕置」を行って日本統一を成しとげ、天下人になったとする。

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