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(家-塾)×愛情=いじめがなくなる DONYORI CAFE通信〔#008〕

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本日のご相談です

いじめがなくなるようにするために、親や教員が出来る事ってあるのかな?

子供にとって大切な「時間」はどんな時なんだろう……


「塾」の存在

最近の子供たちは、夕食まで持参して塾にこもるケースがよくある。中学受験から始まり、大学受験までこのスタイルをとっている家庭も少なくはないだろう。最近は、ニュースやテレビ番組等で学校帰りにお弁当持参で、夜遅くまで塾に通う子の特集が組まれていたりする。畢竟するに、家庭や学校に加え、塾というものが子供の成長に大きく関与してきているということである。

幼少期は特に塾にいる時間よりも家での時間を大切に

家庭や学校の存在とは違い、塾の存在によって家庭での生活時間が減り、親が子供の様子を把握しきれずにいるのではないだろうか。塾に通えば、必ず学力が向上し、好成績がとれるという保証はどこにもない。それにもかかわらず、過程での大切な教育時間を大量に削ってまで塾で缶詰状態になる意味が果たしてあるのだろうか。夕食を食べながら、今日学校であった出来事を家族に話す。これだけでも子供はいろいろな力を培うことができると思う。例えば観察力である。学校で今日どんなことがあったか、休み時間はどうであったか、などは周りを観察していなければ当然話すことができない。毎日出来事を話すということを習慣づけたとしたら、必然的に周りに目を向けるようになる。周りに目を向けることで気付くこと、学ぶことは数知れずあるだろう。また、友達のことや先生の話を子供がしてきた時には、「自分だったらどうしてた?」というその一言だけでも、子供の想像力は養われるだろう。同時に思考力、問題解決能力などが培うことができるということも十分に考えられる。「家族が家にいる時に子供は塾にいる」状況になると、当然親子で話をする機会が減るわけだから、特に小学生の時期には出来るだけ多く真剣に子供と向き合いう機会を作り、話を聞き、家族での時間を大切に過ごすことで、子供は自分が愛されていうことを感じるだろう。愛されていることが実感できれば、人をいじめるなんてことはしないと思う。

知らないうちに「いじめ」の種をまいている

親や教員の子供に対する褒め方について例えば、ある子が描いた絵についてただ褒めれば何でも良いというわけではないと思う。時にそれが負になることもある。褒めることができない大人も少なくはない。だからといってただ褒めるだけで良いかと言われればそうではない。「君、この絵上手だね。」というこの言い方は、子供たちにあるマイナスの概念を植え付けることになると私は思う。その概念とは、人と比べて勝っているか、劣っているかという考え方だ。「上手」ということは、何かと比べてそれに勝っているから出る言葉である。そうではなく「この部分がよく描けていていいね。」「この物の特徴をよく捉えているね。」「先生は君の絵のここが好きだな。」「前に描いた絵より上手だね。」といった具合に、具体的に何がよいのか。また、以前のその子自身との比較、先生や親が個人的に思ったプラス感情を言うことがよい褒め方であり、非常に重要だと思う。だいたいのいじめは、比べることから始まる。他人との、必要のない比較をするように仕向けているのは親や教員であったりする場合が多いと感じる。些細なことかもしれないが、小さなことも積み重ねれば大きくなる。だからいじめを防ぐためにも、親や教員といった大人が些細なことから大きなことまで全てに気を張り、子供と多く接することが求められていると強く思う。

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