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人は思考の近道を探して生きている

こんばんは。りょうへいです。

今日は思考に関する話題を書きたいと思います。

最近すごく思うのは、人は思考の近道を探して生きているんだなということです。もっと言えば明確な答えを示せる人を探している

裏を返せば、自分では「それ以外の選択」にたどり着こうとはせず、誰かが答えを出してくれることを待っている人がめちゃくちゃ多いと感じます。

インフルエンサーの影響力が日に日に巨大になっていくのも、こうしたものが背景としてあるのではないでしょうか。

影響力を持った人間=明確な考えが世間に共感されている人

という構図が成り立ち、じゃあ自分もそれを信じてみようといった具合です。
実際にこのnoteでも「絶対に〇〇できる方法」とか、「最強の〇〇」と言った類の記事はよく読まれるようで、それだけ絶対的な答えを求めている人が多いんですね。

もちろんそれ自体が悪いことではないし、自分が選択をして幸せのかたちを探すことは悪いことだとは思いません。

ただ、インターネットの発達に伴って、思考の近道の選択は逆に狭くなっているように思えて仕方ありません。

例えばですが、私がtwitterを開くと、大体の意識高い系の人は、「とにかく動け、考える前にいますぐだ!」とか「PDCAじゃない。DDDDだ!」みたいなことを言っているんですね。

多分ホリエモンさんとか箕輪厚介さん、西野さんのようなスーパービジネスマンが大体同じようなこと言ってるから、それが絶対に正解だ!

っていう論理でそれを広めている人がほとんどだと思うんですが、これに関しては私は思うところがあって、

「いや、じっくり考えてから動いた方が良い結果を出せる人もいるし、計画通りにやることで達成感を得る人だっているよ?全ての人がその論理に当てはまるわけじゃないんじゃない?」

と思うんです。まぁ私自身noteで色々書いているのであまり偉そうなことは言えないのですが、自分なりにお伝えしたいことは、「参考程度にそのやり方でやって見て、合わなかったら違う方法探してみれば良い」ということです。

私自身が書いている方法も、私なりの考察で書いているだけで、そのやり方が違うなと思ったらやらなくていいんですね。
というか一度はそのやり方で本当に良いのか疑った方が良いとさえ思っています。

ただ、最近のインフルエンサーさんは、そう言った違う考え方に対して、「アンチ」というレッテルを貼り、敵対味方の構造を作りたがっている人がとても多い。

違う考えは受け入れないというイデオロギーは、歴史的にいうと宗教戦争やファシズムの台頭なんかに似ていると思っていて、こうした状況が蔓延し始める時は大抵歴史が大きく動きます。おそらく歴史が大きく動く前兆なのかもしれませんね。

話はそれてしまいましたが、インターネットが発達するにつれて、思考の近道を求める人が多くなり、結果的に自分のオリジナルな考え方というものの選択が減っているように感じています。

私自身の考えを言うと、思考の近道は大枠としては大切ですが、常にアップデートできる状態にはしておいた方が良いと思っています。

そのために、例えば自分がめちゃくちゃ嫌いな人の本を読むとか、正反対の考え方の政党の演説を聴いてみるとか、普段の自分なら触れないであろう対極に触れることをやってみてはいかがでしょうか。

自分が絶対に正しくて、奴らは絶対に間違っていると言う考えの老人のことを、「老害」なんて呼んだりしますが、自分がその「老害」にならないためにも、柔軟な学びと謙虚な姿勢は忘れないようにしたいものですね。

思考の近道は考える時間を省いてくれます。だからこそ、自分が本当に合っている思考の近道を常に自分の手で選択をしていきたいものです。

今日は日記形式になりましたが、明日からまた本の解説などしていきたいと思います。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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